約束はいらない-22◆「良からぬ兆候」
■隣町/目医者→月代町/神明神社
「車が到着したら、戻りましょう」
冬流が窓から外を見ていると、古い四人乗りの自動車が、医院の門を入ってくる。
「あっ、来ました!」
冬琉の声を聞いたローランはいち早く外に出た。古びた自動車の扉を開けると、冬琉と一緒に、カーシャが自動車に乗る手助けをする。外は日差しがきつい。ローランは蒼穹を仰ぎ見ると冬琉に言った。
「日差しを避けるために、鍔が大きい帽子を用意した方が良いかもしれませんね」
「そうですね。カーシャさんにはこの日差しは強すぎるでしょう。麦わら帽子ならあるかもしれません。ちょっと先生に聞いてきますね」
急ぎ医院に入ると、程なく冬流は少し草臥れた麦わら帽子を持って出てきた。
「ありました! カーシャさん、どうぞ」
「お手数を掛けるな、冬流殿。忝ない」
「そんな! 困ったときはお互い様ですよ」
丁寧なカーシャの礼に、特別なことはしてませんよ~、と冬流は少し照れたように笑う。
ローランは冬琉の笑顔に微笑んで会釈すると、扉を閉めると鋭い目で周囲を警戒する。
「では、戻りましょうか」
「えぇ。ローランさんは前にお願いします」
そう言うと、冬流は後部座席に座るカーシャの隣に乗り込んだ。
ローランは、冬琉に言われた通り助手席に座る。
「文作さん、お願いします」
「合点でさぁ、嬢さん!」
しっかり掴まって下さいよ、と言いながらも、車屋の文作は古い自動車を慎重に発進させた。
古い自動車が、ガタガタ言いながら医院の門を出て行くのを見送ると、老医師は医院に入ろうと入り口の扉に手を掛けた。
「ん?」
再び車の音がしたので振り返ると、丁度黒塗りの車が医院の門を通って入ってきた。
厳しい表情で、老医師は車が来るのを眺めた。
☆ ☆ ☆
海岸通りの路を、文作の古い自動車はゆっくりと走っていた。カーシャは黙って顔を俯かせており、冬流はそのカーシャを気遣うように注意を払っていた。雰囲気を変えようと、努めて明るくローランが尋ねる。
「この辺りは冬になると寒いんですか?」
「冬場が雪が多くてねぇ。寒さも厳しいですよ」
気さくに文作が言うと、冬流も頷いた。
「えぇ、雪下ろしがとっても大変なんです。積もりすぎる前にやらないと、屋根が抜けちゃいます」
「夜に屋根が軋む音を聞くと、すぐにでも雪下ろしをやらねば、と想うんでさぁ」
「屋根が軋む・・・」
あれは心臓に悪いねぇ、と文作が笑った。
「それはおちおち寝てもいられませんね」
ローランも文作につられて笑っていた。
「海と山があって自然豊かですし、親切な方がばかりで、とても良いところですね」
「気に入ってくれると嬉しいです」
はにかんだように言うと、冬流は花開くように笑った。
そんな時、急に車の速度が落ちる。
「文作さん、どうしたの?」
「いえ、嬢さん、向こうで憲兵が検問をやってるのが見えたんでさぁ。何か良くない雰囲気なんで、別の路を行きますね」
「・・・そうですね。そうしましょう」
少し眉根を寄せると冬流は言った。車はガタゴトと揺れながら本道を逸れ、細い支道に入った。
幸い、素早く転進した為か、旨く見咎められずに済んだ様だ。
「憲兵が検問をしていると言われましたが、頻繁にあるのですか?」
「いいえ。舞鶴軍港が近いのですが、ここは田舎で何も重要なものはありません。憲兵の検問など、とんと見た事もありませんわ」
冬琉は小首を傾げて言う。
「そうですか。何か起こったのですかね・・・」
ローランは、先の連合艦隊の入港に関連して、外国スパイの取り締まりを強化している可能性を考えた。だが、これ以上面倒に巻き込まれるのは避けたいので、あまり自分とは関係がないような口調で、余計な事は言わない様に気をつけた。