保健室の常連さん
貴族生まれのリュード・エリアス青年は、メイ曰く、「兵士には向いてない」人間らしい。
男が一生の仕事にと選んだ職業を否定するなど、侮辱だ!と出会った当時のリュードなら怒鳴りそうだが、
彼は今、完璧なタイミングで茶をいれることに集中しており、ギロリと睨むだけに抑えている。
リュードの冷たい視線をお菓子をいっぱいに詰め込んだ頬で弾き返したメイは、素知らぬ顔でリュードの同僚の頭をサワサワと撫でている。
「ほぅほぅ、なかなかの育ち具合ですな」
「はぁ、おかげさまで…」
リュードの同僚、同室のアルバ・フォンはソファーに大きな身体を縮こませて座り、傍に立つメイに頭を撫で回されていた。
正確には、代償跡=ハゲ部分だ。
多くの砦の者たちが髪を伸ばし、編むなり固めるなりしてハゲた部分を隠そうと苦心する中、
アルバは珍しく短髪のままであった。
というのも、彼は新兵の中ではリュードに次いで保健室の常連だからだ。
訓練中の怪我だけでなく、日常生活でもなにかと生傷が絶えないアルバは
今日は馬から落ちて鎖骨が折れたと
自主的に保健室へやってきて、親指大のハゲを右耳の後ろに作っていた。
「…俺、馬にも乗れないんじゃ兵士に向いてないかも…」
しょんぼりとうな垂れるアルバ。
「リュードも常連だけど、頭にハゲがないのはきっとメイちゃんに頼んで
別の場所の毛を代償にしてると信じてたのに…」
いつものように妖精に弄ばれ、いや、治療してもらった後、ワクワク顔のメイに
『前回の場所、だいぶ生えてきましたね!触らせて下さい!』
と頼まれたアルバは快く承知した。
『うわぁ~ジョリジョリだぁ』とご機嫌のメイに後頭部を撫で回されていたのだが、
ふと、(リュードもこのように撫で回しているのか?)と思いつき、
そして同時に、リュードは貴族だからメイちゃんに頼んで外から見えない服の下の毛を代償に払っているに違いない。という同期の噂話を思い出し、
『メイちゃん!結婚前の婦女子が男の脇を撫でてはいけませんぅ!』
と叫んだタイミングでリュードが現れ、気がついた時には床でのびていた。
「そもそも、リュードさんは怪我ひとつした事が無いし、妖精さんだって男性の脇の毛はいらないし、私だって生えかけの髪の毛の手触りが好きなだけですよ」
丁寧にひとつひとつアルバに解説しながらも、リュードへの愚痴も付け足すのを忘れないメイ。
「まぁおかしいのはリュードさんですけどね。新兵の訓練を怪我ひとつしないでこなすから、誤解が生まれるんです。可愛げがないですよね~」
無傷なだけでなく、リュードは基本あらゆることに有能で課せられた仕事で失敗した所を見た事がない。
先ほどの件も、アルバの発言だけを聞くと、メイがアルバの脇を撫でようとしたように聞こえなくもないが
内容はともかく大声を出したアルバを瞬時に投げ飛ばしてから、メイに趣味志向は相手の同意を得ろと説教しようとしていた真面目である。
「でもリュードは馬も乗りこなすし、
訓練も仕事も完璧だろう?いかにも兵士なんだ。俺も兵士のつもりだったけど…田舎兵士と都の差がこんなにあるなんて」
しょんぼりとうなだれるアルバの頭の毛を撫でながら手のひらの感触を楽しんでいたメイだが、
(いやいや、あなたが兵士に向いてないわけないだろう)と頭の下の盛り上がった岩のような筋肉を見て思った。
アルバ・フォンは大男である。
立ち上がると彼の腰位置はメイの胸あたりを越えてしまう。
岩石を無理矢理に人型に模った筋肉の塊で、首はほぼ埋まって見えない。
砦には体格の良い男達で溢れているが、身長も体格もふた回り彼がデカイ。
規格外の大きさと、怪力のため
怪我の多くは備品や支給品の破壊が原因だ。
…二足歩行の闘牛…だが垂れ目…。
うーむ。
ちらりとリュードを見ると、離れた椅子に腰掛け、優雅に茶を飲んで素知らぬ顔をしているが
席を外す気はないらしい。
会話に混ざるつもりも無さそうだ。
次いで視線を空にやると、妖精さん達はアルバに興味が無いらしく、
適当に空中をふよふよと泳いでいた。
そしてメイも、アルバの悩みに全くもって興味が湧かずに戸惑っていた。
「チビの頃から兵士に憧れて、周りにも兵士が向いてるって言われて
調子に乗ってたんだよなぁ」
…どうしよう、回想が始まってしまった。
とりあえず撫でるのをやめて、つんつんと突つくメイ。
(慰めるとか励ますとか苦手でしたそういえば!)
「馬に乗れない。剣もろくに扱えない。どんなに力があっても簡単に投げ飛ばされる…これのどこが兵士だよなぁ」
見た目が。と言ってしまいたいが、唇に力を込めて耐えた。
「メイちゃんがいてくれたから、俺は今まで続けてられたけど、こんなに怪我ばっかりする奴は、ここじゃなければ首だしなぁ」
そうなのだ。
今回は鎖骨で済んだが、訓練中に折れた剣が足に刺さったり、巡回中に縄梯子が彼の重みに耐えられずに落ちたり、魔獣の角が腹に突き刺さった事もあった。
本来なら生死を危ぶまれるような怪我。
メイと妖精さんの治療により即日復帰を繰り返してはいるが、もし治療を正規料金で受けていたら破産どころか借金地獄だろう。
「努力すればさ、いつかは報われると思ってたんだけどなぁ」
ため息まじりの呟きに、メイはおやぁ?と首を傾げた。
「努力と職業の適性は無関係ですよ?」
さらりと。言い間違いを正すような物言いに、アルバも首を傾げる。
「え?え?」
「努力が報われないって言うより、向上心に経験値が足りてないだけですよ?」
「え?あれ?そうなの?」
「そうそう。『こんなに頑張ってるのに評価されない』って物足りなさを感じてるのは、向上心や目標が人より高い所にあるからですよ?」
「いや、評価されたいわけじゃないんだが」
「なるほど。人からの評価はその瞬間だけなのをアルバさんはわかっているから、
アルバさんは自分を自分で項目を作ってるのかもしれませんね」
なんだぁそうなのかぁと納得顔のメイに、わけがわからないままのアルバ。
「自分で自分に到達点を決めて日々を過ごすのは、努力ではなく向上心の現れですよ!
自分に厳しい証拠です!向上心を持って職務に励む!男性らしい考え方ですよね!」
「男、らしいかな?」
照れ臭げにしながら、胸筋を張るアルバ。
「こんな筋肉付けておいて、男らしいに決まってるじゃないですか!
馬に乗れないのではなく、馬がいらないほど走れる足があるでしょう?
細い同僚に付き合って細い剣なんか使わずに、丸太を振り回しちゃえ!
防具も修理費を考えたら、最初から特注してしまえば良いのです。
投資ですよ、自己投資。将来の自分にプレゼントですって」
投資と言われて、アルバも悪い気はしない。
幼い頃から身体が大きく、自分ばかりが人と違うと卑屈になっていたが、
自分が、自分を特別扱いをする。という考え方がアルバのモヤモヤとしたもつれた感情を解きほぐした。
「怪我はあっても病気はしない。恵まれた身体に、流血に怯まない勇敢な心!そして筋肉!」
「俺、ひょっとして、兵士に向いてるのかな?」
「むしろ兵士以外にぴったりの職業が思いつきません」
困ったわぁと眉を寄せるメイに、自信に満ちた笑みを返すアルバ。
つい先ほどまで、しょぼくれた筋肉の塊が、興奮して油っこくなった筋肉の塊へと大変身である。
「そうだよな。人より失敗が多いのは経験値も多いって事だし、反省できるという事は、自分に見合った改善策を作るチャンスがあるんだよな!」
突如前向きな思考になったアルバをとりあえず拍手するメイ。
「ありがとうメイちゃん、俺がんばるよ!」
「そうそう、でも冷静に計画を立てて下さいね。出来る男は地道に努力してこそですよ」
「あぁ!俺、この砦で一番の筋肉になってやる!」
むんっと鼻から荒々しい息を吐き身体に力を込めると、首に血管が浮き上がりパンパン筋肉が膨れ上がる。
色つやの良くなったアルバは、メイを腕の力こぶにぶら下げて部屋中を高笑いしながら二周走り周り、
「俺、夕食まで身体鍛えて来る!ありがとうメイちゃん!」
と上機嫌で保健室から出て行った。
…。
リュード青年からの冷ややかな視線が痛い。
メイの良心もちょっぴり痛い。
メイも分かってる。
その場しのぎに耳触りの良い単語を並べただけで、冷静に言葉を思い返すとかなり失礼な事を言ってしまった気がする。
どん底に落ち込んでいたアルバが好意的に解釈してくれたから良かったものの、
励ますつもりが囃し立てただけだ。
…経験値が多いって誇ることじゃなく、成功率が低いって落ち込んでしかるべきじゃないかな。
なんてことも思ったりしたが、
…反省の割に成長してないから、そもそも繰り返すんじゃぁ?
などと今更疑問を覚えたりもしたが、あえて拍手で誤魔化した。
リュード・エリアス。
着任一日目から保健室を訪れた男。
今日も姿勢正しく椅子に腰をかけ、
優雅に茶を飲みながら、メイを無言で責める男。
「いや、元気になって欲しいなって純粋にですね、思うただけでしてね。
病は気からと申してですね、前向きになればとの善意が出発点だったのはご理解頂きたいのですよ?」
あえて目線は受け止めずに何故かリュードに言い訳をするメイ。
分かっている。失敗の多い男が前向きになっただけで何ら問題は解決していない。
見方によっては重い空気に耐えられなくなったメイが匙を投げただけだろう。
投げてしまった匙を見つめられる。
この空気も相当重い。
「うあー。えーと」
いつもならクドクドと説教をするリュードなのに、今日に限って無言。
すると、いままで暇そうにふよふよと漂っていた妖精達が、メイの足元に集まりだした。
身振りで「シャガンデ」と頼まれたので何だろうと従い座ると、
「メイチャン、魔力チョットダケ、チョーダイ」
チョットの加減が難しいのだが、妖精はメイの小指に勝手にしがみつき、
ちゅうちゅうと小指の先を吸い出した。
何が始まるのやらと見守っていると、
ほっそりとしていた妖精は魔力を吸ってぷっくらと膨れ、いつものコロンとした4頭身になると、ぷはっと口を離した。
すると、何故か尻をついて座り、床に指で字をなぞり出す。
「??」
妖精が魔力を得てまで何の文字を書きたいのかと身を乗り出して見つめると、
別の妖精がコロンとした妖精の周りをうろちょろしだす。
歩いては振り返り、通り過ぎては肩越しにチラ見をし、そわそわとした動きである。
(歩き方が誰かに似ているような…)
羽根があるのに、わざと床をキビキビと歩き、振り返る時は片足を下げてくるりと身体の向きを返る。
いじいじと落ち込むコロコロ妖精と、
そわそわとうろつくキビキビ妖精。
すると、いつの間にか髪をポニーテールにした妖精が二人の間に歩み寄る。
白衣、ポニーテール、そして何故かぷりぷりと尻を左右に振る歩き方を見て、
ようやくメイは妖精達が誰が誰のモノマネをしているかを理解した。
コロン妖精がアルバ。
キビキビがリュード。
ぷりぷりがメイだろう。
ぷりぷりと尻を振っていた妖精がメイを見上げて「イクヨ?」と合図を出して、
コントが始まった。
いじける妖精を、ぷりぷり妖精が撫でて拍手してチヤホヤと励ますと、
いじけ妖精が立ち上がり、キラキラと輝きを放ち出した。
(先ほどの場面を再現?…いやでも私そんなにお尻振ってましたっけ?)
ふんふんと頷くメイに、他の妖精達が「やれやれ」と肩をすくめる。
え?何が?と首を傾げると、妖精達がキビキビ妖精を指した。
どよーんとした小さな雲が出現し、キビキビ妖精が床に沈んでいた。
「え?え?何で?」
ぷりぷり妖精がパチリと手を叩くと、
シュルシュルと三名の妖精が最初の立ち位置に戻った。
いじけ妖精にぷりぷり妖精が近寄るが、手を出さずにキビキビ妖精の袖を引く。
いじけ妖精の肩を叩いてキビキビ妖精を指すが、彼はそっぽを向く。
そこでぷりぷり妖精がキビキビ妖精の背中を押すと、
キビキビ妖精が懐から何かを取り出した。
「ん?」
すると、妖精全員が集まって、
「コーコッ!」とキビキビ妖精の懐を指さした。
そうっと振り返ってリュードを盗み見するメイ。
つんとそっぽを向いているリュードは、左手でカップを持っているので胸元は見えにくいが、
ちょっぴり、胸元のポケットから赤と白の横縞が覗いていた。
(あ、あれはっ!)
あの怪しい柄はキノコ園で生えている、お馬さんの大好物のキノコォォ!
人の指の形をしている為に誰も食べたがらなかったが、リュードだけは挑戦し、風味や食感が馬が気に入りそうだと言っていた!
もしかしてもしかしなくても、
リュードさん、アルバさんの馬の訓練に付き合うつもりでしたかっ?かっ?
心なしかリュードの冷たい目がさみしげに見えてきたから困る。
とっても困る。
(そういえばお友達が作れない人でしたっ!)
…いやぁ…面倒臭いぃ…。
メイの心の声が届いたのか、妖精達は頷きながらメイの足を慰めるようにポンポンと叩いた。
…アルバさん、魔獣の森で裸足でランニングしてくれないかな。
そうすれば始めからやり直せるのにと酷い発想をするメイ。
そして今日も友達作りに失敗した青年は無言でお茶を飲み終え、無言のまま保健室を後にした。
メイはリュードから小言をもらう代わりに、妖精たちからその後こんこんと説教をされるのであった。
「ダレモ、ワルクナイケド、ネ?
メイチャン 、リュード君ニハ、男ノ友達ガ必要デショ?」
「反省してますよぅ、もう寝かして下さいぃ」
「ダーメッ」
妖精の説教は独特で、眠ろうとするメイの瞼の上でチカチカと発光するのだ。
(いやでも、友達作りは保健室の仕事ではないのでは?)
自問するメイだが、
怪しげなキノコを無表情でモリモリ食べるリュードは妖精達に妙に好かれていたらしい。
(リュードさん、人間は諦めて妖精さんとお友達になればいいのに)
たいして反省が出来てないメイは、一晩中妖精に説教され続けるのであった。