メイクラブ
岳は千代とのメールで末野アパートでの飲み会が決まった事を佑太達に伝える。それぞれが思惑を抱える中、純は茜との再会を密かに楽しみにする。
純はバイト先のある専売所まで車で通っている為、家を出ると岳の働くコンビニで飲み物を買ってから向かうのが恒例となっていた。岳が深夜帯シフトなら顔を合わせることが出来るという事もあったが、寄居駅付近にはコンビニが無かった。
その日コンビニへ入るとそこには岳の姿はなく、青柳の姿があった。
純が入店したのにも関わらず「いらっしゃいませ」という掛け声はなく、難しげな顔をしながら持ち運びの出来る業務用端末に目を落としている。
ホットココアをレジへ持って行くがそれでも青柳は反応をみせず、純が「あの……」と声を掛ける。
「はっ……申し訳ありません!」
青柳はそう言うと自分を戒めるように無精髭の浮かんだ頬をぴしゃりと手で叩く。その行動に純は嫌悪感を覚え顔を顰める。
この男はよほどのM気質なのだろうか。ホットココアを受け取ると純はわざと聞こえように舌打ちを漏らした。
足を怪我した岳の代わりにシフトに入った翔は自分から青柳に話し掛けることはせず、淡々と業務をこなしていた。馴染みの客も出来始め、他愛ない会話で盛り上がる。
もう一方のレジで青柳はその様子を眺めていた。客が出て行くとすかさず青柳が翔に声を掛ける。
「ちょいちょい、おまえさん」
「はぁ……何ですか?」
怠そうに答える翔に構う事無く、青柳は続ける。
「今のお客さんとはよう喋るんですか?」
「まぁ……常連ですし。喋りますけど」
「これはアカンな……あまり時間を割いて喋ると効率の低下に繋がります。ロスです」
「あの……他に客なんていませんでしたよね?」
「誰の指示で動くべきなのか、心得ておいて欲しいんです。コミュニケーションを大切にする姿勢は認めます。ですが、時間配分というものもあるでしょう?これは猪名川さんにも言える事です」
「好かれてもらえる分には別にいいんじゃないですか?」
青柳が腑に落ちない様子で何か言い掛けた途端、店の扉が勢い良く開かれる。雑誌の搬入だった。
雑誌を運んでくるドライバーは偶然にも良和の同級生である仲邑の父親だった。その風貌は痩身で短髪にサングラスというかなり強面な印象を与える。
仲邑の父は翔に真っ先に声を掛ける。
「おう!翔くん。元気でやってっか!?」
「あぁ、はい。何とかやってます」
「今日はヤンマガあるから多いぞ!頑張れよ!」
「はい。ありがとうございます」
「おい!青柳!おまえ先週分の返品伝票カウント間違ってたろ!?」
青柳はその言葉に「はて……」としらを切った。
「ワシ……ですか?」
「ワシですかじゃねーよ!おまえのサインが入ってたんだからおまえしかいねーだろ!」
「それはそれは……以後気をつけますさかい……」
「良い年なんだからしっかりしろよ!ずっと思ってたんだけどよ、おまえ出身は関西か?」
「いや……生まれも育ちも比企郡ですが……」
「………………」
仲邑の父は首を大きく傾げると、そのまま出て行った。
青柳の話す関西弁は出自のものではなく、二十年前の学生時代に友人の話す関西弁が移ってしまったのだとと青柳は説明していた。
空気が蒸し始めた六月。アパートの洋間で岳達は輪になって腕組をしている。
岳と千代がメールでやり取りしているうちに話が盛り上がり、ここで飲み会を開くことになったのだ。
佑太が千代の名を叫びながら嬌声を上げる。
「時間制限なしってヤツ!?やべー!テンション上がるぜー!俺さぁ……ずっと千代の事いいなぁって思ってたんだよ。何とかなんねぇかな……」
「おい。間違ってもここですんなよ?ホテル行けよ」
岳の言葉に佑太は良和との過去を反芻し、一瞬押し黙る。するとわざとらしく土下座し「協力お願いしやっす!」と声を張り上げた。純が「安い土下座……」と言葉を放り投げる。
良和は何人までこのアパートに入るか指を折っていたが途中で考えるのを止めたようだった。問題になりがちな騒音に関してはこの部屋以外の唯一の住人である階下の男性が
「若いうちは楽しんだ方がいいから。それに俺、夜勤でいないし。皆で楽しんでね」
と許容してくれていたのだった。止める者もおらず、酒も煙草も認められる年齢の彼らにとってはそのイベントを想像するだけでも大いに盛り上がった。
佑太が岳に向かって説き伏せるように言う。
「なぁ、がっちゃんもヤレるうちに色々ヤろうぜぇ?友利ちゃんだけじゃもったいないって!」
「はぁ?友利が一番しっくり来るのに、何でわざわざ他に手出さなきゃなんねーんだよ」
「えー!昔森下の事好きだったじゃーん!」
「いつの話ししてんだよ」
佑太の発言に純は思わず体が前のめりになり、反応してしまう。
「言っとくけど俺と森下はそういう関係にはならねぇよ」
「何でよ?メイクラブがどこにあるかなんて誰にも分からないぜ?」
「飯食ってる最中に「腹減った」って言う奴いないだろ?それに俺がもし「いいなぁ」と思っても森下は俺を選ばないよ」
「例えが分からねぇ!純はどうなんだよ!?誰かいないんか!?」
矛先を向けられた純は「さぁねぇ」と言葉を濁したが、茜とここで会う事に密かな楽しみを抱いていた。酩酊でぼやけた視界の中、消えて行った茜の姿を思い出す。
茜の存在を一瞬押し込め、純は楽しげに言う。
「俺はさ、皆で楽しめればそれでいいんさ。ワイワイやって盛り上がって終わり、ってのが一番いいんじゃないの?」
「そんなのつまんねーよぉ」
不貞腐れる佑太に岳は諭すように声を掛ける。
「佑太、あくまで飲み会であって合コンじゃねーんだぞ?ゲストだと思えよ。楽しんで帰ってもらえれば次に繋がるかもしれないぜ?なぁ、純君?」
「あぁ、その通りだよ。楽しくやろうよ」
佑太が何か言い掛けた矢先、良和が割って入る。
「でも、皆年頃なんだから何かあってもおかしくは無いんじゃね?」
「だろー!?」
味方を得た佑太は再び声を張り上げる。良和は続ける。
「そうなっても俺は止めないよ。それに、出会いは多い方がいいに決まってるん。酒が入れば大胆にもなるし、どうなるかは分からない」
「流石ヨッシー!よーく分かってんじゃん!」
「あぁ。本当は俺だってしたいん!」
「だろー!?」
「でも怖くて女と話すことすら出来ねぇん。これからは飲みの機会増やして、話せない自分を直していきたい。同級生なら良い練習相手になるし。もちろん、やれる時はやる!」
「よっ!大統領!」
「佑太、もし千代ちゃんと出来たらビデオ撮ってきてくれ」
「はぁ!?何で!?」
「同級生とか異常に興奮するじゃん。頼んだ」
「それは無理だわ……」
良和と佑太のやり取りに純が苦笑いを浮かべる。しかし、嫌な気分にはならなかった。若さ故の衝動も、抑えきれない程の欲望も、その全てが遠過ぎて、まるでテレビを観ているかのような気分で純は彼らを眺めていた。
飲み会当日の昼過ぎ。買出しに向かうはずだった純達は良和の録画した「仮面ライダー555」に真剣な眼差しで見入っていた。
佑太は「ジョジョ」シリーズの単行本を手に動こうとせず、唯一しびれを切らしていたのは猿渡だった。テレビのある洋間のドアの前に立ち、落ち着かない様子でドアノブを触ったり離したりしている。
「お、おい!まだ行かねぇん!?も、森下達来ちゃうで!」
「まだ来ねぇよ。ちゃんと場所も伝えてないのに来る訳ねぇだろ」
「そ、そうなん!?だ、誰が迎え行くん!?」
「あいつらが近くまで来たらそん時考える。ヨッシー、これ続きあるん?」
猿渡を気にもせず画面に見入る岳に良和は「ある」と端的にいう。子供の観るものだとばかり思っていた仮面ライダーは意外な程に人間ドラマに深みがあり、一つの作品として大いに彼らの心を動かすものがあったのだ。
バイトの為に毎日朝帰りの純は春の陽気に誘われたまま、眠っている。
結局、彼らは夕方近くなってからやっと重い腰を上げると花園町の橋本屋へ向けて車を走らせた。




