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赤ずきんさまッ!

 ぽかぽか。ぽかぽか。気持ちのいい陽光が窓から差し込んでいる。ここ数日の天気は土砂降りの雨だったが、今朝は見事な快晴だ。

 窓辺で日向ぼっこもいいが、森を歩くのも捨てがたいかなあ。

 母と一緒に朝食を済ませ、木製の食器を洗う赤ずきんは今日の予定を頭の中で組み始める。そこへ、一羽の伝書鳩が窓の隙間を抜けて侵入してきた。クルッポー。鳴き声を上げ、母の肩に止まった伝書鳩の足には、一通の手紙が結ばれている。母が手紙を解いて目を通したところ、どうやらおばあさんからの手紙らしい。


「あらあら。おばあさん、風邪で寝込んじゃったらしいわ。赤ずきん、あなたお見舞いに行ってきてちょうだいな」

「わかった」


 いつも元気なおばあさんが風邪を引くなんて珍しいこともあるものだ。明日は嵐でも来るんだろうか。数日間続いた雨がやっとやんだばかりなのに、嵐とかほんと勘弁してほしい。いますぐ飛び起きてくれないかなおばあさん。

 母がおばあさんへの手土産に、パンや葡萄酒をバスケットに詰めはじめる。赤ずきんも外出の準備を始めた。以前おばあさんが作ってくれた赤い頭巾をかぶり、胸元で紐を結ぶ。リボンが少し曲がったがしかたない。手先はそんなに器用じゃないのだ。


「それじゃあ赤ずきん、気をつけて行くのよ?」

「大丈夫。おばあさんの家にはよく行ってるから」

「でもねえ、最近森に新入りがたくさん入ってきたらしいのよ。気を付けるに越したことはないでしょう?」


 森の新入り。そういえば昨日雨宿りさせてあげた兎も同じことを言っていた。新しく住み始めたのが肉食動物ばかりだから巣の前の防衛線を強化しなくちゃ、と。確かに肉食動物なら赤ずきんも襲われる可能性はある。

 でもまあ、なんとかなるでしょ。

 母の忠告には一応頷いて見せ、バスケットを受け取る。そして。

 ガコンッ。玄関の壁に立てかけてある愛用の金属バットを握る。これで準備は完了だ。


「いってきまーす」

「はい、いってらっしゃい」


 母の見送りを背に、木々が乱雑に並ぶ森へ足を踏み入れる。カァカァと、見知ったカラスも頭上で見送ってくれた。


 赤ずきんと母親が暮らす家は、森の外れに建っている。それに対しておばあさんの家はというと、森のど真ん中にある。なんであんなとこに家を建てたのか。甚だ疑問である。

 おばあさんの家まで距離はさほどないが、整えられた道もないので木々の間を歩いていくしかない。下手に道を作ると獰猛な動物たちが家に寄ってくることが増えるのであえて道は作っていないのだ。


 すたすた。通いなれた森だ。赤ずきんは迷わず歩を進める。季節によって風景は変わるが、大きな目標物、それに太陽と星の位置さえ把握していれば問題ない。

 すたすた。すたすた。森を歩く。途中、おいしそうな木の実を見つけたので、枝からちぎってバスケットにぶちこんでおいた。花より団子。食べ物のほうがおばあさんは喜ぶ。


 しばらく歩き、太陽の位置がすこしだけ変わった頃。ふと、すぐ傍の茂みがガサリと揺れた。


「お、おい!そこの女!食われたくなけりゃ止まれ!!」

「……」


 ふいに茂みの中から、大音量の震え声が飛んできた。姿は見えない。……いや、なんか、黒っぽい耳だけ、葉っぱの上に突き出ていた。

 耳の形からしてイヌ科かな。冷静に分析しながら茂みに近づく。二つの耳の真ん中に手を差し込み、そこにあった頭をむんずと鷲掴む。そのまま、握力を込めて真上に引き上げた。


「ウワァァァァアア!いてえ!!」

「あ、なんだ。狼か」

「ちょ、やめ、はげるううう!!」


 ずるずると腕力を使って茂みから引っこ抜いてみれば、なんてことない、ごくごく普通の狼だった。歳はまだ若い。たぶん、初めて見る顔だ。これが兎や母が言っていた新入りだろうか?

 掴んでいた狼の頭から手を離す。狼がぺたりと地面にしりもちをついた。切れ長の目をまんまるにして赤ずきんを見上げている。襲ってくる様子はない。


「ねえ。あなた見慣れない顔だけど、新入り?」

「えっ」


 赤ずきんが問いかければ、狼はびくりと身体を震わせた。体躯はでかいのに気は弱いらしい。こんなんじゃこの森でやっていけないと思うけど、大丈夫かこの狼。


「べ、別に好きでこの森にきたわけじゃねーよ!」

「でもどっかに住処作ったんでしょ。じゃあ住人で間違ってない」

「そりゃそうだけどさ!やることやったら元の森に帰るんだよ俺は!!」

「やることって?」


 首を傾げて見下ろす。視線の先で「うー」だの「あー」だのと口ごもる狼に若干イラッとしながらも、狼が答えるのを辛抱強く待ってやった。

 しかし。狼は急に立ち上がったかと思えば、でかい体躯、長い四肢をめいいっぱい広げて赤ずきんに跳びかかってきた。


「ガオー!」


 狼が吠える。低い鳴き声が木々の間で共鳴した。

 あー……、めんどくさい。襲ってくるなら出合い頭にやってくれないかなあ。

 はあ。赤ずきんはひとつ溜息をこぼして金属バッドを握る右手に力をこめた。ブンッ。片手で勢いよくスイングする。バットは狼の頬に見事にめり込んだ。


「キャンッ!」

「人畜無害な人間になにするの」

「今の迷いないスイングはどう見ても人畜無害じゃねえよ!」

「あなたが何もしなければ無害だったの。私、ベジタリアンだから肉は食べないし」


 胸の前で腕を交差させ、バツ印を作る。右手にバットがあるせいでバランスが悪い。ていうかこちとらさっさとおばあさんの家に行きたいのだ。これ以上無駄な時間をかけさせないでほしい。


「で? あなたのこの森でやることってなに」

「……森で」

「森で?」

「森で初めて会ったヤツを襲って首を持って帰ること……だった、んだけど……」

「けど、なに」

「……」


 尋ねれば口ごもる狼。こっちも暇じゃないんだけど、と再度溜息を吐きながら金属バットの先端を地面に押し当てる。体重をかけてバットを杖の代わりにし、狼の返事を待った。

 数秒の沈黙。さっさと吐けゴルァ、と目で訴えてみれば、狼はびくりと身体を震わせて恐る恐る口を開いた。


「こ、この森に入ってから兎とかイタチとか何匹か見かけたんだけど、なかなか正面から姿見せらんなくて、あ、あんたが初めて襲った相手に、なる……」

「つまりわたしの首を元の住処に持って帰らないといけないってこと?」

「……そうです」

「そう。じゃあ諦めて」


 初対面の狼に、みすみす首をくれてやる理由などない。それじゃ、と手を振って赤ずきんはおばあさんの家への道を再び歩き出す。

 去り際にちらりと狼を一瞥すると、しょんぼりと尻尾が垂れていた。こいつ本当に肉食動物だろうか。こんな気の弱さだと早々に誰かに食われそうだ。自分の知ったこっちゃないが。


 すたすた。すたすた。すたすた。緑が生い茂る森を歩く。その後は何も邪魔が入ることなくおばあさんの家にたどり着いた。

 家の中に入ると、昼間だというのにおばあさんがベッドの中にいた。いつもならひと狩り終えて熊や猪を捌いている時間帯だ。風邪だというのは嘘ではなかったらしい。

 しかし、風邪といえども体力は結構残っているらしい。ベッドの上で上半身を起き上がらせ、研磨用の石で槍の刃を磨いている。いや、おとなしく寝てなさいよおばあさん。


「おばあさんこんにちは。お見舞いにきた」

「あらあら。来てくれてありがとう、赤ずきん。わざわざ悪いわねえ」

「気にしないで。それよりおばあさんが風邪引くの珍しいね」

「昨夜、湖で大きな魚を見つけてねえ。竿じゃ釣れないから素手で捕ろうと思って潜ったのよ。年甲斐もなく恥ずかしいわあ」

「おばあさんは馬鹿なの?」


 たしか湖の主は推定三メートルはあったはずだ。おばあさんなら素手で獲れるかもしれないが、昨日は嵐だったはず。そんな中湖に潜ったの? 馬鹿としか言い様がない。


「ところで、その槍どうするの」

「その魚、昨日獲れなくてねえ。素手だったのが敗因だと思うから、今度は槍で挑戦してみようと思うのよ」

「とりあえず晴れてる日に潜れば?」


 素手か槍かが問題なんじゃない。原因は天候だと思う。なんで荒れ狂う湖面を見て潜ろうと思ったのか。おばあさんは身体以上に精神が強靭なので、赤ずきんには理解できない。

 けれど、槍を磨く元気があるのだ。熱もない、咳もしていないのでひどい風邪ではないらしい。よかったと胸をなでおろし、赤ずきんは母から預かったパンと葡萄酒が入ったバスケットを木のテーブルに置いた。


「おばあさん、これお母さんから。パンと葡萄酒が入ってる。あと、来る途中で見つけた木の実も」

「まあ、ありがとう。大事に食べるわね」

「材料使っていいならスープでも作るけど。食べられそう?」

「食欲はあるから何でも食べられるわ」

「そう。よかった」


 そういえば、おばあさんが食欲を失くしているところを見たことがない。よく食べ、よく動き、よく眠る。なるほど、これが健康の秘訣か。納得してキッチンへと移動した。


 保存用のキノコや野菜、豆を使い、簡素なスープを作る。さっき狼にも告げたとおり、赤ずきんはベジタリアンなので肉は使わない。

 ぐつぐつとしばし煮込み、木の器に移しいれたものをおばあさんの枕元へ運んだ。ついでに自分の分もよそってふたりで食べた。


 おばあさんと話したりキッチンを片づけたりして、数時間ほどおばあさんの家で過ごした。お日様の色が変わり始め、窓の向こうにヒアロがる空が茜に染まった頃、おばあさんが、あら、と頬に手を当てた。


「もう夕方なのね。赤ずきん、今日はあなたが来てくれてとても楽しかったわ。暗くなる前に帰りなさいね」

「わかった。じゃあ、ゆっくり休んでねおばあさん」

「ええ」


 おばあさんに挨拶をし、ひらひらと手を振って玄関のドアを開ける。ドアの脇に立てかけていた金属バットを右手で握り、外へと出た。

 森の緑がオレンジ色に染まりつつある。日が暮れる前には家に帰れるかなあ。ぽつりとつぶやき、赤ずきんは帰路に着くべく木々の間を進み始めた。しかし。


「ねえ、あなた何してるの」

「……」

「隠れてるつもりかもしれないけど耳が見えててばればれよ」

「えっ!」


 ガサリ。足元の茂みがガサリと揺れた。往路で見たなこの光景。学習しない狼である。

 頭にたくさんの葉っぱつけた狼が茂みから立ち上がる。どうしよう、と顔に書いた狼を悠然と見上げ、赤ずきんはゆっくりと金属バットを構える。先程とは違って今回は両手でフルスイングができそうだ。


「なに、あなたまた襲いに来たの」

「……」

「黙ってちゃわからないんだけど。私の首を狩りたいなら襲ってきなさいよ。返り討ちにしてあげるから」

「そ、そんなことしねーよ!」

「じゃあなに」

「……か、」

「か?」

「かえりみち、わかんなくなった……」


 今にも泣きそうな声で狼が言った。耳も尻尾も垂れ、途方に暮れているのがわかる。

 帰り道っていうのは、この森に作った住処のことだろうか。赤ずきんを追いかけてきて自分の住処がわからなくなったと? おばあさんといい、この狼といい、この森の住人は馬鹿ばっかりなのか。


「あなた、馬鹿なの?」

「うっ……」


 直球で尋ねたら狼が涙目になった。

 まったく、なんて世話の焼ける狼なんだ。赤ずきんはヒッティングポーズを解き、金属バットの柄を右手に持った。


「どのへんに住み始めたかはわかる?」

「え」

「あなたの住処。どのあたりかわかる?」


 首を傾げて狼を見上げる。狼はうろたえながらも、目をうろうろさせて住処の場所を思い出そうとしているようだった。


「えっと……でっかいモミの木の根元に作った」

「そう。家から三本杉は見える?」

「見える」

「家から見てどっちの方角?」

「南西のほう、だと思う」

「じゃああの辺りか。ほら、行くわよ」

「え、行く、え?」


 何が何だかわからない。困惑を露わにする狼に構わず、鋭い爪を持つ手を握って歩き出す。


「あんた、もしかして連れて行ってくれるのか……?」

「なに、このまま放置してほしいの? それならそうするけど」

「いえ!連れて行ってください!!お願いします!!」


 おもいっきり頭を下げる狼。狼としてのプライドは捨てたらしい。それでいいのか。

 まあ、でも。狼は自分の爪で赤ずきんを傷つけないよう細心の注意を払ってくれているようだ。赤ずきんの手に鋭い爪が触れないよう、ぴんと指を伸ばしている。

 

「変な狼」

「な、なんか言ったか?」

「別になにも」


 すたすた。すたすた。すたすた。すたすた。帰路とは違う、大きなモミの木がある場所を目指してふたりで歩く。

 しばらく進むと、狼と同じく、この森に移住したばかりの熊が襲ってきた。ブンッ。赤ずきんは金属バットをぶん投げ、脳天にヒットさせる。スイングしてぶちのめしたかったが、下手をすればスイング中に狼に当たりかねないので投げるしかない。


「そこ、邪魔」

「アンタ、強いんだな……!」

「おばあさんはもっと強いわ。よかったわね、最初に会ったのがおばあさんじゃなくてわたしで」


 おばあさんは素手で熊だってノックアウトさせるのだ。そして赤ずきんと違いベジタリアンではないので、その日の夕飯は熊鍋や狼鍋になるに違いない。

 それにしても、なんでこの狼羨望の眼差しを向けてくるのか。謎である。


 完全に日が暮れた頃、狼の住処に到着した。モミの木の根元。ぽっかり空いた空洞が狼の住処だという。

 さて、家に帰るか。くるりと踵を返した途端、狼から「あのさ!」と声をかけられた。なんだ、まだ何か用でもあるのか。


「なに? まだ何かあるの?」

「……あ、あのさ、アンタに頼みがあるんだ」

「頼み?」


 住処までの案内なら終えたはずだ。これ以上何をしろと?

 狼が、すーはーと深呼吸を繰り返す。緊張してますと全身で告げつつ、狼は両手で赤ずきんの左手を握りしめてきた。やっぱり爪は当たらないようにと指は伸ばされている。


「俺を、アンタの舎弟にしてくれ!!」


 ………………舎弟?

 予想外の言葉に目をまるくする。舎弟? この狼を? なんで? 疑問がぐるりと頭をめぐる。


「あなた、初めて会ったヤツの首を持ち帰らないと、元の家に戻れないんじゃなかったっけ?」

「それはもういいんだ!群れのリーダーよりアンタのほうが強いし、俺はアンタの舎弟になりてえ!」

「ああ、そう」


 キラキラ。キラキラ。目を輝かせながら見つめられ、赤ずきんは頬の筋肉を引き攣らせる。

 別に、舎弟なんていらないんだけど。そう思ったものの、ここで断って落ち込まれてもめんどくさい。


「……」

「なあ、だめか?」

「……舎弟って具体的になにするの」

「アンタの言うことならなんでも聞く!」


 要するに下僕みたいなもの?

 何故そんなものになりたがるかはわからないが、赤ずきんに不利益はない。何より、そろそろお腹が空いてきたので家に帰りたい。


「わかった」

「まじで?! じゃあこれからよろしくな師匠!」


 にぱっ。狼が今日初めて満面の笑みを浮かべた。はいはいよかったねと流して狼の両手からするりと自分の手を引っこ抜いた。


「じゃ、わたし帰るから」

「おう!気をつけて帰れよ師匠!」


 ぶんぶん。狼が手を振って見送ってくれた。ぶんぶんぶんぶん。狼の尻尾も元気いっぱいに揺れていた。


「さて、どうしたものか……」


 何の運命かは知らないが、嵐の翌日に舎弟ができてしまった。しかも狼。これからの生活がどうなるのかはわからないが、まあ、なんとかなるだろう。

 とりあえず、次にあの狼に会ったら名前を聞いてみようと思った。


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