保健室の初心者さん
「健康診断?」
「はい!」
元気よく返事をする小さい子に思わず頬がゆるみそうになるが
(あぁ違った。先生だな、先生)
途中で思い出して口元を引き締めた。
「一応、砦の兵士は健康な者しか配属されないし。
怪我をしてもメイちゃんが治してくれてるでしょ。必要ないんじゃないかしら?」
「それは資料を見ました。でも入隊時の自己申告のみでちゃんとした診断はしていませんよね?」
「病気持ちはそもそも入隊試験に受からないからねぇ」
アルナニ・ベルニは白衣の少女の頭を撫でながら申請された書類を読み直した。
そこには達者な文字で健康診断の必要性と実施方法、診断結果の集計をどう今後に役立てるかなどの計画が事細かに書き込まれている。
書類としてはなかなかの出来だ。だが・・・
「そもそも、診断って何をするの?」
「そこからか!」
がっくりとうなだれるメイ。アルナニ・ベルニは何が何だかわからないがとりあえず頭を撫でつづけた。
メイが今回、健康診断を計画したのはアルナニ・ベルニの何気ない一言がきっかけであった。
「あら大変。迷子だわ」
場所は保健室前。時間は早朝。
朝の日課として窓や扉を開けて空気の入れ替えをしようとしただけ。
それだけなのにそれなのに、たまたま通りかかったアルナニは「え?迷子?どこに?」ときょろきょろするメイを腕に抱き上げて保護してしまったのだ。
アルナニ・ベルニは王都から遠いノイラージュ地方出身。見事な赤い髪と筋肉とそばかすが特徴のロイナン族だ。
「迷子じゃないですよ!」
「そうよねぇ。迷子になっちゃったのはお父さんかお母さんよねぇ。お名前言えるかな?私はアルナニ・ベルニよろしくね」
「いや、その、メイ・サキサカですけどっ」
「大丈夫よメイちゃん、まず門番さんのところに行こうね」
ニコニコニコ。
とっても優しい声だが一切話しを聞いてくれない。
メイをひょういっと軽々左腕に抱いてスタスタと歩き出してしまう。
「ここで働いてます!」
「行商隊の子なのねぇ偉いわぁ」
この時、アルナニは砦の外壁を巡回警備した帰りであった。
つまりフル装備。全身鎧。ガッシャンガッシャンと音を鳴らして歩くせいで
早朝だからと小声で抗議したメイの言葉はほとんど聞こえていない。
「迷子じゃないんです~」
移動中、メイを知る元患者も何人か出くわしたがアルナニが外からの迷い子=幼児と勘違いしているのとは別に(あぁ、道に迷ったんだな)と断定されて笑顔で手を振られた。
その後、門番に問い合わされ、門番もたまたまメイを知らなかった為に
厩舎、外部からの宿泊所、新兵の訓練所と引きずり回されたあげく
「大丈夫よ泣かないで。おいしいご飯を食べたら元気になるから!」と食堂に連れていかれ、
調理担当のナーグが文字通り「うんわかった引き取る」とアルナニの腕から引っ張りあげてくれた頃には揺さぶられすぎて軽く酔っていた。
そこで初めて鎧兜を取ったアルナニとご対面したのだが・・・
「その赤髪!そばかす!筋肉はっロイナン族・・・」
赤髪・そばかす・筋肉(男女問わず)以外の特徴としてロイナン族は「子連れ」で有名だ。
わが子をどこにでも連れ回すのでは無く、子供と見れば拾って帰る習性がある。
一歩間違えれば人攫い。いやむしろ毎回人攫いのようなものなのだが、ロイナン族が育ったノイラージュ地方では一人で歩く子供はまずいない。
子供だけで放置される=捨て子の為、習慣としてまず保護をしてから当然のように自分たちで育てるとのこと。
メイは砦に着任してからロイナン族に「保護」されるのはこれで5回目だった。
「なんでどうしてロイナン族の人たちはメイを覚えてくれないんですか!」
「いやだって、保健室って行ったことがないし」
そこである。
ロイナン族はただ筋肉が立派なだけではない。筋肉を有効活用した運動神経を持っており、厳しい自然で育ったせいかそもそもの身体が既に出来上がっている。
病気にかからないわけでは無いらしいが、せいぜいが腹痛でそれも薬草ではなくその辺の草を噛んで治す?治ってしまうほぼ野生の獣のような一族なのだ。
保健室に用が無い。無さ過ぎる。
そもそも王都から遠すぎて魔術医を知らない。治療術師と言われても楽師との違いがわからない。
面識が無いから仕方が無いと思い込めたのも三回目まで。
立て続けに出会い頭に「保護」、つまり幼児扱いするのをやめてよロイナンの人たち。
子供じゃないから。年頃だから。
「怪我や病気を治すのがメイのお仕事です」
「治せばいいんじゃないかな」
「本人も気づいていない病気があるかもしれないでしょ?健康診断ってのは、それを探し、予防する手がかりになるのです」
「すればいいと思うよ?ロイナン族以外に」
「むしろロイナン族から始めます」
ロイナン族は頑丈と言えど、怪我をしないわけではない。だが医師という存在が民族として皆無な為、応急処置で済ましてしまうのだ。
そして致命傷を負っても仲間にも知らせずに隠し通し、そのうち身も隠し、隠れたまま自然に身を投じる。
どこの野生動物だ。
だがそれが彼らの文化なのだ。
「いやだから、保健室ってのは自分が行きたい人が行くんでしょ?わからないけど。それでいいじゃない」
「確かにメイの保健室のルールはそうです。でもこれは健康診断。治療を求めて訪れるわけではないので代償は必要としません!」
「ん~それでも嫌だなぁ」
「嫌かどうかは関係なく、全員受けてもらいますから」
強く言い切ったメイの頭をアルナニはまだ撫でていた。
撫でるというよりもはや毛づくろいに近い。
会話をしながらメイが何度もぺいっと手を振り払っても、高身長のロイナン族の手の位置はメイの頭が納まりが良いらしい。
気を抜くと撫でられるし、気が緩むと抱き上げられる。
「ちゃんとお仕事してるってロイナン族の人に認めてもらうんだからっ!」
「あぁ、大丈夫知ってるよお手伝い偉いねぇって皆言ってる」
「だーかーらー!」
ニコニコと膝の上に乗せたメイを愛でるアルナニは書類をとっくの昔にテーブルに投げ、手にはスプーンを持ってメイに「あーん」をする準備万端だ。
食堂の隣のテーブルでは、ネイナ・エンザ35歳低身長が別のロイナン族に構いたくて仕方が無いという顔で囲まれていた。
ロイナン族アルナニ・ベルニ。
波打つ赤毛、白い肌にちらしたそばかす、とろける笑顔を持った彼女の武器は大槌。
メイの数倍の重量を持った大槌を下から掬い上げるようにして振り回すのが得意な16歳の乙女である。