約束はいらない-09◆「蜃気楼の海」
■ステリック公国/ラダックの砦
リュラックに導かれてカーシャとローランは母屋に入ると、広間に陣取った。
すぐに給仕が現れ、各人に冷えたエールのジョッキが渡される。
「リュラック殿。光る泉についてなど、いくつかお伺いしてよろしいでしょうか?」
「勿論です。その為にわざわざこんな辺境にいらっしゃったのでしょうから。」
ローランはカーシャにちらりと視線を向けた後、徐に話し始めた。
「お話はお聞きしているのですが、光る泉を発見したときの状況をお願いします。発見するにあたり、気づいたこと、特殊な事象などがありましたら、関連なしと思われてもお教えください。」
「判りました。あれは、二週間前の事でした。私と、部下の辺境ボーダー・パトロール隊員十二名は、不帰の峠からジョオテンズの奥に六日入った辺りをパトロールしておりました。普通は、その様な奥地までパトロールする事は有りません。しかし、巨人が不穏な動きを見せていると言う情報が入った為、通常より三日分奥地へ分け入ってみたのです。」
リュラックは、ここで一旦言葉を切った。その時の状況を正確に思い出そうと、顔を少し顰めると先を続けた。
「夜、魔法的手段に保護されて野営しているとき、見張りの隊員が南方の山の向こうが光っているのを見つけました。隊員達は色めき立ちました。何しろ、暗黒戦争が終わってまだ間もないのですから。しかしながら、夜間の行軍はリスクが大きい為、我々が調査に赴いたのは翌日でした。
発光現象は既に収まっていたものの、方角を計測して置いたので、大体の場所は見当が付きました。野営地点を出発して、凡そ4時間行軍したでしょうか。唐突に前方に発光現象を確認したのです。方角も昨夜計測した方向と一致し、昨晩の発光現象であろうと容易に予想できました。我々は慎重に発光現象の源に接近しました。」
当時の状況を思い出したのか、リュラックはゴクリとつばを飲み込んだ。
「手前で下馬した我々は、二人の斥候を出しました。経験を積んだ猟兵である彼らは、音もなく下ばえの中を消えて行き、暫くすると一人が戻って来ました。彼が言うには、前方に幻影が映る湖があるというのです。」
「それが問題の、湖か。」
「そうです、ラダノワ閣下。私はその部下を連れて、自分で確かめに行きました。15分位先には直径1500フィートの丸い湖があり、その中央部が発光していたのです。そして、その発光現象の上、即ち湖の上に時折ちらちらと景色が映っていたのです。その光景は、どこかの南の海の様に見えました。」
「発光現象とともに、湖の上に南の海のような光景がが写っていた・・・」
聞いた言葉をかみ砕くように反芻するローランに、リュラックは頷いた。
「その通りです、ローラン殿。」
「光る湖は、暗黒神神殿の近くにあるとお聞きしていますが、暗黒神神殿神殿の最近の動向はどうなっていますか?」
「暗黒神の神殿は封鎖されています。現在は、幸い何の動きも有りません。」
「そうだろうな。神が居なくなってしまったのでは、その場所の脅威も減るだろう。」
「はい。その上、あそこは周囲にシェリドマール同盟の魔導師が魔法結界を張っています。体制は万全です。」
「発光現象が、暗黒神の影響である可能性はかなり減少しますね・・・」
「そうだな。仮に暗黒神が関係しているとしたら、幻影だけで済むとは思えないからな。」
カーシャはローランに重々しく同意した。
「空に写っていた『真夏の海』。海以外になにか写っているものがありましたか?」
「いいえ。実際の所、その映像自体がちらちらしていたので、辛うじて真夏の海である事が分かった位で、それ以上の事は分かりませんでした。」
「そうですか・・・」
「青い海と、輝く太陽が見えただけです。見かけから、真夏の海であろうと判断しました。無論、ボーダー・パトロールの他のメンバーも同意見です。」
「なるほど。他のボーダー・パトロールの他の隊員も同じように見えている。そして輝く太陽も見えたのですね・・・」
「はい。」
「湖が光っているのは、リュラック殿がその地を去った後も持続していましたか?」
「いいえ。暫く発光現象は継続したものの、一時間位で消えてしまいました。後は、普通の平穏な湖が残っただけです。」
「発光現象の間隔は、不規則という事か・・・」
眉根を寄せたカーシャは、思案顔で言った。
「その現象には、特に規則性等感じられませんでした。」
「湖の上に写った景色は、蜃気楼のようだと考えてよろしいでしょうか?」
「そうですね。しかし、蜃気楼よりは映像がはっきりしていました。」
「私の推測ですが、湖の上に、湖の中心から映像が映し出されているような印象を受けたのでしょうか?」
「そうですね。その表現が一番的確です。」
ローランの言葉に、リュラックは大きく頷いた。
「魔法による聖邪探知、魔法探知はどうでしたか?発光現象以外に発光現象の消滅後に変化はなかったのですね。」
「隊の魔導師で有る妖精が魔法による探知を試みましたが、聖邪の違いは探知できませんでした。」
「そうですか、では魔法的な反応はあったのでしょうか?」
「いいえ。不思議なことに、魔法的反応も探知しませんでした。どう考えても、幻影魔法が掛かっているとしか思えませんでしたが・・・」
「最後に、この地方でのそのような現象の伝承、前例などはありましたか?」
「いいえ。当方の記憶には、その様な先例は有りません。」
「リュラックはこの美智二十年だ。彼が知らなければ、先例はないと考えても良いだろう。」
カーシャが口にした言葉に、リュラックは誇らしげに頷いた。こういう面が、厳しい乍らもカーシャが皆に支持される理由なのだろう。
「わかりました。先例もない・・・」
ローランは腕組みして唸った。
「むぅ。難しい・・・。発光現象の継続が不規則であり、湖の上に写る景色が『真夏の海』である・・・。巨人族の不穏な行動は発光現象の影響で、生じているかもしれません。また、発光現象と巨人族の不穏な行動に別の関連性があえることも考えられます。」
「発光現象が、巨人族に影響している事は十分に考えられるな。我々から、ないしは別の強大な存在からの圧力と取れ無くもない。それ以外の関連性は薄いとは思う。」
「また、いろいろな可能性を考えられなくもない。」
「ふむ。どの様な可能性だ?」
「発光現象を起こして、誰かを、または何かを呼び寄せようとしているなどです。」
「・・・」
ローランの言葉に、リュラックははっとなった。幻影が見える事自体が異常事態だが、見方によっては、それだけでは済まないかも知らない。カーシャは顔を顰めたまま無言だ。
「ただ、湖の中央部になにか原因があります。発光現象は不規則です。しかし、短絡な答えになってしまいますが、現地に赴き、中央部の原因を調査することが必要だと考えます。」
「いや、短絡的などとは思わんよ。貴方が言うのは原則だからだ。常に現場に立ち返れと言うな。」
それだけ言うと、カーシャは剣を手に立ち上がった。
「閣下、どちらへ?」
「リュラック、一番高い望楼は何処か?」
「こちらです。」
「案内を頼む。正確な方角が知りたい。」
リュラックとて臨機応変、飲み込みの悪い方ではない。一瞬でカーシャの要望を理解すると、扉を開けて先導する。
「ローラン殿。貴方も来ないか?」
「はい、参ります。」
ローランは頷いて立ち上がると、カーシャとリュラックの後を追った。
お待たせいたしました。槍聖ローランの物語の続きです。いよいよ、「真夏の海」への糸口を掴んだローランですが、彼の行く手にはまだまだ試練が待ちかまえています。この続きは、また次回に・・・。