メイちゃん準備中
保健医メイ・サキサカは魔術医である。
「メイ・サキサカにお任せ下さい!」
「お願いね~」
定番のセリフの後は、男達の野太い悲鳴が響き渡るまでがお約束。
今日の保健室からは、朗らかな女性の返答があっただけだった。
「さぁ、お仕事ですね」
依頼者からの書類を机に置き、ぐるりと室内を見渡す。
「う~ん?」
まずは花瓶。色とりどりに生けられた花を数本抜き取り、茎を持って勢いよく上から下へと振ると、べちゃりっと火の妖精が2匹床に落ちた。
花を花瓶に戻してから、ポケットに回収。
続いて、カーテンで仕切られた患者用ベッド。枕からカバーを剥がし、一度上に投げてから、両手でバシンッと挟むと、枕の下側から水の妖精が3匹、ずるりとベッドへ零れ落ちる。
これも、枕カバーを付け直し、手でよくシワを伸ばしてから、回収。
魔力を与える前の妖精はとても小さい。メイの親指ほどの大きさで、基本寝ている。あと異様に硬くて軽い。
それぞれに愛らしい顔立ちをしており、くぅくぅと眠る姿は小さな小さな天使のようなのだが、メイは無造作に拾い、ポケットに突っ込む。
今日は、白衣の下に釣り師のようなベストを着ているので、ポケットが沢山あって収納には困らないので、次々に拾い集めることにした。
スリッパの中、カーテンの裏、食器棚の隙間、燭台の皿からつまみ出す。
釣師ベストのポケットがある程度埋まり、白衣の胸と左右ポケットもパンパンになった所で、とりあえず終了。
保健室を出て、扉に看板を設置する。
《メイ・サキサカ外出中。お急ぎの方は右下の魔方陣を押して下さい。
休憩の方は、左下の魔方陣をお願いします≫
メイは自分で書いた文章と魔方陣に誤りがないか、もう一度よく呼んでチェックをした。
何しろ、砦の保険医は自分一人である。
出来るだけ保健室内で過ごすように心がけているが、今日の「お仕事」は室内作業に向いていない。メイの不在で利用者に迷惑をかけぬよう、対策も施してある。
「お、メイちゃんお出かけかい?」
「ナーグさん、おはようございます」
「できればゆっくり振り返ってくれ」
振り返ろうとしたメイのポニーテールを掴んだのは、
ナーグ・ポラフ。
今期から食堂の料理長を務める青年で、保健室の常連である。
「また指切っちゃいました?」
「ん、今回は繋がってるが、今日は火傷だ。見た目がアレだから」
忠告に従い、あと尻尾もといポニーテールを掴んだナーグの誘導に従って、
そろりそろりと振り返り見上げるメイ。
癖っ毛の強い、青い髪を後ろに束ねた20代後半の青年。
彫りの深い目元や、高い鼻や頬骨は尖っているけれど、太く濃い眉毛が柔和な印象を与えている。
うん。顔は無事らしい。
ゆっくりと目線を下げると、ナーグの左肩で調理服が焦げて袖が無い。
視界に左腕の火傷がちらりと入った時点で、メイは抗議の意をこめて、ナーグを睨む。
「いや、ちゃんと水で冷やしてから来たぞ?メイちゃんに教わった通りに服の上からかけた!」
ナーグの額から流れる汗は焦りだけではない。かなりの重度の火傷を負っているからだろう。
「緊急時は私を呼び出して下さいって三日前もお願いしましたよね?」
「いや、近いし、歩けたから」
痛みを伴って意識も朦朧としている筈だが、ケロリと答えるナーグ。
「わかりました。ナーグさんは実験台です。右下の魔方陣に触って下さい」
怒ってますからね!と頬を膨らますメイが頑なにナーグから目線を逸らさないのは、火傷を直視できないから。
彼もそれを分かっており、左腕は身をよじって視界から隠れるようにしながら、看板の下に描かれている魔方陣に右手で触れた。
「実験台はいいけど、治療して欲しいなぁって、何これ!?」
魔方陣に触れた指先を握り返す、冷たい感触。ナーグが咄嗟に引こうとすると、魔方陣がぐねりと盛り上がり、
吸い付いて離れない。
「ちょっ、これ、うわっ」
視覚的には魔方陣が盛り上がっただけに見えたが、ひんやりとした触手状の透明な何かが指から手首、腕へ
うぞうぞと身をくねらせながら巻きつく感触がある。
「メイちゃん何これ?」
先ほどまで真っ直ぐにナーグを見上げていた筈の真っ黒な瞳は、あらぬ方角を向いていた。
どうやら火傷よりも目を逸らしたいらしい。
「痛くないですよぉ、ちょっとぴりっとするだけ」
「お医者さんがよく言う台詞だわ」
メイは口笛を吹いて誤魔化そうとしたけど下手くそだったので、プピィィっと変な音が漏れただけだった。