01-6 雲の中__________________________
「トンフア! セーンが、壊れてもいいからとにかく降りろって!」
「今やってる」
僕のところでも、ラジオから響くセーンの声は聞こえてた。
だから、さっきから降下の操作はしてるんだ。
でも、降りてくれないし、前に進んでもくれない。
渦巻く風が飛行機を掴んで、僕らは振り落とされそうだ。
吹き上がるものすごい向かい風に押されて、何も出来ないんだ。
降りることも、進むことも。
「う、後ろ……」
トルサが見回し、後ろを見たところで言葉を失っていた。
雲溜まりが、僕らを取り囲もうとしている。
ものすごく大きくて、黒い雲。そのいたるところで、バチバチと稲妻が光っている。
こんなのに飲み込まれたら、大変だ。
だけど、だけど。
「お、降りられない! 助けて!」
できるとか、できないとか、そんなんじゃなくて、とにかく僕は叫んでた。
『風に背を向けて。おっかないけど、降りていけるよ』
同じラジオから、セーンじゃない若い人の声がした。
どこか静かで、落ち着いてるように聞こえる。おかげで僕も少し落ち着けた。
「回れ右だね」
と言いながら、左に半周して風に背を向ける。
凄い勢いで雲がせまってくるけど、するすると降りていくことが出来た。
でも、雲と一緒に、山の斜面がせまってきてる。
激突を避けるには、なんとか傾斜に合わせて飛行機を上に向けたいところだ。
「やぁ!」
思い切って操縦かんを引っ張ると、急に真ん中の赤いランプが光り、飛行機は『kinkiu_zitaiii@@zuurocu_seegio_sutaaat』などとなにやら意味の分からない言葉を発しながら、僕のいうことを聞かなくなってしまった。
そして、せっかく降りてきたっていうのに、また昇り始めてしまった。
まずいと思ったけど、飛行機が揺さぶられるのだけはぴたりと止んだ。
相変わらず風が渦巻いてるのに。
雲は、目の前なのに。
「うわあ!」
「ああっ!」
トルサと二人で、意味を成さない絶叫を上げる。
あげたところでどうにもならない。
目の前は真っ白で、急に降り出した雨が僕らを打ち据える。
そんなことはお構いなしに、飛行機は安定して飛んでいた。
「い、生きてる」
隣で、トルサが言った。
いつ、山とか壁とかにぶつかるか分からない恐怖の中、飛んだ時間はものすごく長く感じたけど、本当はどれだけだったんだろう。
相変わららず雨は降り続いてるけど、僕らは生きてた。
飛行機は、雲の下にできていた平地の上に、土や砂利を撒き散らしながら、降りて止まってくれた。こんな平地を、霧みたいなもので前も見えないのに飛行機はどうやって見つけたんだろう。
「降りてみようか」
僕はトルサの手をとり、飛行機から降りた。
「もう、飛べないかな」
トルサは、足と片翼の折れた飛行機を見て、肩を落とした。
どうやって帰ろう。
そうだ、ラジオだ。
飛行機に一度戻り、ラジオを取ってくる。
「セーン、聞こえる?」
いつものボタンを押して話しかけたけど、なにも帰ってこなかった。
聞いてないのか、壊れちゃったのかはちょっと分からない。
半ば途方に暮れつつ、ずぶぬれになりつつも雨を避けようと、僕はトルサと無事なほうの翼の下に潜り込んだ。
翼の付け根には、あの四つの記号からなるマークが、ちょっと大きく描かれてた。
「おっ? トンフア、コレ見てよ」
トルサが、雨に洗われている地面を指差した。
「かなり削れちゃってるけど、三番目の一部じゃない?」
「え? どこに」
「はら。ここから、あのへんまで」
「おおっ!」
飛行機何個分もの場所を使って、稲光を意味する記号が記されていた。
ここが稲光に囲まれた場所だからか、それとも――
思ったとおり、記号は前方から後方にかけて広大な敷地を使って、四つとも書かれていた。雨と白い景色のおかげで、よくよく見ないと判別できない。それに、あまりに大きくて、下手すればこのまま気がつかなかったかもしれない。
さらに、最初の記号のほうを見ると、はるかその先に、黄色い光りが点滅するのがうっすらと見えた。
「行って見ようか。光ってるものの近くのが、セーンもきっと見つけやすいよ」
僕は、独りよがりの考えと思いつつ、言った。
「うん。行ってみよう」
トルサは、いつもみたいに元気な声で言おうとして、失敗してた。
僕は気がつかないふりをしながら、折れてるほうの翼を頭の上に掲げた。
「傘だよ」
「おっ、いいかんじ」
やっぱりずぶぬれの僕らだけど、翼を傘にして、黄色い光に向かって歩き始めた。
歩いてみてわかったけど、地面は誰かが作ったとしか思えない、とても平らな石畳が続いていた。
「草一つ生えてないね」
トルサが足元を見て言った。
「出てこられないんだよ。石ばっかりだし」
「村のあたりじゃ、石の隙間にも生えてたけどなあ。やっぱりお日様見えないと、出て来れないのかな」
「そう、かな」
この石畳には、隙間が殆どない。
だれが、どうやって作ったんだろう。
石畳は本当に広くて、黄色い光のところまでずっと続いてた。
たどり着いたころには、飛行機がうっすらしか見えなくなるくらい歩いたのに。
「あの明かり、あんなところに」
僕はただ、見上げてた。
目の前にあるのは、峠か谷間かのようだ。少なくとも、山がそこだけなくなってる。
黄色い光は、谷間に沿って並んでるのか、両側の低いところから、とても高いところまで何箇所も見えた。
風がゆっくりとその間を、奥に向かって流れていて、白い霧もそれに流されてる。
僕らも、その風に流されるように奥に向かってとぼとぼと歩いた。
歩いていて、ふと気がついた。
「僕たち、気絶してたのかな」
疑問が何周かして、こんな言葉になった。
「気絶? して無いと思う」
「だってほら、こんなに暗いよ。たぶんまだ、夜には早すぎるのに」
「あれっ? 暗いね。それに、雨が止んでる」
周りはまだ霧がかかってて、地面には水がくるぶしあたりまで溜まってるけど、雨じたいはいつの間にか止んでた。
でも、僕たちは飛行機の翼を抱たまま歩き続けた。また雨が降るかもしれない。
降らなくても、ずぶぬれに変わりないんだけど。
「くしゅっ!」
さすがにくしゃみが出た。
今は歩いてるからいいけど、止まったら凍えそう。
濡れてなければって思うけど、乾かす方法がない。
戻っても雨が降ってるだけ。
「寒い、ね」
トルサが力なく言う。
「うん」
僕の声も、同じだ。
歩く足がだんだん重くなり、浅く溜まった水の流れにとられそうになってきた。
――流れ?
水は、この平らな石畳の上を、一方向に向かって流れているみたいだった。
雨が止んで分かったけど、この先でざあざあという川のような音が聞こえる。
「トルサ、聞こえる?」
「うん。行ってみよう」
足取りは重くてゆっくりだけど、僕たちは音のほうに向かって歩いた。
でも、さほど時間をかけずにたどり着いた。
そこには、川、というより大きな溝があって、周りの水が流れ込んでいた。
溝の縁には、しっかりとした格子状の柵が作られてて、まるで僕たちが来るのを知っていたかのようだった。
「この水、何処に行くんだろう」
分かることは、来たのとは反対に向けて流れてることくらいだ。
「わかんない。でも、流れてるくらいだから、外に出られるわ、きっと」
トルサのいうとおりかもしれない。
僕らは、この溝に沿って歩いていくことにした。
どうやって出来たかわからないけど、晴れて明るければ、飛行機が普通に降りられそうなくらい広くて長い溝だった。
――どこん……
しばらく歩いていくと、突然、どこかで重たいものが倒れるような音がした。
同時に、前方で円く並んだ赤い光がともるのが見えた。
「なんだろう?」
思わず見上げる。赤い光円の天辺は、少し見上げる高さにあった。
「お、っと、っとっと、んー?」
横で、変な声を出しながら、トルサがバシャバシャと早足で歩き始めた。僕も、なんだか釣られるように早足になっていく。
いや、原因は風だ。
緩やかな追い風だったのが、光が見えてから、だんだん強くなってきてる。
早足になってるのは、自分の体と、持っている翼が風にあおられてるからだった。
雲溜まりの風、起きたり止まったりしてたみたいだ。
なんて考えてるうちに、風の勢いはさらに増して、足元の水かさが徐々に増えてきた。
飛行機が振り回されるくらいだから、この風、強いときは……
「と、飛ばされちゃう!」
トルサが叫び、飛ばされそうになった翼にしがみついた。
「翼ぁ!」
僕もしがみつくようにして翼を守った。
アレが無いと組み立ても出来ないし、雨が止んでも帰れないじゃないか!
僕は必死に踏ん張ったけど、すさまじい風と増えた水に足をすくわれるようにして、転んでしまった。
「っ、つー。うわぁ」
トルサも、翼にしがみついたまま転んでる。
次の瞬間、大量に流れ込んできた水に押し流され、二人は溝の中に落ちてしまった。
「絶対、手を離さないで!」
僕は叫んだ。
翼は軽くて、しがみついてる限り沈むことはなさそうだ。
何処に行くか分からないけど、とにかく死にたくない。
トルサと一緒に、家に帰りたい。
――天井? ここは、洞窟!?
いつの間にか霧は消え去り、高いところが見えるようになっていた。
しがみつくのに必死でよく分からないけど、ものすごく高いところに石かなにかでできた、広い天井が見えた。
そして、何か大きなものが何個も吊るされているのが分かった。
はじめは分からなかったけど、下を通る瞬間、それがプロペラに見えた。
回転して、風を起こしてる。
ものすごい風を、だ。
この大きなプロペラが、雲溜まりの元だったとすると、作り物の雲と雨に僕らは巻き込まれて、流されちゃったんだ。
まるで、自分から吸い込まれに来たみたいだよ。
「トンフア、光!」
光?
赤い光が、相変わらず何箇所も見えて……
ちがう。流れていく先のほうに、お日様みたいな明るい光が見えた。
遠いけど、光ってる。
きっと外に抜け出せる。