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模倣事件  作者: 初心者
3/10

3話


                   3


 朝、隣に居る先輩のいびき声で目が覚めた。昨日の昼過ぎに散々と思い知ったつもりだったが、それにしてもあまりに煩い。良く自分のいびき声で目が覚めないのだと感嘆すらしてしまいそうだ。しかも酒臭い。寝相も悪く、浴衣は半脱ぎ状態。掛布団はすっかりと蹴られてしまっており、身体も斜めを向いていた。

 枕元に置いていたスマートフォンで時間を確認すると、まだ午前五時半頃だった。二度寝に勤しむことも考えたが、早めに就寝したことので、深刻な寝不足ではない。そんな状態で、このいびき声のすぐ横で快眠出来る程、僕の神経は図太くはない。何度でも言うが、僕は意外と繊細なのだ。仕方なく布団から這い出て、ぼんやりとしたまま、まずは散らかしっぱなしになっていたやけ酒の残骸を片付けた。空き缶は全部で六本あった。洗面所で顔を洗って意識を覚醒させ、歯を磨き、それから仕事着である半袖の白シャツと紺色のスラックスに着替え終えてから、暇を潰す方法を考えた。すると丁度良いことに、座卓の上に苧環さんが出しっ放しにしていた推理小説があったので、勝手に拝借することにした。

 その小説はとある孤島の館で密室殺人が起こり、偶然居合わせた名探偵がその叡智と洞察力を駆使して犯人を推理するという王道的な内容だった。僕の様なミステリーに否定的な初心者にも易しい軽快な文体で書かれており、意外な事にどんどんと読み進めることが出来た。そうしてやっと全ての真相を見抜いた探偵が快刀乱麻に事件を解決するという段に差し掛かった所で、五十鈴さんが部屋にやって来た。あと数十頁で読み終えるのだが、仕方なく付属していた紐の栞を挟んで小説を閉じ、汚れないように座卓の端に置いた。

「お布団のお片付けに伺ったんですけど、お連れ様はまだご就寝のようですね」

 時間を確認すると、時刻は七時二十分だった。昨夜、朝食の希望時間を七時半で伝えたので、もう起床しているはずだと判断したのだろう。だが、五十鈴さんの言うように苧環さんはまだ夢の中に居り、一向に目覚める気配はない。途端、僕はとても申し訳ない気持ちになった。

「すみません。今から叩き起こします」

「いえいえ、そんな。大丈夫です。ところで、朝食はどうされますか? もし良かったら、お連れ様の分だけずらして持ってきましょうか? もちろんお料理は温め直しますし、内線で連絡をもらえればすぐに持って来ますよ」

 昨日の僕の頼みを覚えておいてくれたらしく、五十鈴さんは少し砕けた口調で話し掛けてきてくれた。仲居として出来ている五十鈴さんは、襖の向こうの、醜悪ないびきをかく苧環さんに気を利かせてそんな提案してくれだが、僕はそれを断った。五十鈴さんに余計な手間をかけさせるのも気が引けたし、昨日五人分の荷物を持たされた事や今朝強制的に目覚めさせられた事へのささやかな復讐として、出来立ての朝食を食べ逃せば良いと考えたからだ。

「気にしなくても大丈夫です。寧ろ向こうで寝ている人は猫舌なんで、少し冷めたくらいが丁度いいんですよ」

 五十鈴さんが申し訳なさそうな表情を浮かべていたので、嘘も方便だと自己正当しながらそんな言葉を掛けた。

「そうですか? じゃあ、そのようにさせてもらいますね」

 一旦戻って行った五十鈴さんは、それからすぐに朝餉の乗ったお盆を二人分運んできてくれた。

「朝食を食べ終わった後は、昨日と同じように内線で知らせてもらえればすぐに空いた食器の片付けに来ます。もし連絡がない場合でも、九時三十分頃には下げさせてもらいますね。その際、お布団の片付けも一緒にさせていただきますので、よろしくお願いします」

 言って、五十鈴さんは部屋を後にした。

 朝食は白米、出汁巻き卵、鮭の塩焼き、漬物、わかめと豆腐の味噌汁、納豆、味付け海苔と純和風な献立だった。五十鈴さんが運んでくれたせっかくの朝食も、けれど苧環さんのいびきが気になった所為で中々味には集中できなかった。

 食べ終えてから、再び小説を手に取り、続きである解決篇を読み進めた。密室殺人のトリックは『全員で密室開けて入室した後、実は眠らせていただけの被害者に真っ先に近づき、自分の身体を陰にして隠し持っていたナイフで背中を刺す』というものだった。手に付着した返り血も、抱き着いた時に偶然付いただけと誤魔化していたのだ。

 読んでみた感想は、刺した瞬間にその痛みで目が覚めて悲鳴をあげられたらどうするのだろうという疑問だった。この方法では、一瞬で息の根を止めなければ出来ないのではなかろうか。とても読み易くはあったが、やはり孤島の館で殺人など犯すべきじゃない。本当に殺したいなら、通り魔を装って殺すのが一番であるだろう。

 そんな物騒な事を考えていると、玄関扉をノックする音が聞こえた。小説を座卓に置いて出てみると、自身が戦闘服と称していたスーツ姿に身を包んだ貴島先輩が立っていた。朝風呂に入ったのか、髪の毛が少し濡れていた。

「東雲君には伝えて無かったのを思い出して、今日の大まかな段取りを確認しに来たの。中に入っても大丈夫?」

「あ、はい。どうぞ」

「それじゃあお邪魔するね」

 音を立てないよう丁寧に扉を閉めて、貴島さんは僕たちの室内に入った。居間に足を踏み入れた貴島さんは苧環さんのいびき声に一瞬驚愕し、それからかなり顔を顰めていた。

「苧環さん、もう八時なのにまだ寝てるの? 朝ごはんだって食べてないみたいだし、大丈夫?」

「多分……大丈夫だと思います。ところで、貴島さんは朝ごはん食べたんですか?」

 このままだと流石の貴島さんも機嫌を損ねると思い、会話の対象を苧環さんから方向転換させてみた。

「私? 私は食べてないよ。社会人としては失格かもしれないけど、朝ごはんは食べない主義なんだ。だから今日も明日も朝食は要らないって、昨日の内に断っておいたの。代わりにってわけじゃないけど、朝は食事分の空いた時間で、いつもお風呂に入ることにしてるんだ」

 このまま上手く話題を逸らしていければと思ったが、それは無駄な努力だった。

「そんなことより苧環さんよ。葉月君が遠慮してるなら、代わりに私が起こそうか?」

 苧環さんがその醜態を晒して面目が丸潰れになり、尊厳を失ってしまう事は正直どうでもいい。けれど貴島さんは別である。朝早くの、それも仕事前に不愉快なモノを目撃させるのは申し訳ない。

「いえ。仕事には支障が無いように僕がちゃんとしますので、まだゆっくりとさせてあげてください。それに、そこまで貴島さんの手を煩わせるのも悪いですよ」

「そう。ならいいけど。でも、幾らバイトで葉月君の方が立場が下だからって、何でもかんでも苧環さんの顔色を窺う必要はないよ。時には、厳しい態度を取らなきゃダメだからね」

「はい。肝に銘じておきます」

 貴島さんに頭を下げる。不本意ではあるが、結果として苧環さんの最後の尊厳を守り、僕が説教という割を食う羽目になってしまった。

 貴島さんと向かい合うように座り、口頭で伝えられた今日のスケジュールを簡単にメモに取った。

 今日の基本的な流れは十時に四葩さんの部屋で取材を開始し、十二時に終了。それから一時間の昼休憩。休憩終わりの一時からは取材内容を精査し、記事に書く内容を簡単に概要として纏める。これは記事の事前チェックが要求されているので、書き上げてからの修正を求められる前に、前段階でいったん監査をしてもらうために行うらしい。この概要は、明日のチェックアウトまでに四葩さんに了承をもらうのを前提に作成するという事だ。

 伝達事項を言い終えると、貴島さんが座卓の上に置いていた推理小説に目を留めた。

「あ、これ、去年の苧環さんの誕生日に私があげたものなんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。私が一年目の時、苧環さんがやけに誕生日のアピールをしてきてね。あの人、丁度ミステリーに嵌り始めた頃だったから、以来、誕生日には毎年推理小説をプレゼントしてるんだ。で、これは去年にあげたものなの。ちゃんと読んでくれてるみたいで良かった」

 貴島さんはきっとせがまれたのを無視出来ず、仕方なく誕生日プレゼントをしているのだろう。それが毎年となれば大変だ。

「そういえば、貴島さんがミステリーに嵌った切欠って何だったんですか?」

「うーん、実を言うとね、私はミステリーに嵌ってるって程じゃないの。正確には、嫌いじゃないから暇があるときに偶に読むって感じかな。でも、苧環さんにはすっかりとミステリーマニアだと思われていてね。頻繁にそういった話もされるし、自分でも好きだって話したことがある手前、今更そこまでじゃないとは告白できなくなっちゃって。最近では、話を合わせるために仕方なく読んでる時だってあるくらいなのよ」

 好意を持つ相手の気を引くために共通の趣味を持っていると考えているのが、その実、相手にはそこまでの熱意がなく逆に気を使わせてしまっているとは、苧環さんの思いも報われない。やはり苧環さんは、朝顔の花言葉が似合う先輩であるようだ。

「おっと、このままじゃあ昨日の夜みたいにまた長話になっちゃうわね。私も自分の準備があるから、そろそろ部屋に戻るわ。それじゃあ、苧環さんの事はよろしくお願いね」

 そう言って立ち上がった貴島さんが退室した後、僕は襖を開けて未だ夢の中に居る苧環さんを起こした。

「ん……、もう朝か……」

 寝ぼけ眼を擦り、欠伸混じりの声を発しながら苧環さんが目を覚ました。顔を歪めながらしきりに頭を押さえていたので、きっと二日酔いに陥っているのだろう。ビールを九本も飲めば当然だ。

 中々動こうとしないので、仕方なく着替えと朝食を済ますように促した。何とか仕事着に着替えた苧環さんは、脱いだ浴衣を放り投げたまま、すっかりと冷めた朝食を特に気にすることも無く食べ進めていた。ささやかな復讐はまったく意味を為さなかったが、頭痛に苛まれているのを見て、なんだが気分は晴れていた。

 五十鈴さんもきっと忙しいだろうと思い、朝食を食べ終えても内線を入れるのは控えておいた。

 少しでも楽な姿勢で居たいのだろう、苧環さんは畳に寝転がった。もしや二度寝しないか不安になったが、その時は全力で目を覚まさせてやろうという、僕の邪悪な心が同時に芽生えた。

 寝転がったまま、苧環さんが僕に時間を尋ねてきた。僕は腕時計を見ながら時間の報告をした。

「えーと、今は八時四十七分ですね」

「そっか。それじゃあまだゆっくりと出来るな。ところで、空いたお膳はやっぱり内線で連絡しなきゃ取りに来ないのか?」

「ええ、連絡があればすぐに来るって言ってました。でも、連絡をしなくても九時半頃になれば勝手に取りに来てくれるらしいですよ」

「そうか。他の旅館に比べてここは遅いんだな」

 欠伸混じりに苧環さんが言った。旅館は初めてなので、僕はそれが他と違うのかどうかは少しも分からなかったし、特に興味も無かった。

「へぇ、そうなんですか。まあ、旅館にも色々あるって事ですよ」

「それもそうだな。それじゃあ俺は気にせずに休んでおくから、十時二十分前になったら教えてくれ。あとカメラとかの機材チェックは忘れるなよ」

「はーい。それじゃあちょっと鞄を開けさせてもらいますね」

 貴島さんに厳しい態度も必要だと注意をされたばかりではあるし、先ほど邪悪な心が芽生えたばかりだが、やはり面倒事は避けたいので、僕は事なかれ主義を発動させて軽くそう返事をした。

 苧環さんの鞄からカメラを取り出し、不備がないかの確認をした。苧環さんは取材時にはなんと、一眼レフのカメラを使用しているのだ。昨夜自身でも言っていたが、所詮は二流雑誌なので、これは大仰ではないか。会社の備品であるデジカメだってあるので、それで十分だと僕は思っている。けれどそこは苧環さんも何気にプロ意識を持っているのかもしれないので、余計な口出しはしないようにしている。

 ファインダー、レンズ、スクリーンだけでなく、裏蓋を開けてシャッター幕や圧板まで傷、汚れ、錆が無いかを視認。それからレンズを外した状態でシャッターやミラーの動作を確認。元通りにしてから絞りがちゃんと絞り切れるかを確かめ、念のため最後に一枚写真を取ってみてカメラのチェックは終了だ。フィルムも十分に持ってきており、結果は問題無しだった。すっかりと慣れてしまった作業を素早く終わらせ、デジカメの方もバッテリー残量や容量、動作の確認を行った。こちらも無事に使用できる。僕が持たされた予備のICレコーダーも大丈夫だ。実際に使用するICレコーダーや原稿のたたき台は貴島さんが持っているので、そちらは向こうに任せて平気だろう。

「機材チェック終了です。問題ありませんでした」

 多分聞いてはいないだろうが、苧環さんへの報告も完了した。取材の開始時間までにまだ一時間弱の余裕があったので僕も少し休憩しようかと考えていると、再び貴島さんがやって来た。

「どう? 大体の準備は終わった?」

「はい。カメラ二台と予備のICレコーダー、全て問題ありません。苧環さんも着替え終えてますので、基本的な準備は大丈夫です」

「そう。それじゃあ少し早いけど、大岩桐先生へ先に挨拶だけ済ませておこうか。あ、まだ挨拶だけなので、苧環さんは部屋に居てもらっていいですよ」

 玄関口から振り返って居間の奥の苧環さんを見ると、やる気のない顔をして寝そべったままだった。普段なら貴島さんの顔を見るだけで浮かれそうな人なのに、今朝はまったくそのような素振りを見せていない。そこまで二日酔いが酷いのか。それとも、昨夜のやけ酒は本当に貴島さんと関係があるのだろうか。

 取り敢えず部屋の外に出て、貴島さんに確認をしてみた。

「苧環さん、昨日の夜やけに不機嫌だったんですけど、何か心当たりあります?」

「え、そうなの? 昨日は、旅館に着いた後は苧環さんとはほとんど顔を合わせていないから、分からないな。どうしたんだろ?」

 貴島さんは本当に何も知らないようだった。どうやら僕の考え過ぎらしい。もしかすると昨日の昼過ぎの、貴島さんに観光を断られた事をまだ根に持っているという、その程度なのかもしれない。それが正解かも分からないのに、僕は謎が解けたような爽快感を覚えていた。同時に、まったく別のふとした疑問が浮かんできた。道すがら、僕はそれを質問した。

「そういえば全然話は変わるんですけど、全員で挨拶しないのはちょっと失礼になるんじゃないですか?」

「当然失礼よ。でも、苧環さんは大岩桐先生の事が嫌いみたいなの。苧環さんは性格がちょっとあれだから、不遜な態度を取って取材前に機嫌を悪くさせる危険性があるでしょ。最悪の場合、取材自体を取り止めにされる可能性だってあるし、それを考慮すれば、苧環さんを抜いて二人だけで出向いた方が無難だわ」

 貴島さんは苦笑した。

「ああ、なるほど。確かに苧環さん大岩桐先生にあまり良い感情を持ってないみたいですね」

 昨夜の発言を思い出し、僕は納得した。貴島さんの言う通り、多少無礼になるとしても、仕事が中止になるよりは何倍もマシだろう。それに四葩さんは、名誉なんて気にしないと言っていた。見下している相手の挨拶の有無など、案外微塵も気に留めないかもしれない。

 四葩さんが泊まっているのは三階の一番南側の『薔薇の間』という客室だ。二階から三階へ上がり、扉の前まで来て二度、軽くノックした。応答無し。もう一度、今度は強めに三回ノックをした。これも応答無し。

「大岩桐先生。貴島です。少し早いですが、ご挨拶に伺いました。お部屋を開けていただけませんか?」

 今度は貴島さんがノックをしながら呼びかけてみるも、室内からの反応は無かった。もしかして外出でもしているのだろうか。貴島さんがスラックスのポケットからスマートフォンを取り出し、電話を掛けた。四葩さんの番号だろう、室内から着信音のようなものが微かに聞こえてきた。どうやら外出という線は薄いようだ。しかし長い事電話を鳴らしていたが、着信音にすら気付いていないのか一向に出る気配が無い。最後にドアノブを回してみるも、やはり鍵が掛かっていて扉は開かなかった。

 さすがに不安になってきたのか、心配そうな表情を浮かべた貴島さんが、受付に合鍵を借りてくる旨を僕に告げてこの場から離れていった。その間、僕は廊下で立ち尽くしてその帰りを待つだけだった。四葩がひょっこり顔を出してこないかなんて期待してみたが、そんな事は起こらなかった。

 しばらくして貴島さんが戻ってきた。傍に合鍵を持った仲居さんを連れて歩いている。五十鈴さんだった。

「お手数おかけしてすみません」

「あ、東雲さん。いえ、私は全然構わないんですけど、室内のお客様は大丈夫なんでしょうか?」

「それが、一切応答が無いんでわからないんですよ。携帯電話は室内にあるみたいなんですけど、音が鳴ってても出てもらえなくて」

「え、それは心配ですね。ちょっと待ってください」

 五十鈴さんが慌てて合鍵で扉を開け「お邪魔致します」と恐縮しながら室内に入っていった。僕は無言でそれに続き、「失礼します」と最後に貴島が入室した。

 室内は僕たちの部屋を大差のない造りだった。少し幅の狭い廊下の先に、空間に余裕のある和室が広がっている。座卓の上には、途中まで食べられた朝食のお盆が残っていた。

 向かって左側にある寝室は襖が開けられて布団が一組敷かれていた。寝室と居間の障子戸は閉まっており、電気も点けられていなかったので仄暗かった。そえでも決しておかしな事はなく、それはごく普通の光景であるはずだった。ある一つの、不自然なものを発見するまでは。

 座卓とその奥の障子戸の間にある空いたスペースに、その不自然な人影は在った。それは今朝の苧環さんのように浴衣をはだけさせて、畳の上に仰向けになっている四葩さんの姿だった。

 僕の前に居た五十鈴さんが、大きな悲鳴を挙げていた。僕の後ろに居た貴島さんが、大岩桐さんの名前を叫んだ。僕は金縛りにあったかのように口や身体を動かすことさえ出来ずに、ただ立ち尽くして四葩さんを眺めていた。

 怨嗟の表情を浮かべながら目を見開き、大きく開いた口から血を零している。はだけた浴衣から露出している胸部からは、本来あるはずの無いが生えていた。それは、中心からほぼ垂直に突き立てられたナイフだった。刺し口からは、口元から流れているのとは比較にならない程の夥しい血が溢れていた。それが浴衣や畳の一部を赤黒く汚し、その場の違和感をさらに際立たせている。まさか、自分が人生の中で、ただの一度でもこんな推理小説に出てくるような現場に出くわすなんて、夢にも思わなかった。俄かには受け入れがたいこの状況は、けれど紛れもない現実だ。密室に思える室内の中で、目の前に横たわる四葩さんは、間違いなく絶命していた。

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