黄色い月
良和に謝りたいと懇願する佑太。純はその機会を作ろうとするが良和はそれを完全に拒絶する。純は岳の力が必要と考え…。
ハザードランプを点けたままの佑太の車は、停車してから10分近く経っても先を行く様子は見られなかった。
部屋へと戻った純がブラインドから外を覗くと、佑太の車が動いていない事に気が付いた。外には出ずに佑太に電話を掛ける。
「もしもし?」
「あぁ……もしもし?」
良和への謝罪を岳に拒否されたのが堪えているのだろう、いつもの勢いの良い佑太特有の声では無かった。
純は佑太を邪険に出来ず、かといって素直にもなれない。
「車出さないならさ、駐車場に停めて中入れば?そこ、結構邪魔になるからさ。親父にバレたらうるさいし」
「分かった。ちょっと中入るわ」
「玄関開いてるから。どうぞ」
数分後、静かに階段を上がってきた佑太が髪の毛を掻き毟りながら部屋へと入って来る。部屋の真ん中に腰を下ろすと煙草に火を点け、弱々しい口ぶりで言った。
「がっちゃんさぁ……やっぱ怒ってたかな?」
佑太が良和の謝りたいと岳に伝えた所、岳は「ダメ」と言い切った。それどころか「俺には……その権利もねぇん……?」と訊ねた佑太にきっぱり「ねぇよ」とまで言い切った。車を降りる際、岳は車内の誰とも目を合わそうともしなかった。
岳の行動を反芻しながら純は苦笑いを浮かべる。
「がっちゃん……頑固だからね」
「そうなんだよなぁ……。俺さぁ……ヨッシーにもう謝れないんかなぁ……」
「謝るのは勝手じゃない?ヨッシーが受け入れてくれるかは別だけど」
「そこが問題なんだよ!なぁ……純さぁ……」
「あ……あぁ……。言いたい事は何となく分かるよ」
中学以来の付き合いの中で佑太が純に頼み事をする時のタイミングや間合いを、純は佑太の話し方で気付けるようになっていた。それは正に、あうんの呼吸ともいえた。
佑太がナンパした女グループと遊ぶ際、純が人数合わせに呼ばれる時と全く同じ間合いだったのだ。
「純……ヨッシーに俺が謝りたいって伝えてもらって良い?俺……隣で聞いてっからさ」
「まぁそうだろうなぁとは思ったけど。じゃあ……電話してみるよ」
部屋の時計を見ると時刻は夕方6時になる手前だった。純が良和のアパートへ遊びへ行くと約束していた時間に差し迫ろうとしている。
電話を掛けると良和はすぐに電話に出た。
「おぉ、純君。着いた?蛍光灯買ったで。今日やっと全部の部屋に電気点くようになったん」
嬉しそうな良和の言葉に純は思わず話し出すタイミングを失う。
「いやぁさ……ちょっとさ……その前に話があんだけどいいかい?」
「どうしたん?」
「えっとさ……俺とさ、あと……もう一人良いかな?」
「がっちゃんも来るんじゃないん?早く来なよ」
「がっちゃんじゃないんだけどさ……」
「……誰?」
純は佑太と目を合わし、頷くと呼吸を吐き出すタイミングでその名を良和に告げた。
「佑太なんだけど」
「…………そうなん?今一緒に居るん?」
「うん……まぁ……」
佑太が両手を組み、祈るようなポーズを取っている。しかし、その祈りは虚しくも届かなかった。
「なら、今日は佑太と一緒に遊んどいてくれ。がっちゃんは俺が迎え行くわ」
「いや!ちょい待って!」
「何?」
「佑太が謝りたいって言ってるんさ」
純の言葉に良和は何かを堪え切れない様子で噴出すような笑い声を漏らした。
「今さら何言ってるん。もう関わる気ないから、本当に」
「ダメなんかい?」
「あぁ……。今日は来ないでくれ。じゃあ」
そう言うと良和は通話を切った。純は携帯電話を座布団の上に放り投げた。
「ごめん。力及ばず。無理だったわ」
「…………そっか……」
佑太はそう言うと目頭を擦った。煙草の煙が染みたのか、涙ぐんだのか、一瞬の出来事で純には分からなかった。
中学校時代、放課後になると彼らは自然と集まり、そして共に行動するようになった。朝方の街を自転車で走り回り、嬌声を上げながら夜を走り、誰かの恋を見守ったり、同じ怒りを共有したりもした。
今思えばその時間のどれもがとても自由で、そして懐かしかった。
佑太がホストクラブに入店した良和を苛めさえしなければ、その関係は今も続いていたのかもしれない。
しかし、失った今だからこそ輝かしく見えたのか、それとも本当に輝かしかったのか、純はもう一度どうしても確かめたかった。
外れたピースになってしまったひとつのパズルを、純はまた元に戻そうと考える。
「がっちゃん……連絡してみようかな」
「がっちゃん?」
「うん。怒ってるかもしれないけどさ、それだけ考えてくれてると思うんだよ」
「仲裁してもらうって事だろ?めっちゃ怒ってたで。話し聞いてくれっかな……」
「電話してみるよ」
岳は部屋でギターを掻き鳴らしていた。鳴らしても鳴らしても、心の中にある膜は突き破れない。
誰かの無神経な言動にも、その無神経さに簡単に批判的になってしまう自分にも嫌気が差していた。
良和が自分に自信を持てないのは元からの気質もあった。しかし、良和が憧れるホストである佑太の行動が良和の中にあった微かな可能性すら根こそぎ奪ってしまったのではないかと思えば、岳は簡単に佑太を許す気持ちにはなれなかった。自分の事ではないのに、腹立たしさを覚えてしまう。
純からの着信に、岳は誰もいない部屋で奪うようにして携帯電話を取る。
「もしもし?」
「がっちゃん?今いいかな?」
「あぁ」
「今さ、佑太と居るんだけどさ」
「帰ってなかったんかよ。んで……何?用事あんのは純君じゃねーんだろ?」
岳の棘のある言葉に純は息を呑んだが、佑太に携帯を渡す事無く純は岳に言う。
「いや……俺からも用事があるんさ」
「大体分かってるよ。話してみ」
「あのさ……佑太が謝りたいって言ってるんだけどさ……何とか上手くヨッシーに伝えられる機会作ってあげられないかな?」
「はぁ?何で俺が佑太の為に動かなきゃなんねーんだよ」
「そこを……何とかならんかな?」
岳は純の言葉に苛立ちを覚えた。良和の事を知っているはずの純。それは失望にも近い感情だった。
「ヨッシーの気持ちより佑太が大事なん?」
「どっちが大事とか……そういう事じゃないんさ」
純の横で佑太は目を床に落としたまま、一字一句聞き漏らすまいと話に聞き入っている。すると、怒気を孕んだ岳の声が聞こえてくる。
「佑太がした事が原因でヨッシーは自信無くすようになっちまったんじゃねーの?家庭環境とかもあったかもしんねーよ?でもさ、これから新しい事にチャレンジしようって頑張り始めた人間の出鼻挫いたのは誰だよ!」
「そうかもしれんけどさ……俺が言いたいのはさ……」
純は言葉を紡ごうとしたが岳は言葉を吐き出す事を止めようとしない。
「純君だって見てただろうがよ!ヨッシーがどんだけ追い詰められてたか。佑太がしぶしぶ謝った時に「許さない」って言ってたじゃん。彰が仲裁入って佑太に謝らせたけどさ、あん時ヨッシーだって怖かったと思うぜ?俺は正直佑太とヨッシー、会わせたくもないね!」
「うん……。それは分かってんだけどさ……」
純は佑太に目をやると部屋の外へ出るように促した。佑太は純に不安げな眼差しを向けたが、部屋の中に佑太が居る限り、佑太を気にかけてしまう純は岳に自分の想いを伝えきれないと判断したのだ。
「分かってんだったら会わせようとする事はマジで止めてくれ」
「あのさ……がっちゃん。頼めんかな」
「…………」
「俺からのお願い……聞いてくれないかさ?」
「佑太のじゃねーの?」
「あのさ……佑太が謝ってヨッシーは許さないかもしれんけどさ……俺さ……また昔みたいに皆で仲良くやりたいだけなんさ」
「仲良しクラブ作ろうってか?」
「そう呼んでくれたっていいさ。もう一回さ、ただ皆で楽しくやりたいだけなんさ」
「例え出来たとしても……また壊れてなくなるかもしんねーで」
「それでもいいよ。ただ、俺の周りに変なわだかまり残ったまんまの奴がいるのも嫌なんさ。だってさ、ヨッシーと佑太って、本音で話し合ってないじゃない」
「ヨッシーが関わりたくねぇからだろ」
「そうじゃなくてさ……本気で謝れば伝わるかもしれないじゃん?俺らが手伝ってあげたらその機会も作れるじゃない」
「純君がやってやれよ。俺はヨッシーの側につくぜ」
岳が意見を曲げようとしない事に純は心が塞ぎ掛けた。良和を説得するのは結局、自分一人の力では無理だった。良和を説き伏せる役目はきっと岳なのだろう。純はいつも少し違う場所に居る岳を見続けてきた。
心の中でいつか自分も岳を圧倒させてやろうと思う日々。しかし、岳はいつも知らぬ間に一歩、二歩と自分の先を行ってしまう。
そこに追いつけない自分を、純は認められずにいた。背中を向け、見ていないフリを貫き通す事で自分の平静さを保っていた。しかし、純は岳の背中を見る覚悟をこの時に決めた。
自分でも恐ろしいと思うほど、純は素直にその言葉を口にした。
「俺じゃ無理だったんさ」
「…………」
「がっちゃんの協力が必要なんさ。もう一回だけ……皆で集まってみないかい?」
「そんなに集まりたい?」
「うん。俺には出来んかった。頼むわ」
岳は吸っていた煙草を揉み消しすと「分かった」とだけ言って電話を切った。
佑太が静まり返った部屋を覗くと、純はしばらくの間携帯の画面を眺めていた。
ブラインドから漏れる大きな光に気付く。空にはやたら黄色い月がぽっかりと浮かんでいた。




