8話
8
水仙の間には、この事件を解き明かすと豪語した苧環さん。相変わらず文豪然としている柘榴さん。刑事であり、今回の捜査の責任者たる釣鐘さん。貴島さんの死体の第一発見者となった仲居の五十鈴さん。そしてただの大学生でありバイト従業員の僕の、計五人が集まった。苧環さんが部屋の真ん中付近に立ち、全員の注目を浴びていた。
「それで、どこぞの名探偵みたいに事件が解決したとほざいてるみたいだけど、本当なんだろうな?」
まるで信用しておらず、くだらないと言わんばかりに柘榴さんが言った。だが苧環さんは勝ち誇ったような顔をして、それをあっさりと受け流した。
「ああ、心配するな。これから披露してやるよ」
普段なら怒りを露わにしそうな売り言葉も、今の苧環さんには通用しないようだ。きっとこの人は、自分が誰よりも上位に居ると思い優越感を感じているのだろう。
「そこまで言うなら聞いてやるから、さっさと話せよ」
再び柘榴さん。それに、釣鐘さんが続いた。
「そうですね。申し訳ないが、私たちもまだ捜査が終わったわけではありません。全てが分かったというなら、出来れば、すぐに始めて頂きたい」
そういった言葉は苧環さんをどんどんと調子に乗せるだけなのだが、どうやらそれに気付いていないようだ。しかし、ここで口を挟み、場の空気を壊すのも忍びない。苧環さんは、本当に事件を解決に導くようだ。ならば、ここは好きにさせておこう。
「まずは弁護士先生の殺害について。結論から言えば、彼を殺したのは貴島薊。いや、高城麻美だ」
探偵としての自分に酔いしれるように、大仰な身振り手振りを入れながら苧環さんが言った。その言葉に、柘榴さんと釣鐘さんは驚愕した様子だった。一方で五十鈴さんは、高城麻美という名前にいまいちピンと来ておらず、少し理解が追い付いていないようだ。それも仕方がない。五十鈴さんは僕の右横に立っていたので、耳打ちをして『貴島薊』が偽名で、本名が『高城麻美』であった事を簡潔に教えた。それを聞いて、五十鈴も驚いた顔をしていた。
「けれど、あいつは誰かに殺されたんだぞ。それなのに犯人って、どういう事だよ」
問い詰める柘榴さんを、苧環さんが制した。
「それについては後から説明するから、取り敢えず聞いてくれ」
言われて柘榴さんもやっと口を閉ざし、推理が展開されるのを皆で待った。全員が黙ったのを見計らって、苧環さんが演出めいた動きを交えながら、自身の推理を語った。
「弁護士先生が殺された室内には、荒らされた様子がまったく無かった。そして弁護士先生は正面から、心臓をナイフで直接刺されていた。二人とも、それは間違いないんだよな?」
僕と五十鈴さんの方を向いて、苧環さんが尋ねた。僕たちは揃ってそれを肯定した。
それは先ほど廊下で会った時に聞かれた質問の一つだ。知っていることをわざわざ質問するという事は、他の二人にその事実を証明するためだろう。
満足した様子の苧環さんが続きを話した。
「これらのことから、弁護士先生は顔見知りに殺されたと推察できる。背後から突然ということならまだしも、正面から心臓を、顔見知りでもない相手に無抵抗で刺されることなんて普通はない。そしてもし見知らぬ相手に襲われて抵抗したなら、部屋には争った形跡があって然るべきだからだ。仮に、正面から刺したと見えるように後ろから羽交い絞めにした後で正面から心臓を刺すにしても、やはり争った形成は残るはず。つまり『正面から刺す』事と『無抵抗である』事を両立させられるのは、顔見知りでなければ難しい。この時点で犯人は顔見知りである俺、葉月、柘榴、貴島の四人に絞ることが出来るだろう。そのうえであの密室の状況を作れるのは、貴島だけだ」
「一体、どのようにしたと言うんですか?」
釣鐘さんが問うた。
「釣鐘刑事が、水仙の間の鍵を、玄関口からそのまま籠に入れたのを室内から見ていて、ふと思い至ったんだ」
そんな前置きをしてから苧環さんは口の端を吊り上げ、自信気に答えた。
「本鍵を自分で持って入ればいいんですよ」
その通りだ。この旅館の客室では、鍵の掛かった状態で、外から中に鍵を入れることは出来ない。ならばどうすれば良いか。簡単だ。合鍵を使って鍵を開けてから、本鍵を中に持って入ればいい。あの推理小説のように、本当は密室殺人で無かったが、後からその状況を作りだせば良いだけなのだ。
このトリックを成功させるには、重要な要素がある。苧環さんも、その事にはちゃんと気が付いているようだった。
「弁護士先生は昨日の朝、部屋で死体となっていた。それを発見したのは、貴島、葉月、それから合鍵を持ってきたそこの仲居の三人だ。葉月に確認だが、その時は確実に鍵が掛かってたんだよな?」
「ええ、そうです。だから、貴島さんが合鍵を頼むために一階に降りて、そして五十鈴さんを連れてきたんです」
「じゃあ、もう一つ質問だ。合鍵を使って解錠した後、どんな順番で部屋に入った?」
「あの時は、五十鈴さん、僕、貴島さんの順で入りました」
これも、廊下でされた質問の一つだ。僕は淡々と答えた。苧環さんが神妙に頷き、前置きをした。
「この入室の順番には、大切な意味があります。最後に室内に入る事。これがトリックの肝だ」
苧環さんはにやけ面をしている。今まで読んできた推理小説の影響なのか、どうやら簡潔に説明をする気はないらしい。おそらくは真相に辿り着いている僕には回りくどく感じたが、それでも苧環さんが推理を間違えない限りは、不用意に出しゃばるつもりはない。
「葉月の前に入った仲居には、籠の中に本鍵を入れる機会は無い。まだ死体を見付ける前だったから、混乱状態にはなっていないはずだ。そこで不審な動きをすれば、流石に気付かれるだろう。これは葉月にも同様の事が言える。後ろに誰かがいる状態では、鍵を籠に入れるなんてリスクは冒せない。そうすると残っているのは、貴島だけだ。貴島は、葉月や仲居に本鍵を籠に戻すのを見られないようにするために、敢えて最後に入室したに違いない」
苧環さんは知る由もないが、補足すると貴島さんは、反応の無い四葩さんを心配している様子を見せていたにも関わらず、その場から離れる時も五十鈴さんを連れてきた時にも、どちらも歩いていた。あれは、走ればポケットに入れていた鍵が音を立ててしまうので、それを避けるためだったのだろう。そして「失礼します」と声を発したのと同時に、本鍵を籠の中に戻した。これで、ロビーの下駄箱の鍵とぶつかって鳴る音も、掻き消すことが出来る。
「そんなの本当に出来るのか? それにもし可能だったとしても、それはそういう方法もあるってだけで、薊が犯人とは限らないだろう。例えば……そうだ。親父を殺してから、クローゼットかどこかに隠れてやり過ごす。それで三人が出ていった後で、しれっと室内から逃走する事だって出来るんじゃないか?」
柘榴さんの言う方法はともすれば尤もであるように感じるが、その可能性ならば意図せずして僕が潰している。
現場から離れる時に、僕は現場を荒らしてはならないというある種の居拍観念から、外から合鍵で再度施錠をした。これにより、柘榴さんの言った方法は使用できなくなったのだ。あの状況でもしクローゼットに隠れてから逃げたのなら、再度鍵を掛けるために室内の本鍵が消えているか、それを諦めたならば施錠していたはずの鍵が開いてはずである。だが、僕らへの事情聴取の時に、釣鐘さんは部屋に鍵は残ったままだと言った。それでまず、前者の可能性は消える。そしてその事情聴取よりも前、警察は現場検証のために、わざわざエントランスに居た五十鈴さんから合鍵を借りていた。これは、その時点でまだ薔薇の間の鍵が掛かっていたことを意味する。これで、後者の可能性も消える。
その他の方法としては、例えばバルコニーから外に飛び降りるというのもあるだろう。飛び降りた先の地面はコンクリートではないし、上手くすればクッションの役割を果たしてくれるかもしれない木々だってある。だがこれは昨日の事情聴取の時でも言われていたように、あまり現実的ではない。それらについては、刑事である釣鐘さんが再度説明してくれた。
「あの時は、東雲さんのおかげで施錠がされていました。それは警察が確認しているので、クローゼットに隠れてから室内を出ていくというのは、鍵を掛けた状態では出来ないと思います。また、以前も申し上げたと思いますが障子戸にも鍵がされており、バルコニーから下に降りたような形跡はありませんでした。となれば、やはり柘榴さんが言ったような方法は不可能だと思われます」
そういう事だ。ふと苧環さんを見ると、どこか安堵しているように見えた。もしかすると柘榴さんが述べた可能性について、少しも考えが及んでいなかったのかもしれない。
まあそれはともかく『正面から無抵抗で刺せる』と『密室のように感じる状態が作れる』という二つの条件をクリアできるのは、僕を除けばやはり貴島さんしかいないのだ。
一応僕にも犯行可能の条件が当て嵌まるのは気付かれずにいて欲しかったが、柘榴さんは目聡くそれを見抜いた。
「ちょっと待てよ。それなら、一番前にいた仲居は顔見知りから外れるから良いとして、そこの男は可能なんじゃないか。リスクを犯して鍵を籠に入れてみたはいいものの、結局は後ろに居た薊に犯行がばれて、口封じで殺した。これならどうだ?」
先ほどの苧環さんの様子を見て、その部分にも推理を行き届かせているのか心配になった。五十鈴さんも、とても不安そうにこちらを見ている。これについては自分で弁論をしなければならないかと思ったが、けれど苧環さんは再び自信満々といった表情を浮かべて反論した。どうやら杞憂で済んだようである。
「確かに、今言った範囲だけなら葉月にも犯行は可能だな。だが、返り血を考えれば、おそらく葉月には無理なんだ」
そう、返り血の問題だ。服を着た状態で犯行を行ったならば、正面から刺し殺すという方法では、返り血を浴びる事は免れない。だが、犯人はこの問題をクリアした。警察は関係者の荷物チェックをしているので、もし僕たちの中に返り血の付いた服を隠しているものが居れば、事件は既に解決しているはずだ。しかし現段階においてはそのような状況には至っていないことが、返り血の問題を解決した証拠である。
「服を着ていれば返り血を浴びる。なら単純に、服を着ていなければいい。そうすれば、死体を横にバルコニーの室内露天風呂で血を洗い流すことが可能だ。もし同性である葉月が目の前で急に裸になれば、弁護士先生は不信感を持つに違いない。反対に顔見知りの美人の女性――つまり貴島ならば、甘い言葉で誘いを掛けて服を脱ぎ始めても幸運だと思いこそすれ、そこまで嫌悪感を持って拒絶反応は示さないはずだ」
そうだ。そしてこれが五十鈴さんも何気なく感じていた、四葩さんの浴衣が乱れていたという違和感にも繋がる。四葩さんの浴衣は争って乱れたわけでも、犯人が細工をしたわけでもない。そういった行為に及ぶときに不必要だったから、自ずから脱ごうとしただけである。貴島さんが殺すためだけに、本当に四葩さんと肉体関係を持ったのかはわからない。けれどもし以前より肉体関係を持っていれば、この方法はさらに確実性をますだろう。
「確かに、事情聴取の時も彼女は、室内露天風呂に入った事は認めていた」
「そうでしょう。それに、細かな点を挙げればまだある。貴島が少し早めの時間に弁護士先生への挨拶に向かったのは、放っておけば九時半頃には担当の中居が朝食の御膳を下げるために、合鍵を使って部屋に入り死体を発見してしまうため。葉月を誘ったのは、先に鍵が掛かっていることを示す必要があったから。逆に俺を誘わなかったのは、その場の人数が増えるほど、鍵を室内に戻すトリックが難しくなるからだ」
顎に右手を添えて、釣鐘さんが苧環さんの推理に頷いていた。
「俺の予想はこうだ。貴島は今朝、鞄などの手荷物を持ったまま弁護士先生の部屋を訪ねた。おそらく、事前に打ち合わせをしたいとか、そのような口実を使ったんだろう。それで室内に招き入れてもらった後で、弁護士先生への甘い誘い言葉を口にしながら裸になった。まんまとその誘惑に乗った弁護士先生と横になって口づけを交わし、相手の目を閉じさせる。その間に、あえて手の届く範囲に置いていた鞄から、隠していた凶器を取り出し、心臓に突き立てる。弁護士先生が絶命した後で、室内露天風呂で返り血を洗い流す。濡れた身体を拭いてから服を着て、開けていた障子戸の鍵を掛ける。それから入念に室内の指紋をふき取ってから客室を出て、最後に本鍵で施錠をした。挨拶に行くのに出来るだけ不自然にならない時間になるのを限界になるまで待ち、何食わぬ顔で俺たちの部屋にやって来た。葉月を連れて、弁護士先生の部屋に鍵が掛かっているのを確認させてから、合鍵の申請をするためにロビーへと降りた。敢えて自分から足を運んだのは、部屋の前で一人になっていれば、変な疑いを掛けられるかもしれないとでも思い、それを潰したかったからだろう。そしてそこの仲居に合鍵で部屋を開けた後、さり気無く最後に入室して、ポケットに入れていた鍵を下駄箱の籠の中へと移した。以上が、弁護士先生殺害の真相です」
釣鐘さんや五十鈴さんが驚きつつも納得したように、首を縦に、小刻みに揺らしていた。苧環さんの推理が受け入れられているようだ。
苧環さんは説明をしなかったので気が付いているのかどうかはわからないが、付け加えるとこの殺人は突発的な物ではなく、大分以前から周到に計画されていたものである。
玄関前に鍵があっても違和感のない、下駄箱の上の鍵入れ用の籠。返り血を洗い流せる室内露天風呂。朝の九時三十分という時間まで死体を発見される恐れの低い中居さんの業務内容。突発的に殺人を思い至ったにしては、状況があまりにも出来過ぎている。これは決して、偶然とは思えない。だから僕は深夜の間に、スマートフォンで華里の予約状況の他に、他の旅館の情報も検索してみた。ここ以外の旅館には宿泊した経験が無いので、他の旅館がどういうものなのか知りたかったからだ。その結果は、玄関前に鍵入れのための籠があるかどうかは分からなかったし、室内露天風呂もそこまで珍しくはなかった。けれど苧環さんが言っていたように、室内で朝食を食べられる旅館ではほぼ全てが、朝の八時過ぎ、遅くても八時三十分頃までには中居さんが部屋に入り、布団や食器の片づけを終えると紹介されていた。朝食を運んで以降、九時半まで部屋に中居さんが入らないのは、僕が調べられた範囲ではこの華里以外には見付けることが出来なかった。加えて、二ヶ月後までほとんど埋まっている予約状況。これらを鑑みれば、貴島さんは少なくとも三カ月以上前から、この場所で四葩さんを殺そうとしていたことになる。
しかしこれについては、今はあまり関係が無い。問題なのは、貴島さんの方の事件である。
「動機はおそらく、八年前のレイプ事件の復讐だ。尤も、さっき言った犯行内容も殺人の動機も、当の本人である貴島が殺されてしまっているので確認のしようはない。あくまでも俺の予想に過ぎない。でも、これはそう大きくは間違っていないはずだ」
苧環さんは、四葩さんの殺人事件についてそう締め括った。
同じ女性だからだろう、五十鈴さんが『レイプ』という言葉を聞いた途端、その表情に凄まじい嫌悪感を露わにしていた。きっと男である僕には、本当の意味でその気持ちが分かる事は一生無いのだろう。
それに気が付く事もなく苧環さんは、問題である貴島さんの事件への推理を話し始めた。
「さて、ここで貴島殺害の事件に話を移そう。何故、弁護士先生を殺害した犯人である貴島が死んでいたのか」
「確かに、どうして彼女は死んでいたんだ。まさか、大岩桐四葩を殺した罪を悔いて自殺したとでも言うのか?」
「いえ、それは有り得ません。自殺なら、あんな死に方をするわけが無いし、雑な密室工作だって不要だ。あれは絶対に、誰かの手に因って殺された姿だった」
これも、苧環さんは自信を持って宣言していた。先ほど自殺の可能性を仄めかした釣鐘さんも、それに反対する事は無かった。
「この事件も先に結論から言おう。貴島を殺したのは、弁護士先生の息子である柘榴。お前だ」
その言葉に、皆が一斉に柘榴の方を向いた。柘榴さんは困惑した表情を浮かべていた。
「何を言い出すかと思えば、ふざけるなよ。どうして俺が薊を殺さなきゃならないんだ」
「正直に言えば、動機は推察することくらいしか出来なかった。だが、お前が殺した事だけは分かるんだよ」
「はは、いいぜ。そこまで言うなら聞いてやる。だが、俺も先に言っておくぜ。俺は犯人じゃない。そして後で、間違った推理をかましたお前を名誉棄損で訴えて大金を分捕ってやる。そこまでやられても後悔しない覚悟があるなら、さあ、話せよ」
柘榴さんが、嘲笑うようにすごんだ。その脅迫とも取れる発言に、けれど苧環さんは「望むところだ」と、一切動じることは無かった。自分の推理に、相当の確信をしているのだろう。ともあれ、ここからは苧環さんの腕の見せ所だ。
「まず貴島の事件で真っ先におかしいのは、あの雑な鍵の戻し方だ。密室トリックと呼ぶことすら出来ないあんな手法を、どうして犯人は取ったのか。仮に弁護士先生と貴島の事件が同一犯だった場合、あんな手法は取らないはずだ。そこから考えられるのは、犯人が別人だという事です。そして次に変なのは、部屋が荒れていたこと。部屋が荒れているということは、あの殺人は計画的なものではなく、突発的なものだったということです」
「そうですね。その可能性は、どちらも警察でも十分に考慮されています」
釣鐘さんが同意した。それに頷きながら、苧環さんが続ける。
「ここで、貴島の死体の位置と、その死に方に注目します。貴島は、部屋の中央の辺りで横たわっていた。そしてその殺害方法は、室内のボールペンで何度も滅多刺しにするというものだった。ここで、仮に全くの第三者が貴島を殺したとする。その場合、貴島が第三者を居間で招き入れたということだ。だが、普通の用件なら玄関口で済むので不自然だ。となれば、貴島は顔見知りの人間と居間で過ごしていた所、何かトラブルが発生し殺されてしまったと考えるのが自然だ。だからこそ、釣鐘刑事は俺たち三人の事をあんなにも疑ったんじゃないですか?」
「仰る通りです」
「ちょっと待て。そこまでは分かったが、どうして俺が犯人になるのか、まったく説明されてないぞ」
苧環さんと釣鐘さんだけで話が進むことに耐え兼ね、柘榴さんが口を開いた。これからどんどんと文句が飛び出そうな勢いだったが、それを苧環さんが制した。
「本題はここからだ。俺、葉月、柘榴の三人が犯人である可能性が高まった。ここで重要になってくるのが、弁護士先生と同じように返り血の問題だ。あの殺し方では、やはり返り血を浴びる事は免れない。しかし今回も、犯人はそれをクリアしている。では、弁護士先生の時のように裸になってそれを防ぐとしよう。今回は部屋が荒れていたから、急に裸になってから殺すというのも、そこまで不審ではないのかもしれない。だが、その場合だと、殺された場所に違和感が生じる。幾ら知り合いとはいえ、目の前で男が急に服を脱ぎ出したら、普通は目の前から逃走するはずだ。だが釣鐘刑事に確認したら、廊下には争った様子は無かったらしい。つまりこれは、犯行の全てが居間という狭い範囲だけで行われたことになる。そこで考えられるのは、最初から居間に裸で居たとしても、そこまで貴島に怪しまれない人物となる。そしてそれが出来るのは、柘榴。お前だけなんだよ」
柘榴さんに人差し指を突きだして、勝利を宣言するように苧環さんが言った。
「どういう事ですか」
と、釣鐘さん。どうやら、すっかりと苧環さんを探偵として見ているようだ。厳格そうだという印象があったが、意外と影響されやすい性格をしているのかもしれない。
「簡単です。柘榴と貴島は、とても深い関係にあったということですよ」
「あ、何だって? 俺と薊が深い関係にあっただと。何を根拠にそんな事を言ってるんだ?」
意味不明だという表情を浮かべてはいるものの、柘榴さんはどこか焦っているように見える。
「昨日、俺と貴島とお前の三人で飯を食った時の事だ。お前たちは、妙に親密そうにしてたよな。お前が好みを言わずとも、貴島はそれを全て熟知しているみたいに調味料を渡したり飲み物を注文したりしていた」
「もしかして、それだけか? 童貞じゃあるまいし、その程度で俺と薊が男女の関係だったとか言われたんじゃたまらんぜ」
「まさか。俺だってそれだけでお前と貴島がそうだったと言うつもりはない。寧ろ、その時よりも以前に、俺はお前と貴島の関係を疑ってたんだ。二日目の夜の事だ。俺は売店で買い物をして帰る途中の階段で、階段のスペースを挟んだ南側から、北側にある自分の部屋に向かって歩いている貴島の姿を偶然見かけた。しかもその時の姿は、風呂上がりのようだった。この時、貴島はお前の部屋から、丁度自分の部屋に戻る所だったんじゃないか?」
疑ったとは、物は言いようである。二日前はやけ酒をしていたし、昨日はとても怒りを露わにしていた。それはつまり、疑ったというよりも、ほとんど完全に信じ込んでいたという事だ。しかしながら、その現場を目撃したという事実は僥倖だっただろう。
「それはあんたが勝手にそう疑っているだけだろう」
柘榴さんは不快そうに口元を歪めて反論した。
ここで、僕は口を開いた。
「いえ、苧環さんの言っている事は正しいです。僕は貴島さん本人から、柘榴さんと肉体関係にあったという旨の話を聞きました」
言い終わると同時に、柘榴さんはその両目に怨嗟の感情を込めて僕を睨みつけた。その一方で、苧環さんは思わぬ救援に喜びの感情を携えながら、推理の続きを話した。
「弁護士先生の事件と同様で、ここからは俺の予想だ。貴島は弁護士先生を殺したように、息子の柘榴も殺そうとしていた。正直、何故自分の部屋に呼んだのかはわからない。もしかしたら、弁護士先生とは違うトリックを用いて殺そうとしたのかもな。まあそれはともかく、貴島は柘榴と部屋で過ごし、怪しまれないように一夜を共にする振りをした。その時に柘榴は、何らかの拍子に偶然、貴島の正体に気が付いた。あいつが実は『貴島薊』ではなく、自分が八年前にレイプした『高城麻美』だとな。そして、弁護士先生を殺したのは貴島で、自分と関係を持っているのも、復讐するために近づいているからだと悟った。そこで柘榴は、貴島に殺される前に、逆に殺すことを決意したんだ。多少手こずりはしたが、何とかボールペンで刺し殺すことに成功した。幸運にも服は脱いでいたんだろう。室内露天風呂で返り血を洗い流したは良いが、その後どうするか、悩んだはずだ。そして、こんな答えを出した『親父の事件の犯人に気が付いているのは自分だけだ。だから、同じような事件に見せかけて、犯行を誤魔化そう』とな。そこで、弁護士先生の事件と同様、密室の状況を作ろうと勤しんだ。障子戸の鍵を掛け、指紋を拭き取る。だが、ここで問題が生じた。柘榴は、弁護士先生の事件の時に用いられたトリックを知らない。知らないから、再現出来ない。そうして行使した苦肉の策が、あの雑な手法だ。キーホルダーを取り外して、外に出てから施錠する。その後、ドアの隙間から鍵本体だけを室内に戻した。殺人を起こして混乱していたのか、形だけ真似ても全く意味のない事に気が付けなかった。そんな無様な模倣なんて、しないほうがマシだったんだよ」
少し強引な推理だが、一応の筋は通っている。加えて苧環さんの自信に満ち溢れた口調と態度が、それに説得力を付与しているのだろう。それを聞いて、柘榴さんが諦めたかのような溜め息を吐いた。
「はぁ、わかったよ。認めるよ」
その言葉に、釣鐘さんと五十鈴さんが驚愕した。発言の意味をそのまま受け取るならば、柘榴さんは今、自分を騙していたと判明した貴島さんをその手に掛けたのを肯定したという事だ。
五十鈴さんは怒りと悲しみを内包したような瞳を柘榴さんに向けながら、同時に安堵したように一息を吐いた。釣鐘さんは、刑事として柘榴さんの真意を確認するために口を開いた。
「それは、貴島――いえ、高城麻美の殺人を認めるという事ですか?」
先ほど諦めの言葉を口にした柘榴さんは、けれど釣鐘さんのその問いをすぐさま否定した。
「違う。俺が認めるって言ったのは、薊と男女の関係だった事だけだ。キーホルダーを外した鍵を室内に戻したり、ましてや貴島を殺した犯人でもない」
五十鈴さんと釣鐘さんが、再び驚いたように目を見開いていた。まだ少し、この推理劇は続くようだ。けれど、終りも近いはずである
「どうして隠していたんですか? 詳しく説明してください」
再度、釣鐘さんが質問をした。柘榴さんは、今度は少しの間をおいて、何かを思い出すかのようにそれを語った。
「俺が薊と会ったのは、二年前の事だった。いつものように、俺が弁護士の息子で、同世代に比べたらそこそこな金を持っているのを知っていて近づいてきたのかと思ったよ。だが違った。薊が俺に近づいてきたのは、親父に接触するための手段でしかなかった。親父は俺の事を嫌っていた。薊もそれは承知してたみたいで、自分と俺との関係が親父にバレないように必死だったから、流石の俺でも気が付いたさ。けど、俺はそれでも良かった。正直、薊は俺が使える程度の金の力じゃあ、靡かせるのは難しい程に良い女だったからな。自分で言うのも何だが、俺と薊は釣り合っていない。それを、金も使わずにヤレるんだから、これ幸いとしか思わなかったんだ」
柘榴さんが一呼吸を入れるために、そこで一旦言葉を区切った。釣鐘さんは続きが気になって、その少しの時間さえ待ちきれないといったようにそわそわしていた。それを知ってか知らずか、柘榴さんもすぐに話を再開した。
「そんな感じで、基本的に俺たちは隠れるように男女の交際を続けてたんだよ。だが、薊が死んで、しかもその正体が八年前に俺が襲った高城麻美だった。そこが判明して今更になって急にそんなことを言えば、俺が疑われると思った。だから認めたくなかっただけだ。けど、このままじゃあ俺が犯人にされそうだから、もうそういう仲だったのは素直に白状する」
「それでは、昨夜はどこに居ましたか?」
「だから本当に、ずっと自分の部屋に居たんだって」
柘榴さんは最後に「馬鹿なことした。最初から素直に警察に言っておけば良かったよ」と付け加えた。その内容を吟味するように、釣鐘さんは手の顎に添えて何かを考え込んでいる。一方、苧環さんはまるで、その程度の弁解なら予知していたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべていた。
「その言い訳は、少し苦しんじゃないか?」
「そりゃあ簡単に信じられないのは俺だって承知してる。だが、それが真実なんだから仕方ないだろう。大体、あんたが言っているのは状況証拠みたいなものばっかりだ。決定的な証拠なんて、何一つないじゃないか」
「確かに、その通りです。現状では、決定的な証拠がない」
柘榴さんと釣鐘さんの意見に、けれどにやけ面をした苧環さんが言った。
「証拠ならあるさ」
その言葉に、皆が一様に驚いた。
「それは、一体?」
最も食いついたのは釣鐘さんだった。一方、柘榴さんは不快な表情を浮かべて口を半開きにしていたが、何か言葉を発することは無かった。そんな柘榴さんに、苧環さんがある質問をした。
「なあ、柘榴。ところで、親父である弁護士先生が死んだときでさえ携帯ゲームをしていたお前が、今日はまったく手を触れていないな。ずっと浴衣の袖に反対の腕を入れているけど、どういう風の吹き回しだ?」
「いや、これは……」
柘榴さんが反論するのも待たず、苧環さんがさらに責めた。
「お前は今朝、貴島の死体を発見した時も、ずっとそうやって腕を隠していたよな。もしかして、腕を隠す理由があるんじゃないか? 例えば、朝は、袖の中に鍵を隠していたその他には、腕に傷があるとかな。あれだけ争った様子の部屋だったんだ。犯人にも傷の一つや二つ付いていても、決しておかしい事じゃない」
柘榴さんは確かに、今日は一日中、腕を隠すように過ごしている。警察に今日は帰らないように指示された時に始まり、貴島さんの死体を発見した時や事情聴取の時。僕が部屋を訪ねた際も自分から扉を開けることは無かったし、今だってそうだ。
柘榴さんが、貴島さんの死体を発見した後のように、小刻みに震えていた。額には、大量の汗を掻いている。おそらくそれは、夏の暑さによるものではない。柘榴さんは追い詰められているのだ。
釣鐘さんが近づいた。
「すみませんが、腕を見せて頂けますか?」
口では丁寧に質問していたが、やはり返事を待たずして、釣鐘さんは柘榴さんの右腕を半ば強引に引き上げた。果たして柘榴さんの右の前腕には、爪で引っ掛かれたような傷跡が残っていた。釣鐘さんが、反対の腕も確認する。左の前腕にも、同様の傷が見て取れた。それは昨日今日出来たような、真新しい傷だ。
「この傷は一体なんですか?」
「これは……」
青ざめた柘榴さんは言葉を詰まらせていたが、それも束の間、振り絞るように叫んだ。
「こ、これは昨日の夜に、薊とヤった時に付けられた傷だ。それだって、俺の部屋でヤッたんだ。信じてくれ。俺は誰も殺しちゃいないんだよ」
誰の目からも、それはただの悪あがきにしか映らない。釣鐘さんが溜め息を吐いた。
「わかりました。それでは詳しい話は署でお聞きしますので、ご同行ください」
「ちょっと待ってくれ。本当に俺じゃないんだ!」
最後までそうやって無実を主張していたが、それも空しく、柘榴さんの手に因って部屋から連れ出された。
こうして事件は、苧環さんが推理小説の名探偵を彷彿とさせるような行為によって幕を閉じ、僕たちは晴れて旅館から出ることを許された。