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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う  作者: 水源
明暦4年・万治元年(1658年)

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そろそろ茸の人工栽培に手を出してみようか・ついでに鰹節も作ろう

 さて。


 色々とやることが増えて、正直なところ暇とは程遠い。


 新しい施設の建築も進めなければならないし、人も集めなければならない。


 求人に応募してきた者の面接もある。


 吉原の人別改帳だって作らなければならない。


 だが、全部を俺が抱え込む必要はない。


 新しい施設を建てるのは大工の仕事だ。


 人別改帳の作成や確認は、高坂伊左衛門に任せてある。


 あいつなら、任された仕事を投げ出したり、手を抜いたりはしないだろう。


 だから俺は、俺にしかできないことをやる。


「……さて」


 机の上に広げていた書類から顔を上げた。


 窓の外では、風に煽られた木の葉が、さらさらと音を立てている。


 季節は少しずつ移り始めていた。


「そろそろ、茸に手を出すか」


 茸。


 日本では昔から食べられてきた食材だ。


 だが、ただ山へ入って採るだけでは安定しない。


 欲しいときに欲しいだけ手に入るわけではないからだ。


 だったら――育てればいい。


 俺の知識では、茸は植物ではない。


 菌類だ。


 木の中や土の中に、細い糸のような菌糸を伸ばして生きている。


 普段、俺たちが目にしている椎茸は、その菌が作る子実体にすぎない。


 つまり。


 椎茸そのものを増やすのではなく、その元になる菌を増やす。


 これが人工栽培の基本になる。


「理屈だけなら、そんなに難しくないんだけどな」


 問題は――実際にやることだった。


 江戸では、すでに各地で椎茸を増やそうとする試みが始まっているらしい。


 炭焼き用の原木などに自然に椎茸が生える。


 なら、その木を使えば次も生えるのではないか。


 そんな発想から始まったものだ。


 俺がやるのも、その延長だ。


 ただ、勘に頼るのではなく、なるべく条件を揃えてみる。


 どこまで確実にできるか。


 それを試す。


 椎茸なら食える。


 それだけじゃない。


 干せば長く保存できるし、出汁にもなる。


 寺の精進料理にも使える。


 肉や魚を使えない環境では、この旨味はかなり大きい。


 栄養だって悪くない。


 ビタミンB群なども含まれているし、種類によっては紫外線に当てることでビタミンDに関係する成分も増える。


 薬効については、過度な期待はしない方がいい。


 霊芝だの冬虫夏草だの、昔から薬として珍重されている茸はある。


 だが、茸なら何でも病気が治るというわけじゃない。


「結局、うまくて、食べられて、保存が利く。それだけでも十分だ」


 それに――。


「出汁が旨くなる」


 これが大事だ。


 俺は立ち上がった。


「よし。今日は山だな」


 すぐに人を集めた。


 遊女たちの中でも身体を動かすのに問題のない者。


 若い衆。


 山へ入る以上、着物も普段のものではない。


 袖をたくし上げ、裾を邪魔にならないよう整える。


 草鞋を締め、脚絆を巻く。


 背負子。


 籠。


 鉈。


 必要なものを一つずつ揃えていく。


「重うござんせんか?」


 桃香が背負子を背負いながら、ちらりとこちらを見た。


「大丈夫だ。無理なら途中で言えよ」


「へい!」


 桃香は嬉しそうに笑った。


 俺はその顔を見て、少しだけ笑う。


「じゃあ行くぞ」


「はい!」


 館を出る。


 冷たい風が頬を撫でた。


 山へ近づくにつれ、街の音が遠ざかっていく。


 代わりに聞こえてくるのは、鳥の声。


 木々の葉擦れ。


 自分たちの足音。


 ざく。


 ざく。


 乾いた落ち葉を踏みしめるたび、足元から小さな音が返ってくる。


 山へ入ると、空気そのものが違った。


 湿った土の匂い。


 腐葉土の匂い。


 苔の青臭い匂い。


 そして、ところどころに、鼻を近づけると分かる茸の匂い。


「この辺りだな」


 俺は足を止めた。


「椎茸は、古い倒木や切り株をよく見てくれ」


「へい」


 皆が散っていく。


 木の根元を覗き込み、腐った倒木をひっくり返す。


 葉を掻き分ける。


 枝を持ち上げる。


 山の中は静かだった。


 だからこそ、小さな声がよく響く。


「こっちは何もない!」


「こっちもです!」


「茸がありやせん!」


「焦るな。見落とすなよ」


 俺自身も周囲を見回した。


 椎茸は地面に生えるわけじゃない。


 木に生える。


 だから見る場所を変える。


 土ではなく木。


 生きている木ではなく、弱った木。


 倒木。


 切り株。


 その割れ目。


 樹皮の隙間。


「……ん?」


 ふと足を止めた。


 薄暗い木陰。


 倒れたナラの木に、何か茶色いものが見える。


 一歩。


 さらに一歩。


 近づく。


「おお」


 椎茸だった。


 小さな傘が一つ。


 その隣にもう一つ。


 さらにその奥にもいくつか。


「ありやしたか?」


 若い衆が駆け寄ってくる。


「見ろ。椎茸だ」


「本当だ……」


 皆が顔を寄せる。


 土と木の匂いに混じって、茸独特の香りが鼻についた。


「戒斗様!」


 少し離れた場所から声が飛んできた。


「ありましたー!」


 桃香だった。


 俺たちはそちらへ向かう。


 桃香の前にも椎茸が生えている。


「よく見つけたな」


「えへへ」


 得意そうに胸を張る。


 俺は茸を見る。


 次に、その茸が生えている木を見る。


 そして鉈を取り出した。


 ぐっと柄を握る。


「何をするんでやんす?」


「木を持って帰る」


「木を?」


「ああ」


 鉈を振り下ろす。


 ガツン。


 乾いた音が山に響いた。


 もう一度。


 ガツン。


 木の繊維が裂け、切り口が少しずつ広がっていく。


 腕に伝わってくる衝撃。


 樹皮の匂い。


 やがて、ずしり、と木が傾いた。


「よし」


 若い衆が慌てて支える。


「気をつけろ!」


「へい!」


 切り出した原木を背負子へ載せる。


「なんで木まで持ってくるんでやんす?」


 桃香が不思議そうに首を傾げる。


「この木の中に、椎茸を育ててる菌がいるかもしれないからだ」


「木の中に?」


「ああ」


「茸は外に生えてるのに?」


「見えているのは茸だけだ。中ではもっと細かいものが広がってる」


 桃香は木の切り口を覗き込んだ。


「見えないでありんす」


「見えなくてもいる」


「へえ……」


 よく分からない、と顔に書いてある。


「まあ、家へ帰って実験してみれば分かる」


「実験?」


「ああ」


 桃香が笑った。


「楽しみでありんすな!」


「そうだな」


 それからも山を歩いた。


 椎茸。


 木耳。


 霊芝。


 たもぎ茸。


 薄ひら茸。


 見つけた茸を片っ端から持って帰るわけではない。


 腐りきったものは捨てる。


 虫に食われているものも避ける。


 獣に荒らされたものも使わない。


 状態の良いもの。


 それが生えている木や枝。


 それを選ぶ。


「こいつもだ」


「また木でありんすか?」


「ああ」


 背負子が重くなっていく。


 肩へ紐が食い込む。


 汗が背中を伝う。


 それでも、誰も文句を言わなかった。


 むしろ、皆どこか楽しそうだ。


「本当に増えるんですかね?」


 若い衆が原木を見ながら尋ねた。


「分からん」


「分からないんですかい?」


「やってみないと分からない」


 俺は苦笑した。


「だから実験なんだよ」


 その日の夕方。


 皆で山を下りる。


 背負子には茸と原木。


 籠には採ったばかりの茸。


 身体はくたくただった。


 だが、館へ戻ると待っていたのは茸の香りだった。


 その日のうちに、いくつかを汁物にする。


 鍋から立ち上る湯気。


 そこへ椎茸の香りが混ざる。


「いただきます」


 汁を一口。


「……うむ」


 口の中に旨味が広がった。


「やはり旨いな」


 だが、桃香は隣で眉を寄せている。


「……なんか変な味でやんす」


「椎茸が嫌いか?」


「うう……」


 今にも泣きそうな顔だ。


「分かった分かった。禿の分は普通の味噌汁にしてやる」


「本当でありんすか!」


 一瞬で顔が晴れた。


「ありがとうございます!」


「子供のうちは、苦手なものもあるさ」


 俺だって昔は椎茸が嫌いだった。


 それなのに、いつの間にか旨いと思うようになっている。


 味覚なんて不思議なものだ。


 その夜。


 採ってきた椎茸の大半は干す。


 風通しのいい場所へ並べる。


 小さな傘がずらりと並んでいるのを見ると、何とも言えない達成感があった。


 そして翌朝。


「よし」


 俺は原木を並べていた。


「始めるぞ」


 若い衆が周囲へ集まる。


 炭焼き職人から買ったナラとクヌギ。


 まずは条件を揃える。


 太さを合わせる。


 長さを合わせる。


 余計な枝を落とす。


「いいか。全部同じように扱う」


 俺は原木の表面へ鉈を入れた。


 ザクッ。


 樹皮を割る。


 そこへ椎茸が生えていた木から切り出した種木を合わせる。


 小さく削る。


 入れる。


「少しきついな」


 削る。


 もう一度合わせる。


 今度はぴたりとはまった。


「よし」


 木槌を持つ。


 コン。


 種木が入る。


 コン。


 さらに入る。


 コン。


 最後まで打ち込む。


「これを一本ずつやる」


「随分細かい仕事ですな」


「茸は生き物だからな」


 適当にやってうまくいくとは限らない。


 むしろ失敗する可能性の方が高い。


 だから条件を揃える。


 椎茸。


 木耳。


 たもぎ茸。


 薄ひら茸。


 種類ごとに原木を分ける。


 番号を刻む。


 何を植えたのか分からなくならないよう、茸の名前も刻む。


「これで後から比較できる」


 原木が並んでいく。


 一本。


 二本。


 三本。


 十本。


 二十本。


 汗が額から落ちる。


 手のひらには鉈の柄の感触が残っている。


「次だ」


 仕上げた原木を、今度は木陰へ運ぶ。


 地面には直接置かない。


 細い木を二本並べ、その上を枕木にする。


 原木を載せる。


 その上から杉葉をかぶせる。


 直射日光を避ける。


 しかし、風は通す。


 乾きすぎてもいけない。


 湿りすぎてもいけない。


「……面倒だな」


「旦那様が言い出したことですぜ」


 若い衆が笑う。


「分かってるよ」


 俺も笑った。


 茸なんて、山に行けば勝手に生えている。


 そう思っていた。


 だが、人間が「育てる」となると、途端に手間が増える。


 温度。


 湿度。


 日当たり。


 風通し。


 原木の状態。


 種菌の状態。


 全部に気を配らなければならない。


「まあ、最初から全部成功するとは思ってない」


 むしろ失敗するだろう。


 青カビに負けるかもしれない。


 別の菌に食われるかもしれない。


 何も起きないかもしれない。


 それでもいい。


 条件を記録しておけば、次へ繋げられる。


「一本目が駄目でも、二本目がある」


 原木に番号を刻んでいく。


 一号。


 二号。


 三号。


 そしてそれぞれ、少しずつ条件を変える。


「これで後は待つ」


 椎茸はすぐには出ない。


 早くても翌年。


 遅ければ二年、三年先だ。


「気の長い仕事だな」


 俺は並んだ原木を見た。


 まだ何も起きていない。


 ただの丸太だ。


 だが、その木の中では、目に見えない菌糸が動き始めているかもしれない。


 そう思うと、妙にわくわくする。


「……出てこいよ」


 俺は原木を軽く叩いた。


「何年でも待ってやるからな」


 そして、もう一つ。


 俺にはやっておきたいことがある。


「出汁といえば……鰹節だ」


 魚屋から鰹を仕入れた。


 大きな魚体を台へ載せる。


 包丁を入れる。


 ざくっ。


 頭を落とす。


 腹を開く。


 内臓を取り除く。


 血の匂いが広がる。


 三枚におろし、形を整える。


 若い衆が横で手伝っている。


「次は湯だ」


 大釜へ入れる。


 火を強くしすぎない。


 ぐらぐら煮立てるのではない。


 じわじわと火を通していく。


 湯気が立ち上がる。


 魚の匂いが厨房いっぱいに広がっていく。


「焦らすなよ」


 火加減を見ながら待つ。


 やがて身が締まってくる。


 取り出して冷ます。


 骨を除く。


 脂を取り除く。


 表面を整える。


「この状態でも食べられる」


 生利節だ。


 一口かじる。


「うん。旨い」


 だが、保存するならここから先だ。


 燻す。


 乾燥させる。


 表面を削る。


 また乾燥させる。


 そして、適切なカビを付ける。


 もちろん、何でもいいわけではない。


 腐らせたら終わりだ。


 だから慎重に観察する。


「これも時間がかかるな……」


 椎茸も。


 鰹節も。


 今日やって今日食べるものではない。


 だが、数か月後。


 あるいは数年後。


 今ここで始めたものが、食卓を変えているかもしれない。


 椎茸の香り。


 鰹節の旨味。


 保存できる乾物。


 精進料理にも使える。


 吉原の食事にも使える。


「食べるものが増えるってのは、悪くないな」


 俺は並べられた原木を見た。


 まだ茸の姿はない。


 静まり返った木陰。


 乾いた葉が風に擦れる。


 さらさら……。


 その音だけが聞こえていた。


 数年後。


 ここから茶色い傘が顔を出すか。


 それとも、何も起こらないか。


 今はまだ分からない。


 だが。


 分からないからこそ、面白い。


「さて……次は何を試すか」


 俺は笑いながら、まだ何も生えていない原木へ手を伸ばした。

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― 新着の感想 ―
生理休暇中の女性を外出させちゃダメな気が…。いつもと違う体調ですから、元気に動いていたのが突然めまい起こして動けなくなったりしますよ。 個人的な体験談ですが、庭で出た椎木の丸太に椎茸菌を植え付けてワ…
[気になる点] ふと気になったのですが、上野の山に遊女がきのこを取りに行くのは吉原的に良いのでしょうか。 [一言] ゆっくりですが読み進めています。応援しています。
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