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きみのねむるまち(プロット)  作者: 大枝 岳
終章〜きみのねむるまち〜
105/183

末野アパート

寄居町の片隅のアパートへ引っ越した良和。佑太との軋轢を抱えたままのある日、純が放った一言によって佑太は。

 がらんどうの2DKに荷物を運び終えると、良和と岳、そして純はダイニングの床に腰を下ろした。

 玄関を入って右側の部屋が6畳の洋間。その部屋の二つの窓を開け放つと右手側には少林寺に続く山が眼前に広がっている。奥側の窓を開ければ隣の敷地の運送会社と、近場の墓地が目に入る。

 玄関左手には10畳程のダイニングがあり、その隣室は6畳の和室となっていて両部屋とも、窓の開けると隣接する敷地に佇むかなり年季の入った蔵を目の前にする。

 蛍光灯の点けられていない天井を眺めながら岳は寝転ぶ。

 荷物を運び入れる際、向かいにある和風の戸建ての家の主人から突然


「またかおまえらか!いつもうるせーんだよ!いい加減にしろよ!」


 と怒鳴られた事を思い出し、話題に出す。荷物を持ったままアパートの階段を昇っていた純と岳は主人の言っている意味が全く分からず、小さな黙礼を送るしかなかった。


「いつもとか言われたけどさ……今日引越しだもんな。誰かと勘違いしてんだろうな」


 やや顔色は悪いものの、先日退院した純が腕組したまま眉間に皺を寄せる。


「何なのかな、あのオッサン。ちょっとムカつくな。まぁ……頭がおかしいんだろうけど」

「だろうなぁ。ヨッシー気を付けろよぉ?多分あのジジイ、トラブルメーカーだぜ」


 良和は岳の言葉に反応せず、純と岳が目を向けると親指を噛みながら激しく貧乏揺すりをし始めた。


「どうしたん……」

「今になってムカついて来た!何なん!?悪い事まだ何もしてねーじゃん!何なん!?」

「ちょ……落ち着けよ……頭おかしいだけだって……」

「こっちだって頭おかしいん!頭おかしい奴は頭おかしい奴に文句言って良い権利があるん!」

「お……おお。で、その権利を行使すると……」

「ムカつく!あームカつく!」


 普段は眠たげな良和の目は怒りの為に大きく見開かれ、完全に血走っている。その様子に岳は「まぁまぁ……」と嗜めるように声を掛けたが純は口を大きく開けて笑っている。

 良和は床を一発拳で殴ると颯爽と立ち上がった。


「言いに行ってくる!」


 そう叫ぶと良和は恐ろしいほどの機敏さで靴を履き、外へと飛び出して行った。

 呆気にとられた岳と純はしばらくの間力強く閉じられた玄関を見詰めていたが、やがて外から良和の大声が聞こえて来ると二人は手を叩いて笑い合った。

 これは面白い、と洋間の窓を開けてその姿を確認する。


「こっちはなぁ、今日初めてここに引っ越して来たんだよ!おい!聞いてんのかこの野郎!」


 向かいの家の主人は庭に水を撒いていたのだろう、水が流れっぱなしのホースを片手に半ば放心状態で良和に反論する事無く怒鳴られている。


「あいつすげーキレてんな」

「ヨッシー、豹変ぶりがハンパないね。がっちゃん、あれがスーパースカトロ人ヨッシーだよ」


「何でいつもうるせーって言ったのか言ってみろ!言ってみろよ!言えねーのか!なら、もう文句言わないな!?」

「あのですね……あの……」

「もう言わねーんだな!?」

「あ……はい……」

「次言ったら殺すからな!殺すぞ!」

「あの……すいません……」

「わかっとけよ馬鹿野郎!クソジジイ!」


 そのやり取りに岳と純が腹を抱えて笑い合っていると、真っ赤な顔で歯を食いしばり、肩で息をする良和が帰ってきた。


「言ってきてやった!ムカついたん!ちきしょー!」

「見てたよ!あー!おもしれぇ!」

「誰にも文句言わせねぇ!絶対!言わせねぇ!」

「こえーよ!これじゃ誰も文句言えないよ!」


 腹を抱えて笑う純の横で、普段は「女が怖い。話せない……」と自信なさげに落ち込む良和の豹変ぶりに岳はその奥に秘められた凶暴性に惹かれていた。


 それは純が何気なく発した言葉が発端となった。

 春の陽気が深まったある晴れた土曜日。佑太の提案で岳と純、そして数年ぶりに再会した猿渡と共に4人はドライブをしていた。遊ぶ約束をしていた前日に純が駅前で偶然猿渡と会い、純が猿渡を誘ったのだった。

 猿渡は仕事をしておらず、小遣いで「アニメイト」へ向かう途中だったのだという。

 突然の猿渡の登場に佑太は戸惑いながらも車内で声を掛けた。


「おめーさぁ、いきなりアイスピックとかで背中刺すんじゃねーぞ?俺運転してんだからさぁ」

「そっ、そんなチンケな事しねぇよ!ははは!やるなら包丁でブスー!だ!はははは!」

「こいつ連れて来て良かったんかよ!?純!」


 純は「我、関せず」といった様子で窓の外を眺めている。そして、長閑な口調で呟いた。


「本庄辺りってさぁ、かなり広い畑いっぱいあるんだなぁ」

「そうじゃねぇだろ純!?俺は今、猿渡の話ししてたんだよ!」

「はははは!佑太!あの歩いてる老婆轢き殺そうぜ!はははは!」

「何でこんなの混じってんだよ!おい!」


 佑太の絶叫をよそに、岳が生真面目に答える。


「純君、本庄の辺りは寄居と違って地形そのものが拓けてるから畑が広いんだよ」

「あぁ、そっか。すると土壌とかも違うんかさ」

「おめーら何なんだよ!もう!」


 岳と純は佑太の言葉を無視し続けたが猿渡が実際に佑太を刺したりする素振りもなく、佑太は次第に落ち着いていった。

 運動公園のアスレチックで純と佑太と猿渡が子供のようにはしゃいで遊んでいると、岳が珍しく同じように遊具で遊び始めた。

 彼らと同じように颯爽とターザンロープに乗ると、滑車が回り出す。すると、スタート直後に岳はバランスを崩し、足を滑らすと頭からほぼ垂直に落下した。

 岳は「もうやらない」と機嫌を損ねると、芝生の上に座り始め微動だにしなくなった。遊び疲れた三人が岳の隣に腰を下ろす。

 佑太が笑いながら岳の肩を叩く。


「さっきの最高だったぜぇ!もう一回やってくれよ!」

「やりたくてやったんじゃねぇ!もう絶対乗らない!」

「ははははは!面白ぇなぁ!」


 佑太はひとしきり笑うと、呼吸を整えて涙目で言った。


「あー……笑った。皆、この後どーする?」


 すると、純が欠伸をしながら何気なく言った。


「ふぁ……あ。あー……末野のヨッシーん家行かなきゃなんだよね」

「末野?」


 純の一言に佑太は思わず目を丸くしている。岳は咄嗟に純を睨みつけたが、既に遅かった。

 佑太と良和は岳達が高校時代に起きた軋轢以来、互いの溝が埋められずそれから数年間、現在に至るまで音信不通の状態だった。

 二度と佑太に会いたくないと言っていた良和を思い、いつか詫びたいと言っていた佑太には良和が寄居に居る事は一切伏せていたのだ。

 佑太の前では数年間、禁句として話題にも出さなかった。

 その禁句は今、純の口によりあっさりと破られた。

 佑太が純に詰め寄る。


「なぁ……ヨッシー居るの?寄居に居るん?」

「それは……その……。ううん、何て言ったらいいかな……」

「何だよ……言ってくれよ……」

「いや……」


 事情を全く知らない猿渡が呑気に「今から良和ん家、襲撃しようぜ!」とはしゃいでいる。

 岳は額に手を当てたまま項垂れ、彼らに告げた。


「帰ろう」

「ちょっと待ってくれよ!ヨッシーいんのかよ!なぁ!がっちゃん!」

「が、がっちゃんどうしたん!?襲撃しようぜ!頭から落ちてまだ機嫌悪いままなん!?はははは!」

「いいから帰ろう。今日は解散」

「…………分かったよ……」


 帰りの車内の岳と佑太、純はほとんど会話を交わさなかった。異常なほどの静けさの中、カーステレオから流れる歌手の「逢いたくて 逢えなくて」という歌詞に合わせ、猿渡が「あそこークセー!あそこークセー!」と替え歌を歌い、一人で笑っていた。

 車が男衾へ入ると、助手席の岳に向かって佑太が呟いた。


「謝るだけ、もダメなん?」

「…………」


 車がベイシアの角を曲がり、駅方面へと向かう。岳の自宅近くに車が停車すると、ようやく岳が口を開いた。


「ダメ」

「俺には……その権利もねぇん……?」

「ねぇよ。じゃあな」


 そう言って岳はドアを閉めると自宅の中へと姿を消した。ハンドルに凭れたまま、佑太は「んだよ……」と声を漏らす。

 純はある事を思い描いていた。そして、それを実行する為に岳の力が必要だった。

 またいつかの日のように、皆がひとつになる為に純は奔走する。

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