最後の幕開け
数年分の軋轢は見事なまでの張り詰めた空気を生んだ。佑太の謝罪に良和は…。
岳は純との通話を終了させると、間髪入れずに良和に電話を掛けた。
「もしもし」
「もしもし?がっちゃん?」
「おう。家にいんの?」
「あぁ。今日、純君がダメだ。迎え行くわ」
「その事なんだけどさ」
「……佑太っしょ?あいつ来ても困るで」
「俺も一緒に居るからさ、謝らせてやってくんねーかな?」
「今さら言われてもねぇ……」
「あいつが何言ってもこっちでケツ拭くからさ。どうしてもごめんなさいしたいんだとよ」
「うーん……そう言われてもねぇ……」
「小さい頃習ったろ?「悪い事したらごめんなさいしなさい」って。あれだよ」
「そりゃ分かるよ」
「ほら、昔は謝ってる本人がよく分かって無かったからさ」
岳がそう言うと、良和はようやく笑い声を立てた。
「ちょっと時間くれ。少し考えてメールするわ」
「うん。分かった。ヨッシーに任せるから」
「あぁ。じゃあ、また」
最終的な判断は良和に委ね、岳は家を出ると一同と純の家で落ち合う。岳より早く到着した猿渡の登場に佑太は目を丸くする。
「いつ襲撃するん!?武器はねぇん!?ははは!」
「だから何でこいつがまた居んの!?」
「人数は多い方が楽しいかなぁって思ってさ」
「気合い入んねーよぉ……なんだよ」
岳が現れると猿渡に一瞥もくれずに佑太を手招きし、車の中で話そうと言う。純と猿渡はゲームをしながら待っていると言う。
純はゲーム画面に集中しながらも心の中が不思議と軽くなっていくのを感じていた。岳に対して負けたという意思を伝えた事でこうなったか、と思うと日頃から岳に対して無意味な勝ち負けを意識していた自分に気付かされた。
純は岳の説得によって心を僅かに動かした良和を思いながらひとりごちた。
「本当……すげーよなぁ。ちゃんと動くんだもんなぁ」
「はぁ!?な、何言ってるん!?ゲームなんだから動くの当たり前だで!動かなかったらクレームだ!ははは!」
「違うよ……」
猿渡の言動に純は「やっぱ今日呼ぶ人じゃなかったかもしれない」と思わされていた。
車中から見上げた月は黄色から白へと変わり、純の自宅近くの駐車場を青白く照らしている。
春の夜は暖かく、風もなく静まり返っている。
「佑太……謝るならちゃんと謝れよ?ふざけたりすんなよ?」
「うん……分かってる」
「許してもらえるとも思うなよ?」
「だよなぁ……。正直……怖いよ。けどさぁ、やっぱ……ちゃんと謝りたいからさ……」
「ヨッシーはもっと怖い目にあってたと思うで。俺は見届けるだけだかんな。手助けとかしねーからな」
「ちゃんと自分の言葉で謝るよ。そこは任せて、マジで」
「…………」
佑太と岳がしばらく無言のままで月を眺めていると良和からのメール着信が入る。
「今から、来ていいよ」
岳は純と猿渡を呼び出し、一同は末野に向かって車を走らせた。
途中何度も溜息をつく佑太に岳は何度も「しっかりしろよ」と励ましの言葉を掛ける。純は何かと文句は言いながらも行動する岳を何処か微笑ましい気持ちで眺めている。笑顔のまま「大丈夫じゃないかい?」と言うと岳が眉間に皺を寄せながら「ふざけんなよ」と吐き捨てるように言った。しかし、その表情に純は何故か嫌な気分を抱かなかった。
末野陸橋を渡り、狭い入り口を入ってすぐのアパートに辿り着く。岳が先導して階段を上がり、インターホンを鳴らすが応答が無かった。アンフィニが停車にしていたので良和は家に居るはずだった。
イヤホンをしてビデオでも観ているのだろうか?と思いノブを回すと鍵は掛かっていなかった。
ダイニングの電気は点いていなかったが奥の和室から光が漏れている。靴を脱いで中へ入り、佑太達を手招きする。
玄関を閉じると彼らは暗闇に包まれた。光の漏れる和室の襖に手を伸ばし、ゆっくりと開ける。
良和は畳部屋に散乱した漫画本の中心に居て、漫画を読んだまま顔を上げようとしなかった。
純が気さくに声を掛ける。
「やぁ。電気点いたんだね。どうだい?部屋には慣れた?」
「あぁ……まずまずかな。今日はなんだか疲れて仕方ねぇや。お、猿じゃん。久しぶり」
「お、おう。へ、部屋、破壊しに来てやったぜ!ははは!」
「こないだ来たばっかだで。勘弁してくれ」
岳と純はその場に腰を下ろし、散乱した漫画を数冊手にすると黙ったまま読み始めた。良和に存在そのものを無視されている佑太はズボンの裾を握ったり離したりしたまま、襖の前に立ち尽くしている。
良和は緊張しているのだろう。漫画本を読み始めては途中で止め、また新しい漫画本を拾っては読み始めるといった行動を繰り返す。
部屋は無言に包まれ、ページを捲る音だけが部屋にこだまし始めた矢先、視線を手元に落としたまま良和が言った。
「何しに来たん?」
視線を手元に落としたまま、良和が言った。その言葉は確実に佑太に向けられたものだった。張り詰めた空気をさすがの猿渡も察したのか、顔を見上げたまま何も言い出せずにいる。
すると佑太が突然、深々と頭を下げた。
「すいませんでしたぁ!」
「…………」
佑太の謝罪の言葉に良和は漫画を読むのを止め、手のひらで顔を覆った。そして岳に「煙草をくれ」と言い、火を点けた。視線は畳の上に落とされたまま、良和は静かに言った。
「許さないよ」
「本当……ごめんなさい」
再び頭を下げた佑太を、良和は見ようともしない。岳は不貞腐れたように佑太を眺め、純は二人の顔を交互に眺めた。
「本当ごめんって……悪かった。マジで」
「やられた事……全部覚えてるから」
「だから……本当に……ごめん」
良和の本気の怒りは純と岳に伝わっていた。悲しく、寂しく、冷たく、重たい怒りだった。
その時、手助けしないと宣言していた岳が佑太に声を掛ける。
「なぁ、本当悪いと思ってるん?」
「うん。思ってる」
岳の言葉に佑太は力強く頷く。良和が一瞬、佑太の顔に目を向ける。純は岳と目を合わせると僅かに微笑んだ。
そのまま岳は続けた。
「ヨッシー。怒ってるよな?」
「あぁ……まだね」
「今日……仲直りしよう。その為に、まず佑太はちゃんとヨッシーに謝る!」
佑太は良和の前に立ち、頭がぶつかりそうな勢いで頭を下げた。
「本当!すいませんでしたぁ!」
「…………」
「ヨッシー……本当悪かった。俺は……考え足らずで、ヨッシーに物凄く悲しい思いをさせちまった。これから先、時間掛かっても俺に詫びさせて欲しいです。お願いします……」
佑太の謝罪の言葉に良和は顎に手を置き、考え込み始める。そして少しの静寂の後、岳が言った。
「どうだろ?許してやれそう?」
「…………わかった」
良和の言葉に一同は胸を撫で下ろす。岳は佑太と良和の間に立つ。
「じゃあこれからの為にも仲直り出来るな?はい、握手!」
右手を差し出す佑太に、良和は戸惑う。岳は苛立ちをどこか隠せない様子で言う。
「俺さぁ、眠いんだよ。もうさっさと仲直りして俺を寝かせてくれ」
「え?がっちゃん帰っちゃうん?」
「ちげーよ。少し寝かせて欲しいんだよ。マジで眠いから」
「そうか」
岳の言葉に安堵したのか、良和は笑みを零した。そして、ゆっくりと佑太の差し出した右手を握った。
その瞬間、佑太はおなじみの甲高い嬌声を上げた。そして、純と岳が拍手を送る。猿渡は「事情知らねー!俺だけ知らねー!」と笑いながら拍手を送る。
2004年。彼らは気付けばもうすぐ21歳になろうとしていた。
再び集結した「変態倶楽部」の面々はようやく全員が揃った光景にたまらず笑みを漏らした。青春と呼ぶには少しばかり大人になり過ぎた最後の青春は、こうして幕を開けたのだった。




