第2話 〈無〉の顕現
「アクリスの出現を確認しました!場所はト―11のブロック3!」
ホログラムで形成されたモニターに囲まれた、薄暗い空間。そこにいるヘッドフォンをつけた人影が、苦虫を噛み潰したような表情で、画面に映った内容を報告する。
「……近くに魔導機士は居るか?」
報告を聞いて片眉を持ち上げたのは、たくさんのオペレーターらしき人間が居るフロアよりも一段高い場所でマルチモニタを確認していた男だった。男の言葉を受けて、別のオペレーターが回答を口にする。
「ただいまID照合中……いました、現在非番のクロガネ小隊です」
「よし、ならばクロガネ小隊を回せ。……すぐに動けるのは誰だ?」
「「ガーンディーヴァ」は移動手段を持っているため、すぐにでも展開可能ですが、ほかの二人は徒歩での移動となります。「アスカロン」も「アイギス」も、到着には時間がかかるかと」
男の問いに答えたのはオペレーターではなく、彼の陰から進み出てきたもう一人の男性だった。その男性もまた、ともすれば上官である男の目の前で舌打ちをしそうなくらいに顔をゆがめている。
「わかった、今回は彼だけを回そう。ケイ君につないでくれ」
男の指示から数秒もたたずに、彼の眼前にホログラムが浮かび上がった。実態を持たないモニターには、半透明の文字で「SoundOnly」の表記が浮かんでいる。
《もしもし、アクリスの件で?》
数秒と経たないうちに、ホログラムからはけだるげな声が聞こえてきた。明らかにやる気なさげな態度に、傍に控える男性は思わず頭を抱えるが、男は気にせずに口を開く。
「そうだ。……現在民間人の被害は確認中だが、奴は随分と暴れている。出現した場所が場所だ、このまま取り押さえられなければ、たくさんの被害が出る」
《知ってますよ》
深刻気な顔でつぶやいた男に対する答えは、至極シンプルな一言だけだった。傍の男性が額を抑えながらため息をつく傍ら、男は満足げに頷く。
「ならば、よい。……現時刻を持って、対象のコードをアクリス:タイプ「バイディノス」と断定。魔導機士山代ケイは、これの撃滅に当たれ」
《さーいぇっさー》
適当極まりない返事を伝えたきり、ホログラムは暗転、沈黙した。それを見るや否や、傍らの男性が勢いよく頭を下げる。
「……不肖の部下が、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いいさ。……素行はともかく、彼は魔導機士として実に有能だ。態度以外に問題がないのならば、それはさしたる問題にはなるまいて」
そう言って肩をすくめる男は、どこか諦めたような、疲れたような表情をしていた。
***
「うおわああぁぁぁあぁぁぁッ!?」
狭い路地に逃げ込んで身を隠し、そのまま事なきを得ようと思っていたハルト。しかしその狭い路地を強引に押し広げて突き進んでくる、バイディノスと銘打たれた(その名前をハルトが知る由もないが)双角のアクリスと、その余波で飛んでくる瓦礫に揺さぶられながら、彼は現在、必死の形相で逃走を図っていた。
ハルトとしては、路地裏に身を隠しさえすれば、分厚いコンクリートが障壁となって立ちふさがり、さしものアクリスだろうと通ることはできないと考えていたのだが、どうやら今回のアクリスは、今までのものよりもさらにパワーに特化したタイプらしい。コンクリートなどそ知らぬ顔で、ゴリゴリと削り取りながら、ハルトめがけて進撃してきたのである。
ハルトはその時思った。これは終わったなと。
だが次の瞬間、体がそれを拒絶するかのように、ハルトは双角のアクリスが大きく開いたあぎとから逃れ、反対側の出口へと猛ダッシュしていた。気が付けば路地からも飛び出ていたハルトは、肝を冷やしながらもとりあえずは乗り切れたと安堵する。しかし当然、ハルトは足を止めることはなかった。
息を切らしながらもその場から離れてから間もなく、コンクリートを粉砕して双角のアクリスが飛び出て来たのである。そのまま何度も続けてきた咆哮を天へと轟かせて、ハルトをにらみつけた双角のアクリスは、再び彼をあぎとの中へ収めんと進撃を開始した。ハルトにとって幸いだったのは、双角のアクリスが思いのほか鈍足だったこと。ハルトの一般人と変わらない脚力、走力でも、なんとか追いつかれずに済んでいるのが現状だった。
「しつ、っこいっての!!」
ハルト自身は典型的な文系であり、学校の体育を除いて運動というものには縁がない。せいぜいが学友たちとのゲームに興じるくらいなその体力のなさを、今回ばかりは彼自身恨めしく感じていた。現に、ハルトは息も絶え絶えであり、時たま自分の足にもつれて転んでしまいそうになっている。それでも逃げるのは、ほかでもない自分が助かるためだ。誰しも、理不尽に自然災害で命を落としたくなどない。それは、ハルトとて例外ではなかった。
子供のころには遊びのために走り回り、自身の庭と豪語していた街の中を、ハルトは右に左に複雑なルートを逃げていく。実際のところは大した考えもないただの全力逃走ではあったが、結果としてそれが功をなしたらしい。ちょこまかと逃げ回るハルトの素早さを面倒と感じたのか、双角のアクリスがゆっくりと走る速度を緩めていった。
「……ぁ……っ」
対するハルトは、双角のアクリスが完全に停止したのを確認した後、すぐさま曲がり角へと飛び込んで、そのまま転がるように倒れこむ。むろん、遠くに逃げなければ停止したことを感知されてしまうかもしれないことは十分に理解しているが、今やハルトの体は鉛の枷でもつけられたかのようにずっしりと重いものに変わっていた。要するに、走りすぎて動けないのである。
いまだ逃げきれていないことは痛いほど理解しているが、それでもハルトは全身を弛緩させたまま動けなかった。限界を超えたレベルで体を行使していた今のハルトにとって、動くということは何よりも重労働なことにしか認識できない。
「――うわあぁぁぁぁぁッ!?」
「……ぇ……?」
その声を聴くまでは。
疲れから来る痛みを訴える体にムチ打ち、ハルトは路地からわずかに顔を出して、双角のアクリスが今何をしているのかを確認する。そうして彼の視界に入った光景は、半ば想像していた通りの、最悪なものだった。
「あぁぁぁぁぁぁっ、くっ、くるな、来るな来るな、うわああぁぁぁぁ!!」
双角のアクリスが唸りをあげて迫るその先に、三つの人影。そのうちの一人が、もう一つの人影を抱えるようにして、悲鳴を上げながら後ずさる光景が、ハルトの目に飛び込んできたのだ。
叫びながらもう一人を抱きかかえているのは、一見するとサラリーマンのような風体を持つ男性。もう一人、その男性に抱えられているのは、彼の子供と思しき少年少女二人だった。
どうしてそんなところに人がいるのかとハルトは驚愕するが、すぐに彼は後悔する。男性たちが逃げているその場所は、いましがた自分が通って逃げてきた道だと、無意識に引き出した記憶で思い出したからだ。
(――俺の、せい?)
三人がだんだんと壁際に追い詰められていく光景を見たハルトは、瞬間的にそんなことを考えるが、ハルトはそれを即座に否定する。現実的に考えるならば、彼が悪いのではなく、双角のアクリスに追い詰められている親子の運が悪かったとも言えるからだ。
そもそも、ハルトやほかの一般市民もさんざ理解している通り、普通の人間がアクリスと正面切って戦う
など、形容すらできないほどの馬鹿がやることとして認知されている。それゆえ逃げることが推奨されているのだが、その点を踏まえるならば、今までハルトが生きていることは奇跡と言っても過言ではない。
ハルトがアクリスと遭遇したのは、まさに彼とアクリスの距離が目と鼻の先だった。普通ならば恐怖で竦んだりパニックになったり、突然の出来事を理解できずに呆然とするところを、彼は迅速な逃亡を選択する。幸か不幸かそれが逃走劇の発端となったものの、普通ならば食われて臨終ということを考えれば、ハルトは十分に最善の判断をしたと言えるだろう。
そうして、生き残るために必死に逃げてきたハルトに、誰か別の人間のことを考える余裕など――人が出てくることを予測するなど、できるはずもないのだ。
(俺のせいだ。俺のせいで、あの人たちはアクリスの被害に巻き込まれてる――)
しかし、それを理解していてなお、ハルトの脳裏には自らを責めるような考えがよぎり続ける。ゆっくりと追い詰められていく三人の人影を視界に納め続けるハルトは、かつて味わったことさえない無力感にさいなまれていた。
(もし、俺にマギアを扱える力があったら)
(もし、俺が魔導機士なら、あの人たちを助けられるのに――!)
小さな子供がイヤイヤと駄々をこねるような格好で、ハルトは目の前で起ころうとしている惨劇を否定し続ける。
(嫌だ。自分のせいで、関係もない人に悲劇が降りかかるなんて、絶対に嫌だ――!!)
そうして、訪れるであろう未来を、降りかかる惨劇と、そこに生まれる悲しみを否定したハルトに。
〈 〉
「――――えっ?」
表現も形容もできない何かが、意味も羅列も理解できない、しかしはっきりと聞き取れる何かで、語りかけた。
〈ならば、祈れ〉
幻聴だろうかと考え、耳を澄ましてみると、今度ははっきりと、文章におこせるぐらいに明確な「言葉」が、ハルトの聴覚を――もっと奥の根源的などこかを震わせる。
〈紡げ、その呪いを。呼び起せ、其の名を〉
〈――――「無炎」の名を〉
聞こえたその言葉を。
紡がれたその名を。
はっきりと意識に縫いとめて。
「――ゼロフレイムウウゥゥゥゥ!!!」
ハルトが、半ば無意識のままに、其の名を天高く呼ぶ。
「――――――これ、は」
そうして咆哮を上げて、いくばくかの時が過ぎたころ。
自らを包んだ暖かな闇から意識を浮上させたハルトは、ようやく自らの身と、その周囲で起きていた出来事を理解した。
すなわち、双角のアクリスの巨大なあぎとを受け止める剣に。
すなわち、今まさに食われようとしていた人影たちの前に立ちはだかる己に。
すなわち、自らの身を包む、近未来然とした流線型の外観を持つ甲冑――魔導機士だけが身にまとうことを許される、魔導機士の為の鎧たる、「魔動鎧」に。