第1話 日常、時々理不尽
プロローグと(ほぼ)同時掲載になります。前話をお読みでない方は、そちらから読むことを推奨いたします。
「……あー、眠ぃ」
呟きながら、少年はくぁと口を開けて、眠気を多分に含んだ息を吐き出した。浮かんできた涙を瞬きの連続で追い返して、少年は再び歩みを再開する。
朝日が街々を照らす時間帯。少年が手に持つ携帯のデジタル時計は、すでに8時になろうかという頃合いである。まばらになり始めた学徒の陰に紛れながら、少年は川沿いの通学路をゆっくりと歩いていく。そんな最中、少年は背後から近付く駆け足の音に気が付いた。そのまま何をするわけでもなく、気紛れに足の向きを変えて歩くルートを変更する。
「おっはるううぅぅぉおおぉっとっとぉ!?」
いくばくもしないうち、奇妙な悲鳴を上げながら少年の横をすり抜けていった男子学生が、まるでアニメかマンガのように盛大なつんのめり方を経て停止した。直後、ぐばっと体の向きをこちらに向けて抗議を始める。
「ハルコラァ!なんで避けるんだ!」
「だって、朝から運動部のタックルなんて食らいたくねーし。……というか、なんで朝からそんなに元気なんだよカズ」
カズ――本名を「遠間カズキ」という抗議を続ける少年に、ハル――本名を「柏尾ハルト」と呼ばれた少年は心底面倒臭そうな表情を向けていた。長い腐れ縁の二人にとって、朝の出来事は日常茶飯事と呼べるくらいに恒例化したものでもある。そんないつも通りの応酬を繰り返している中で、ハルトの疑問を拾ったらしいカズキが、誇らしげに胸を張りながら答えた。
「ふっふっふ、聞いて驚け。……なんと!今度の連休にな、ウチが「ヴァニア」へ旅行に行くことが決定したんだよ!」
「……おぉ、マジでか」
この世界の人間にとってはなじみ深いものとなった国名――ならぬ世界の名前を聞いて、ハルトはわずかに驚きを見せる。
ヴァニア。それはさかのぼること30年前にこの地球と交流を開始した、地球を擁する宇宙とは異なる次元に存在する、異世界のことだ。かつてこの世界が「アクリス」と呼ばれる異形の怪物たちの脅威にさらされていた時、同じようにアクリスと戦っていたヴァニアが異界へとつながるポータル……通称「ゲート」を開いて地球へと現れ、共通の脅威と戦うために手を差し伸べてきたのが、そもそもの始まりだと、現在の歴史の授業では教えられている。
ゲートを開ける素質を持たない人間がゲートを超えるためには、特殊な加工を施して、二つの世界をつなぐ時空間を超えることを可能とした乗り物を使わなければならないのが常識だ。ゆえに二つの世界はそう簡単に行き来することができず、ゲートを超えるための乗り物も生産数は決して多くない。そのため、自然と渡界費用は高くなってしまうのだ。そのことを知っているゆえにを表情の変化を見せたハルトに気を良くしたのか、カズキはさらに饒舌さを見せ始める。
「だろだろ!……そんでな?おふくろとしては俺らだけで行くつもりだったらしいんだけど、ヴァニア行きのチケットが5人分セットの方がお得で、オヤジがそれを買って来たんだよ。んで、ウチってば四人家族じゃん?」
「ああ。…………あぁ、そういうことか」
「オフコォーッス!というわけでだ、よければハルも行かないか、ヴァニア?」
喜色を前面に押し出した様子のカズに気おされつつも、彼の口をついて出た提案に、ハルトは内心で興味を持っていた。
「……あぁ、うん。予定が合えば行こうかな。でも、いいのか?カズの家って、そういうのは家族だけで楽しむのが普通じゃ……」
了承した直後に噴出した疑問を、カズキはちっちっちという口真似をつけた指で否定する。
「お前の家とウチって、だいぶ前から付き合いあるだろ?カズも何回かウチに泊まってるし、隣の家がアクリスの被害で火事になって、ウチが焼けちまった時はお前の家に住ませてくれたじゃんか。そういうとこに、おふくろもオヤジも恩義感じてるらしくってな。連れてけるんなら是非!って感じに、俺にお誘い役が回ってきたってわけよ」
カズの話を聞いて、あぁとハルトは納得した。確かにそんなこともあったなぁと、同時に奥底で埋没していた記憶を掘り起こす。
何年か前に、ハルト達が住んでいた街をはじめとした各地の都市が、偶発的にほぼ同じ時刻に出現したアクリスに襲撃されるという事態があったのだ。アクリス自体は対アクリス用の武装「マギウス・ギア」ことマギアを携えた戦士たちによって討伐されたのだが、なにぶん大量のアクリスが出現したという前例のない事態が起きたために対応に手間取り、結果小規模ながら被害をこうむった家が出たのである。カズキの家もまた、アクリスが引き起こした火災に巻き込まれてしまい、結果家が半分ほど焼け落ちてしまうという被害を受けたのだ。
家が焼けて途方に暮れている遠間家族を、当時から家族ぐるみの付き合いがあったハルトが、長らく両親が不在である家に住まわせたのが、カズキの言う恩義というものなのだろう。あの時は何度もお礼を言われて大変だったなぁとどうでもいいことを思い出しながら、ハルトは再開されたカズキとの会話に興じる。
「最近、ハルんところのおばさんたちは帰ってこれないんだろ?」
「あぁ……なんでも、マギアの開発に忙しいらしくってな。今、新型の試作機を運用するために人を集めてるんだってさ」
「へー。やっぱ、マギアの開発って大変なんだろうなぁ」
「らしい。でもまぁ、その開発の収入で俺も生活できてるんだ。感謝こそすれ、文句や不満なんてないさ」
そのまま会話に花を咲かせつつ、二人は通っている学校の正門を通り、敷地へと入っていった。
***
「ほんじゃ、今日はここらへんでだな」
「あぁ、また明日な」
つつがなく学校の授業を終えて、二人は別々の帰路につく。以前に家が焼けてしまった際に遠間家は引っ越しを行ったため、現在の二人ははそれぞれ少しばかり離れた場所に家を構えている。そのため、どちらかの家に遊びに行く以外は、こうして別々の帰路を取っているのだ。
騒がしい腐れ縁の親友が居なくなったことで静かになった道を、ハルトはゆったりと歩いていく。思考は、本日の夕飯を何にするかに向いていた。
ハルトの両親は双方とも、マギア開発者として有名になっている。そのため、基本的に長い休日をとれた時以外は、海外――厳密にいえば、太平洋沿岸に生まれた中立地の上に建設された、マギア使いたち専用の人工島だが――に設置されているマギア使い達を統括する組織「セイバー」の本部にある研究棟で、新型の作成に励んでいるのだ。ゆえにハルトはあまり二人と会ったことはないが、両親のどちらもが溺愛レベルでハルトのことを愛しているため、彼自身不満と思ったことは一度もない。むしろ、二人のおかげでささやかながらもぜいたくな暮らしができるのに感謝するべきだと、ハルトは考えていた。
(……の割に、俺って庶民的だよなぁ)
お金こそ両親から沢山――それこそ貯蓄しておいた分を合わせれば家の一件くらい普通に買えるぐらいには貰っているが、ハルトの生活と言えば近所のスーパーが行う安売りに飛びつくくらいには庶民的である。そんな妙な価値観の齟齬に、ハルトは苦笑する。そのぐらいが俺らしいだろう、と。
そうした思考を展開しながら、ハルトは強くなってきた夕日の中をゆっくりと歩く。そういえば夕飯のメニューを何にするか決めてなかったなぁと思い、何を作ろうか考え始めていた、その時だった。
かつん、と何かが靴に当たり、蹴り飛ばされたそれが夕日を反射しながら転がっていく。
「……ん?」
目を向けると、そこにはハルトが蹴ったものであろう、きらりと輝く何かが落ちていた。立ち止まって確かめてみると、それは金色のチェーンと型にはめ込まれた、真っ赤な宝石がよく目立つペンダントとして、ハルトの視界に映り込む。
その紅玉のペンダントを見つめて、しばしハルトはその輝きに見惚れていた。赤々と燃える夕日を取り込んだ赤い宝石は、その輝きをさらに深い赤へと変えて、ハルトの目に柔らかく焼き付く。目立った細工こそされていないが、見事な造形に削り出された金のふちどりが反射する色は、ともすれば背景でもある夕日と同化してしまいそうなほどに、燃えるような赤に染まっていた。
「……落し物?」
ペンダントを拾い上げて、しばしその造形を観察する。遠目ではよく目立つ宝石のせいもあり、ただの金色のふちどりにしか見えなかった周囲の金色は、イチジクの葉と剣を混ぜたような形をしていた。その中央に、遠くからでもひときわ目立っていた真紅の宝玉が収まっている。
一目見て、きれいだとハルトは感じていた。それと同時に、これを持ってたらマズいんじゃないかといく気分になる。これがどこかのいいとこの人の持ち物であり、拾ったことがきっかけで盗んだとか難癖付けられてはたまったものではない。そう考えて、しかしハルトはそのまま放置する気にもなれなかった。どうせ自分が置いといても、誰かが拾うに違いない。
「……ま、交番に届けるのが妥当だよな」
はたしてこの近くに交番なんてあっただろうかと脳内地図を呼び出しつつ、ハルトがそこへの道を歩き始めようとした、その時だった。
何か硬質な物体がひび割れるような、びしりという不快な破砕音。それが、ハルトの耳に届く。
「っ」
慌ててハルトは周囲を見回すが、何かを踏んづけたような形跡もなければ、周囲にそれらしい音を鳴らす物もない。ハルト以外の通行人も存在しないその場に、そのような音を鳴らすモノは存在しなかった。ならばと空を見上げて――。
「……マジかよ」
ハルトの頭上高く。影で黒くなる雲と、茜色に染まりゆく空。その一点に、淡く虹色に輝く「亀裂」が走っていた。びしり、べきり、という耳障りな音を立てて、虹色をはらんだ亀裂はその規模を増していく。
何度か、その光景を見たことはある。それは教科書の中の写真であったり、報道されたニュースで流れた資料映像だったり、果てはお天気リポート中のテレビでだったり。ともかく、それを肉眼で視認することは、ほぼなかった。
だがしかし、今この瞬間、ハルトはまさに直視している。人類がマギアという戦う力を手に入れてなお苦戦する、異世界ヴァニアとの交流が始まるきっかけとなった、人々と敵対する異形の怪物――アクリスを送り込むための、時空を突き破るための空間干渉。その現場を。
やがて、空間を映した破片がパラパラとこぼれはじめ、それが空気に溶けて光の粒になって消え去っていくころ、ようやくハルトは再起動した。次いで、全速力で後ずさる。
「おい、おいおいおいちょっと待てって……!?」
そのまま、これから起こることを予測してしまったせいで鈍った体を必死に動かして、握りしめたペンダントのことも忘れて、その場から逃走を図った。
至極当たり前の話である。もともとアクリスには、現代兵器による攻撃のほとんどが通用しないのだ。唯一核兵器だけは通用するということが、洋上に現れたアクリスへの投下実験によって明らかになったが、そんなものを使うならば、対アクリスに特化した決戦兵器であるマギアを使う方が、予算的にも人道的にもよっぽど良い。そんな化け物を一般人が相手どるなど、無謀なんてものを通り越してギャグマンガばりに馬鹿げた話だ。
それを、かつて近所に出現したアクリスを見て痛いほどに理解しているハルトは、故に逃げることを選択する。そうしてハルトがつんのめりながらも逃走を始めたその時、途方もないほどの爆音でもってもたらされた破砕音を伴って、空間を突き破った異形の怪物が、姿を現した。
「――アクリス」
全力疾走の構えを取りながら、ハルトは背後で現出した怪物――人類共通の大敵ともいえる存在「アクリス」の名を呟いた。
姿をなしたアクリスは、まるで子供の絵本に出てくるようなティラノサウルスに似た姿を持っている。最大の相違点と言えば、その頭には巨大なねじれた角が二本、突き出ているということか。さらに、その口からは真っ赤な炎がどろどろと漏れ出ているその様は、万人がアクリスだと言えるくらいには異様な姿をしている。
「――――ガアアァァァァアァァァァアァァ!!!」
恐竜型のアクリスが、天を仰いで咆哮を上げた。それは、文字というものでは形容できない、いびつでけたたましいもの。
「ヤバい……ヤバい、ヤバいって!」
周辺を見渡してみるが、ハルト以外には人影はいなかった。つまるところ、出現したアクリスからもっとも近い場所にいるのは、自分だけということ。転じてそれは、アクリスに狙いを定められる危険性が、致死量を軽く超えるレベルまで跳ね上がっていることを示していた。そのことを怖気をはらむ体で理解するハルトは、いましがた歩いていた路地を、逆方向めがけて全力で走る。
そして不意に、背中から射抜かれるような殺気を感じ、ハルトはつんのめった。振り返らずとも、自分がターゲットに定められたことくらい、容易く理解できる。その証拠に、再度形容しがたい咆哮が背後から轟いた後、死を運ぶおぞましい地響きが、ハルトめがけて迫ってきていて――。
(――なんで、こんなことにいぃぃぃッ!!?)
心の中で理不尽めがけて思いっきり叫んだあと、ハルトは背後から迫る死を嫌というほど実感しながら、夕日の中を走り去って行った。
劇中用語解説ノート…
(必ずしもここで理解する必要はないため、本編だけを読みたい方は飛ばしてください)
◇ヴァニア
通称異世界。約三十年前のヴァニア人が開いた「ゲート」の向こうに存在する、地球を擁する宇宙とは別の時空に存在する世界のこと。
魔法、魔力を用いた各種技術を発達させた独自の生活様式を持ち、文明と自然を調和させた牧歌的な営みを続けている。
ヴァニア人は魔力、魔法と触れ合う機会が多いため、大多数の人間が魔力を持つのが特徴。逆に、地球人は魔力への親しみが薄いため、魔力を持たないものが多い。