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甲府宰相徳川綱重の悩みと船諸法度

 さて、今日は藤乃の所に水戸の若様が来ている。


 そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かっている。


「水戸の若様が、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」


「おう、わかった今行くぜ」


 とりあえず、俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


 すっと障子を開けて中を見る。


「おお、楼主よ来たか。

 このおむらいすとやらは美味いのう。

 お前さんは本当に毎回色々驚かせてくれるわい」


 畑で収穫できたり長崎から届いたりして玉ネギとトマトがようやくそれなりに揃ったのでトマトケチャップやトマトソースを使った料理を今回は出していて、水戸の殿様が食べてるのは半熟卵のオムレツで紡錘形のケチャップ味のチキンライスを包んでケチャップをかけたおなじみのオムライスだ。


 ちなみにオムライスも日本独自の洋食であってどこかの外国の料理ではなかったりする。


 でもまあうまいよなオムライス。


 勿論生卵は水できれいに洗った後乾燥させてサルモネラ菌対策はしてるぜ。


 そして徳川光圀はニンマリと笑う。


「紹介しよう、先代将軍家光様のご子息で甲斐甲府藩主、上様の弟君の徳川綱重とくがわつなしげ様だ」


 俺は徳川綱重に頭を下げた。

 この人は学問に理解がある温厚な人物でその人望はきわめて高かったとされるが、兄の第4代将軍・家綱に先立って35歳の若さで死去しているはずだな。


 彼はうまそうにマルガリータピザを食べている。


「お初にお目にかかります、三河屋楼主戒斗です」


 綱重は鷹揚に答えた。


「うむ、私が徳川綱重だ。

 このまるがりぴざとやらはなかなかに美味だな。

 そしてお前は尾張と紀伊の殿様方の病を治したと聞いている。

 そのそなたに話を聞いてもらいたいのだがいいだろうか?」


 彼は日本数学史上最高の英雄的人物と呼ばれる関孝和を抱えるなど学問に深い理解があり、甲府に湯島聖堂と同様の聖堂を作ろうとした。


 綱重自身は将軍家の一員として江戸の屋敷で生活しており、甲斐甲府へ赴いたことはないがな。


 21世紀現代の浜離宮恩賜庭園にあたる甲府浜屋敷をもっていてその人望はきわめて高いときく。


 若くしてなくなっていて死因は酒害というが、実際の死因は不明で自殺説もあるが毒殺された可能性もあるんじゃないかと俺は思うがな。


 そして甲斐はその土地の貧しさ故に年貢が高額で、結果治安が悪くなり、富士や浅間の噴火の被害も度々受け川の氾濫などの天災も頻発するというなかなか厳しい場所だ。


 金山の金も枯渇しつつあるしな。


「はい、私でなんとか出来ることでありましたら」


 重苦しい口調で彼は話し始めた。


「うむ、甲府では水腫腸満はらっぱりと呼ばれる病が有ってな、特に盆地の西の水田や沼などのある湿地帯の住民が多くかかる病なのだ。

 最初は皮膚が痒くなったり、熱を出したり、下痢をしたり食欲不振や倦怠感、お腹に違和感などから始まり、最後には手足が痩せ細り、皮膚が黄色く変色し、腹部が大きく膨れ死亡するのだ。

 これをなんとか出来ぬかと思ってな」


「ふむ、甲府の水腫腸満はらっぱりですか」


 これは日本住血吸虫症と呼ばれる寄生虫による病気だな。


 宮入貝ミヤイリガイというカタツムリである巻き貝を中間宿主としているためこの貝の存在しない場所では発生しないが甲斐の甲府盆地、 備後の片山地方、北九州の筑後川流域の三箇所が特に被害が大きく、利根川流域や富士川流域でも被害が確認されている病気だ。


 そしてその中でも甲府盆地は特に被害が大きく「水腫腸満はらっぱりで腹が出ると、絶対に死ぬ」ことと「富裕層はほとんど感染しない」ということは知られていて、川遊びをする子供たちに対して「きれいだからといってホタルを捕ると、腹が太鼓のように膨れて死んでしまう」、「セキレイを捕まえると腹が膨れて死ぬ」という迷信もあった。


 そして甲府盆地に生まれた農民はこれで死ぬことを非常に恐れていたし、出来る限りそういった村には嫁を送らないようにしていたらしい。


 古くは武田氏が滅亡する際にもその記述があったりするし、更に古くは北条政子の妹の北条時子がかかっていた可能性もあるらしい。


 北条氏は石橋山で頼朝が敗北した後、一時期甲斐に避難していたからその時にかかったのかもな、ともかくこの病気の歴史はとても古くおそらく甲斐の甲府盆地に水田を作ったころから存在していたのだろう。


 ただでさえ平地が少なく水田を作れる場所が少ないの甲斐でこういった病気があるのは悩ましいところだろうな。


 最終宿主は人間や犬猫牛馬などの家畜で田を耕す牛などにも寄生しその糞から広がったりする。


「おそらく水腫腸満はらっぱりは目に見えぬほど小さな虫のせいでありますゆえ可能であれば湿地帯の水を住民の皮膚に接触させないのが一番だとは思います」


 徳川綱重は不満そうだ。


「それでは田植えも出来ぬではないか」


 まあ気持ちはわかる。


「そうではありますが、特に水腫腸満はらっぱりの被害の大きい村に関してはなるべく水田はやめて畑として蕎麦や小麦、じゃがいもやさつまいももしくは桃や桑などの果樹の栽培を行わせたほうが良いかと。

 蕎麦や麦であればうまく食べられる方法も増えておりますゆえ。

 またその他の場所でも虫の宿主となるカタツムリを食べる昆虫のホタルやガムシの幼虫を積極的に放したり家鴨を放して食わせたりするのが良いかと思います。

 また、生石灰の粉を作りその粉を田圃や用水路に散布するのも有効かと思います。

 人間の糞便から広がるのを防ぐために、おが屑厠を甲府でも導入し、おが屑が足りない分は

 藁で補って虫の卵を腐熟させ殺すのもよいかと。

 家畜や野良犬、野良猫など動物の糞便も見つけたら可能な限り焼却するか田畑での家畜の糞便はできる限り収集し

 肥溜めに集め発酵させて田畑に撒くようにすべきかと思います。

 また、凶作に備えて麦や蕎麦、稗粟などの雑穀等の備蓄もされたほうが良いかと。

 古くなったものは飼料に使うという手もありますゆえ」


 ミヤイリガイは水陸両生で行動範囲が広く、水中だけに生息するわけではないのがたちの悪いところだ。


 しかし、この繁殖力の非常に強いカタツムリが特定の狭い地域にしか居ない理由は21世紀現代でもわかっていないのだが。


「ふむ、なるほど。

 そなたの意見はわかった。

 紙に書いてまとめてもらいたいが良いか?」


「は、かしこまりました」


 とりあえず後で紙に書いてまとめておくことにしよう。


 遊女に直接関係することではないとは言え、多くの人の命がかかってることだしな。


 そして水戸の若様がそれに続いていった。


「それから唐の国や南蛮との交易の拠点の出島のほうだが伊豆大島への移動が完了した。

 これで南蛮や唐の動向もわかりやすくなるであろうし南蛮の鳥獣や食べ物、書物も手に入れやすくなるというものだな」


 俺は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。

 これで俺の料理材料も手に入れやすくなるというものですし医学書などがあれば病に苦しむものを救うことも出来るようになりましょう。

 それと、寛永15年の大船建造禁止令の武家の500石積み以上の軍船の建造禁止は当然そのまま続けるべきでありますが、

 民間商人もまだ建造を自粛したままであります。

 しかしながら、海運発達はこれよりますます重要な事になるでしょう。

 故にもう一度通達を徹底するために船諸法度を作ってはいかがでしょうか?

 内容としては

 一つ、武家以外、如何様な船を作ること勝手たるべし。大きさ、作りとも勝手なり。

 二つ、武家以外、軍船作るべからず。商用船にはいかなる武装もとりつけることはならず。

 三つ、武家は、商人より大型船を召し上げ軍船とすることをかたく禁ず。

 年貢米を運搬する運用船の大筒による武装も禁ずる

 また海賊行為を働いたもの、抜荷を行ったものは全て死罪とする。

 こんな所でどうかと思うのですがいかがでしょうか?」


「ふむ、寛永15年の改訂で制限対象は軍船であることは明示したはずなのだがな」


「商人の方はともかく諸藩はそこまでちゃんと理解しているかわかりませんからね」


「ふむ、では上様に相談してみるとしよう」


「ありがとうございます」


 大型商船を作らないのは商人が空気を読んだのか大名が禁止させているのかは定かではないが、おそらく慶長14年(1609年)の西国大名に対する軍船と商船両方の大船没収令にならって、1635年(寛永12年)の武家諸法度の船の帆柱檣(マスト)を2本以上にする事の禁止。船底の[竜骨]を禁止し、平らな構造にすることを含めた大船建造禁止令のときも全国的に大きな商船は持っていても作ってもいけないと勘違いされたのが原因だな。


 まあ、竜骨の禁止などは海外貿易禁止というのも有ったろう。


 1609年当時は関ヶ原の戦いで家康が勝利したが、まだ大坂の役の起こる前で西国の大名は豊臣恩顧のものが多かったから厳しく制限したんだが、平和になった今ではそこまでする必要があるか微妙なんだよな。


 まあ、江戸の名物の一つでもある深川に係留されている超大型安宅船の安宅丸みたいに実用性がないほどでかい船もどうかと思うけど。


 本当は日本から東南アジアなんかに船を向かわせる朱印船貿易の復活もさせたいとは思うが、キリスト教が絡んでくるので難しいだろうな。


 とりあえず孔雀やヒクイドリ、インコやオウムなどのこの時代では珍しい鳥やバラや西洋蘭なんかの西洋のきれいな花などを手に入れられれば人も集まるだろう。


 そう言えばこの時代ドードーなんかは食用とされていたっけ。


 安く買えればドードーも飼ってもいいな。

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