この時代の大工はすごいぜ・嫁さんをもらうならせめて遊女を人間扱いしてくれるやつじゃないとな
さて、俺が頼んだ切見世の新しい建物が完成するのは一月ほど先だそうだから、引っ越しするのもしばらくは先だ。
建物の骨組みである柱の組み立てができたあとに行う上棟式に紅白餅や紐で繋いだ銭を家の上からまく散餅銭の儀には俺たちも参加するとして、その他の建築に関係する人員の手配・建物の設計・土地の測量・基礎固め・木材選定・墨出し・建築作業などを行うのは大工や左官、鳶職の連中だから俺が関わることは殆どないがな。
家を造る順番としては具体的には地盤の基礎固めは鳶が行う、地面を掘り起こして土中に木材を埋め込んだり砂利を敷いたり、礎石を入れ込んだりしたあと丸太で突き固めるのが主だな、その間に大工は木材の選定を行いつつ、襖や障子や畳などの発注もする、基礎固めが終わったら大工は測量や墨出しなどをしたあと柱をまず組み立て、それができたら上棟式を行う、それが終わったら左官は壁の漆喰を塗り固め、鳶が屋根の板葺きなどを施し、大工は内装や外装を工事する。
表具屋がつくった障子や襖を必要な場所にはめ込み、畳屋が畳を持ってきてそれを床にはめ込んで敷いていくというわけだ。
ちなみにこの時代の大工の親方は営業も含めて他の職人に頼むもの以外を全部一人でやる。
大工の親方というのは建築基準法が出来る前までは設計を行う建築士であり、建築工事の工程管理を行う現場監督であり、材料費や人件費の積算を行う積算者であり、材木問屋などと価格交渉を行う交渉人であり曲尺と裏尺を使って、各部材のサイズを出して建材の加工を行う職人であり、株を持つ経営者でもあるんだがそれらを全て兼ね備えた者だけが大工の棟梁になれるわけだ。
つまり高い身体能力に計算能力に空間把握能力に交渉能力まで必要なんだから、腕のいい大工というのはちょっとした名士でもあるんだ。
だから自分で描いて自分で施工するわけだから設計図も割りと大雑把だが、この時代町単位で区画の大きさは決められている上に道路も基本は直角で交わっているし、建物の部屋の広さも畳の大きさで統一されているし、柱の長さなども規格化されている。
なので細かい打ち合わせや材木加工の細かい長さの調整などによる時間的なムダもあまりない。
電気・ガス・上下水道などの工事も下水工事以外はない。
21世紀現代に比べればやたらと早く家が建つのはこういったことも理由なのだ。
この時代の大工の見習いは例によって住み込み飯付きな代わりほぼ無給なので、家をたてるときにかかる人件費は21世紀現代ほどバカ高くはないがそれでもそれなりには高い。
最も一番高いのは地代で地代、材料費、人件費の割合が5:3:2くらい。
建築費は長屋一棟が50両から100両ほどだが、大名屋敷クラスになると8000両とか。
ちなみに犬公方徳川綱吉が中野に造った犬屋敷の建築費は20万両(200億円)だ。
収容した犬たちの餌代がおおよそ一年で10万両(100億円)。
犬よりも飢饉で苦しんでる人間にその金を使えば助かる人間も随分いたんじゃなかろうかという気はするよな。
それはともかく俺が吉原惣名主の秘書の募集をするとともに、嫁さんも公募したんだがなかなかいい相手が見つからない。
今の俺は吉原惣名主であり大見世の楼主でもある、だから金もあるしそれなりに権力もある。
美人楼や吉原歌劇のような女が通いたくなるような店も持っている。
しかし、非人である俺に嫁ぎたいという条件になると相手はやはり限られる。
その上大見世の内儀は太夫候補の引っ込み禿や引っ込み新造を教育できる程度の教養も必要だ。
なので吉原の楼主になるのは遊女上がりか豪商の次女以降の娘なわけだが江戸時代の江戸の町で豪商と云われる商人は金銀銭座、秤座、為替、両替、米穀、酒造、札差、呉服、材木などだ。
この中で遊郭と縁がわりとあるのは呉服店だな。
大見世の遊女はきれいな衣装を着るのが当然だし、楼主が呉服店とつるんで遊女から金を吸い上げることもよく有った。
また吉原は流行の発祥地でもあり、人気のある遊女が身につけた柄や色は江戸の評判となりよく売れる。
だから、呉服屋はここぞと思った見世にせっせと営業にまわっていた。
だからといって、俺の嫁になることで金や権力を手に入れるのが目的だったりとか、美人楼無料で使い放題、万国食堂で食い放題、吉原歌劇が見放題などというデマを本気にして遊んで暮らせるなどと考えられても困るのだが。
実際は俺と一緒に書類に埋もれて身を粉にして働いてくれないと困るし、遊女の生活、ひいては吉原の芸事の街という地位を守り未来を少しでも良くしようという理念を理解してくれるようなやつでないとな。
まあ、俺がそんなことを考えながら大川こと隅田川の川辺を歩いていると、川面を見ながら深刻な表情を浮かべた若い女がたっていた。
まさか身投げでもするつもりだろうか。
「おい、お前さん身投げなんぞ考えてるならやめておきな」
そうやって俺が声をかけると女はこちらを振り返った。
「いえ、身投げを考えていたわけではありませんが……」
どうやら俺の早とちりだったようだ。
「そうだったか、勘違いしてすまねえな」
しかし女は力なく笑っていった。
「と言っても、当たらずとも遠からずではあるのですけどね。
私の父は材木問屋なのですが、商いで失敗して借金がかさんでしまったのです」
そう言って彼女の見ている川の水面には建材として運ばれている材木が浮かんでいた。
なるほどな、明暦の大火で大儲けした材木商人は多い。
材木商の豪商としては河村瑞賢がそうだし時代は外れてるんだが奈良屋茂左衛門、紀伊國屋文左衛門なども有名だ。
だが、その影で大損したものも多い。
明暦の大火後、材木相場が急騰したが需要を見込んで材木商は木材をとにかく買った。
しかし、幕府は材木価格の高騰を抑えるために、江戸城の再建の三年延期、そして江戸復興のための材木は天領からまかない民間から買い上げないこと、大名屋敷再建の優先順位を下げるという噂を流し、実際大名に対しての参勤交代の停止や江戸在住の武士の早期帰国など行わせ材木商たちが材木を手放したため材木相場は急落した。
江戸の商人で新規参入が比較的容易なのは呉服と材木だがどちらも儲ければ見世を大きく出来たが、商品が売れなければ金が出ていくばかりで首をつるやつも珍しくない。
木場に3代の家無しともいわれるな。
「なるほど、そういうわけか」
彼女はため息を吐きながら言った。
「はい、遊郭に身を売るにしても私の年では年を取りすぎていると断られてしまいましたし、どうしたものかと」
「なるほど、つまりお前さんは働き口があれば助かるし、親が抱えてる材木がはければもっと助かるというわけだな」
「そうなりますけど、そんなうまい話はないですよね」
俺は苦笑して言う。
「まあ、普通はそうだな。
ちなみにお前さん書類仕事は得意かい?」
女はなぜそんなことを聞くのかと不思議そうだ。
「まあ、商家の娘ですのでそれなりには」
ふむこいつは好都合かもな。
「あんた、俺の店で働かねえか?
そしたら抱えて困ってる材木も買い取れると思うぜ」
「あなたの店というのは?」
「ああ、俺は吉原の遊郭、三河屋っていう大見世の楼主でな」
それを聞いて彼女は不思議そうに言った。
「遊郭ですか? しかし私の年齢では働くのは難しいと言われましたが」
「ああ、遊女としてじゃなく、見世の書類仕事なんかを手伝ってくれりゃあいい。
ついでに言えば俺が自分で探してきた嫁候補だって話を合わせてくれると助かるぜ」
彼女は首をかげている。
「なぜそのようなことを?」
俺は苦笑していった。
「俺が縁談を断り続けてるんで、男色だの童女趣味だのという噂が流れてるみたいなんでな。
尤もあんたに縁談相手が居るとかだと働くのは難しいか?」
彼女は力なく笑った。
「借金を抱えた店の娘を嫁にしようなどというもの好きは居ませんよ」
俺も其の言葉に苦笑した。
「まあ、普通はそうかもな、良ければ名前を教えてくれるかい」
彼女は頷いた。
「私は木曽屋の妙と申します」
「じゃあ、妙。
俺は戒斗だ。
これから俺と一緒に頑張って働いてくれ。大見世の楼主だからといって面白おかしく過ごしてるわけではないんでな」
妙は頷いた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。
さて、これから母さんとか店のみんなへの色々な説明とかが大変だろうな。
妙の性格もはっきりはまだわからんが、自分の体を売ってでも親を助けようとしたみたいだし、それなら遊女を見下したりしないような気はするんだが。




