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模倣事件  作者: 初心者
5/10

5話


                   5


 一睡も出来ずに居間で呆けたまま、旅行最終日である三日目の朝を迎えた。太陽は既に昇って地上を照らしており、外では鳥の囀りが聞こえていた。

 僕は、昨夜思い至った自身の推理について、何度も考えていた。

 僕の推理が当たっていれば、四葩さん殺害の犯人はおそらく貴島さんだ。ただ、幾つか不可解だったり不明だったりする部分もある。部屋割りもそうだし、動機だってそうだ。貴島さんが何故この殺人事件を起こしたのか、その理由は全くわからない。しかし、苧環さんの言葉を借りるなら、動機は分からないけれど、このトリックを実行可能なのが貴島さんだけだから、自然と彼女が犯人となる。

 そしてそれが真実である場合、ある恐ろしい事実が浮き彫りになる。それはこの殺人事件が、以前から計画されていたということだ。そう思う理由は、何を隠そうこの旅館そのものである。ここは僕が導き出した殺人方法を行うのに、条件が整い過ぎているのだ。

 さらにスマートフォンで僕が調べられた限りでは、この華里はいきなりで四部屋も予約が取れるほど、閑古鳥が鳴いているような旅館では無い事が分かった。繁忙期という事もあり現在も二カ月先まで予約はほとんど一杯で、四部屋もまとめて取るのは難しい。

 貴島さんはきっと、かなり前から四葩さんに接触をし、この旅館に一緒に来ることを約束させていたはずだ。昨夜の『今回に丁度いいと思って』と言ったその言葉は、殺人を犯すのに都合がいいという、思わず出た本音なのかもしれない。

 正直、僕はこの事を警察へ知らせるべきかどうかを迷っていた。普通ならば、殺人を犯した人間を判明させれば、それこそ名探偵のように犯人逮捕に一役買うべきなのだろう。だが、僕は名探偵でも、警察でも、さらにいえば正義の味方でもない。

 もし貴島さんが殺人犯だとしても、少なくとも僕にとっては、とても気が良くてお世話になっている先輩なのだ。顔も知らない第三者ならともかく、それをまるで魔女裁判のように、公衆の面前で罪を告発することなんて出来ない。

『人間は多感な感情を持った理性的な生物だ。それ故に、そこまで非情的になれる人間はそうはいない』

 四葩さんのそんな言葉が思い出された。あの時とは意味合いが異なってくるが、やはり僕は、貴島さんの罪を徹底的に追求することをしたくないのだ。

 それに、僕が黙っていた所為で、新たな被害者が出ることもないはずだ。おそらく、これ以上の殺人は起きない。僕が考えた手口が使えるのは、どうやっても一回限りだ。トリックを行使するためには、自分が第一発見者になる必要がある。だが同じような密室殺人が起きて再び貴島さんが第一発見者となる状況が続くのは不審であり、警察もいずれトリックに気が付くだろう。それに荷物検査を受けている以上、もう殺害に用いるナイフなどの凶器は持ち合わせていないはずである。

 貴島さんはきっと、殺すなら誰でも良かったわけじゃない。明確に、四葩さんを狙って殺した。あれだけ悪事を嫌っていた貴島さんの事だ。四葩さんの殺害に至ったのも、何か理由があるに違いない。ならば警察に進言するのは、本人にその真意を確認し、自首を促してからでも遅くは無いはずだ。

 部屋をノックする音が聞こえて、直後に五十鈴さんが入ってきた。どうやら朝食の時間のようだ。

 五十鈴さんが挨拶で頭を下げ、それを戻して僕を見た途端、急に表情を曇らせた。

「東雲さん、大丈夫ですか? とっても顔色が悪いですよ」

 その慌てぶりから察するに、相当酷い表情をしているのだろう。

「二日酔いです」

 咄嗟にそんな嘘を吐いたが、それで誤魔化せたとは思えなかったので、僕は話題を切り替えることにした。

「五十鈴さんこそ、調子はどうですか? 昨日の今日でまだ万全では無いんじゃないですか?」

「私ですか? 私はすっかりと元気ですよ。現金と思われるかもしれないですけど、一晩寝たら元通りです」

 五十鈴さんは白い歯を見せて笑った。仲居としての仕事に誇りを持ち、常に宿泊客の事を第一に考えている五十鈴さんの事だ。それはもしかするとただの空元気かもしれず、無理をしているだけかもしれない。けれどその可愛らしい笑顔は、幾分か僕の心を楽にしてくれた。

「なるほど。お酒に頼らず、素直に寝れば良かったんですね。失敗しました」

「お酒も悪くないですけど、二日酔いするくらい飲んだらダメですよ。お酒は飲んでも飲まれるな、です」

「そうですね。これからは飲み過ぎないように気を付けることにします」

 僕も笑ってみせると、五十鈴さんはすこし安堵したような表情をしていた。貴島さんの件による心労だけでなく、徹夜とほぼ丸一日何も食べて無い事が合わさり、やはり相当に体調が悪そうに思えたのだろう。

「良ければお水をお持ちしましょうか?」

「いえいえ、大丈夫です。朝ご飯を食べている内に勝手に治りますよ」

「わかりました。でも、何かあったら遠慮なく言ってくださいね」

 言って、五十鈴さんは部屋を出ていった。

 座卓には二人分の朝食がある。ご飯を食べる気分は昨日よりも無くなっていたが、けれど五十鈴さんにあそこまで心配された手前、少しでも栄養を取っておこうと思った。空腹だったためだろう、並べられた朝餉はとても美味しくて、あっさりと完食出来た。

 僕が食べ終えた頃、起床した苧環さんが寝室から現れた。緩慢な動作で居間に腰掛け、着替える事も無くそのまま朝食へと箸を付けた。

「密室殺人のトリックは暴けましたか?」

 寝ぼけ眼なままの苧環さんに質問をした。

「いや、まだだ。何か喉元まで出かかってる気がするんだが、あとちょっと閃きが足りない」

 嫌みの一つでも飛び出すかと思ったか、意外にも呆気なく推理が進んでいない事を白状した。どうやらまだ貴島さんが犯人であることとそのトリックには考えが及んでいないようだ。だが、それも長くは続かない。動機はどうあれ事件を解決しようと推理に勤しんでいる苧環さんよりも、一足早く僕が解答を導き出せたのはただの運である。

 貴島さんがトリックを行使したであろう死体発見時に、施錠の有無を確認させる役割にたまたま選ばれてその場に居合わせた事。そして偶然ヒントになるような推理小説を読んだ事が、トリックに気が付いた一因である。苧環さんは推理に当たって、自分の読んだ推理小説に使われていたトリックを参考にしていたようだった。となれば現場にこそ居なかったものの、僕と同じように遅かれ早かれこの程度のトリックには考えが至るだろう。貴島さんに恋慕していた以前ならいざ知らず、裏切られたとして好意が薄れている現状では、もしトリックに気付けば名探偵よろしく全員を集めて声高にそれを披露するはずだ。あるいは、警察の高い捜査力によって真相が解明され、呆気なくお縄を頂戴するかもしれない。そうなれば貴島さんは、計画殺人を見事解き明かされた愚かな殺人者として逮捕されてしまう。犯人の見当がついてしまう前に、貴島さんには自首をしてもらいたい。

 部屋の外が俄かに騒がしくなってきた。警察が捜査のために訪れてきたのだろう。貴島さんの犯行がばれるのも時間の問題だ。自首を促すのは、出来るだけ早い方がいい。

 僕は貴島さんの客室に向かうために立ち上がった。するとその時、僕たちの部屋の玄関をノックする音が聞こえた。出ると、釣鐘さんが立っていた。今日もしっかりとアイロンの掛けられた白シャツに紺のスラックスと、清楚感のある格好をしている。

「おはようございます。早速ですが、現場検証がまだ完全に済んでおらず、捜査の関係上四葩さんの関係者にはこの場に残っていただきたいので、申し訳ありませんが本日のご帰宅は控えてください。旅館には既に了解を取っており、男性三名、女性一名で午後から空く客室を二部屋確保してもらいましたので、本日からそちらに移動して頂きます」

 釣鐘さんは静かな口調で事務的に言ったが、それはただの命令だった。容疑者である四人を、見す見す帰すわけには行かないという事だ。

 僕は安堵した。警察もどうやら、まだ事件の真相は判明していないらしい。

 事件は、貴島さんが説得に応じてくれれば解決だ。いや、もしも応じなければ、その時は僕だって警察に進言するつもりだ。つまりどの道、今日で事件は幕を下ろす。それを知っている僕は、だからその一方的な指令に対して警察へ文句を言うつもりはなかった。だが僕と違って何も気付いていない人は、そうではなかった。

 右の方から声がするので見てみると、警察の言い分に納得していないらしい柘榴さんが、部屋の前で警察官に不満を言っていた。浴衣の袖口に手を入れて腕を組んでいるその姿が、相変わらずぼさぼさの髪の毛と合わさって、まるで明治時代の文豪のようだった。唯一の欠点を挙げるならば、帯の結び方が雑な事だ。それが、文豪めいたその見た目を少し損ねていた。

 嫌な予感がした。僕はもう凶器が無いと思いこんでいたが、本当にそうなのだろうか。いや……まだあった。浴衣の帯だ。天井は高すぎるため、絞首台のように帯を掛ける部分は存在しない。また、女性の腕力では不意を付いても単純な膂力で劣り、男性を絞め殺すことは難しい。ドラマのように簡単に絞殺は出来ず、反撃をされるだけだろう。だから迂闊にも僕は、帯が凶器足り得るという事を思考から蚊帳の外に置いてしまっていたのだ。

 だが自分を絞め殺すことならば、強い意志があれば出来る。悪事を許せない貴島さんの事だ。最初から四葩さんを殺した後で自分の命も経つつもりだったのかもしれない。もしそうならば、既に自殺をしている事だって十分にあるだろう。何故僕はここに至るまで、その可能性を考慮しなかっただろうか。飛来した後悔と不安が、僕の胸中を覆い尽くした。

 首を振って隣の貴島さんの客室に目を遣ると、警察官が部屋の前で立ち尽くしていた。どうやら、警察の呼び掛けに少しも反応していないみたいだ。釣鐘さんを無視して、貴島さんの部屋の前に居る制服警官に話かけた。

「刑事さん。もしかして、貴島さんから何の反応も無いんですか?」

 恐る恐る尋ねると、制服警官は「そうなんです」と困惑した様子で答えた。胸に渦巻く負の感情が、さらに大きくなった。僕はスマートフォンを取り出して、貴島さんの番号へと掛けた。玄関前に行くと、四葩さんの時と同様に、室内からは着信音が微かに聞こえるが、反応は無かった。ドアノブを回してみるも、やはり鍵も掛かっている。

 警察も不審に思ったようで、釣鐘さんが合鍵を取りに行くよう制服警官に命じた。扉を開けたままにしていたからだろう、苧環さんも異変に気付き、部屋から出てきていた。それを見て、柘榴さんもこちらに近づいてきた。

 合鍵は仲居さんではなく、命令を受けた制服警官が持ってきた。

「無暗に入室しないようお願いします」

 事前に、釣鐘さんからそんな注意をされた。鍵が解かれ、釣鐘さんを始めとして数名の警察官が真っ先に部屋に入った。釣鐘さんの忠告を無視して、スリッパも脱がずに急いで室内へと足を踏み入れた。

 室内の廊下からでも、その様子ははっきりと見て取れた。貴島さんの室内は、とても酷く荒らされていた。着替えや筆記用具、それにICレコーダーなどが散乱している。座卓は本来の位置から大分右側にズレた場所で、斜めになって傾いていた。寝室の襖には穴まで開いている。襖が閉じているので寝室の方は分からないが、居間の障子戸は閉じられていた。部屋の明かりも、四葩さんの時と同様に消されている。そして部屋の中心地の近くで、浴衣が乱れて裸体を晒した状態で仰向けになった、貴島さんの死体が転がっていた。

 その死体は、帯で首が絞められてなどはいなかった。自殺だなんて微塵も思えない程に、それは誰かに殺された様相を呈していた。

 貴島さんの身体には幾つもの小さな孔が穿たれていて、そこから夥しい血を失い絶命していた。首元の近くには、凶器に使われたであろう、先端が紅く濡れたボールペンが転がっていた。畳も、血を吸いこんで朱色にその姿を変えている。

 僕は気持ちが悪くなって、口元を押さえた。それは僕だけでなく、ある程度は死体を見慣れているであろう警察官でも、目を背けている人が居た。その中で、最も早く我に返った釣鐘さんが、僕たちの脇を通り抜けて玄関口まで戻った。釣られて、僕も振り返った。

 苧環さんが後ろに立っていた。目を大きく見開いて、貴島さんの死体を眺めたまま動けない様子だ。その向こうの、部屋の外に居る柘榴さんも視界に入った。そこからでも貴島さんの死体が見えているのか、外の廊下で、動揺したような表情のまま立ち呆けている。

 四葩さんの時と違い、籠の中にあるのはロビーの下駄箱の鍵だけで、部屋の本鍵は無かった。今回は、キーホルダーの取れた本鍵が、玄関口の地面に転がっていた。

 釣鐘さんが、苛立たしそうに舌打ちをするのが聞こえた。

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