須藤 亘6
その日の俺はとりあえず勉強を止めた。そして何かもやもやしていたのでそのまま寝て、翌日。
起きると布団を干してそれが終わると掃除を始める。その時ふと自分を振り返ってみると自分がよく分からなくなった。
「…俺は家事が嫌いじゃない…」
料理も好きだし、洗濯だって掃除だって皿洗いだって汚れていたものが綺麗になったのを見れば結構嬉しかったりする。家でやっていたときはあれだけ苦痛だったのにもかかわらずだ。
「…俺はそこまであの女が嫌いじゃなかったみたいだし…」
こき使われたことにムカつきはするし、散々いびられたことも忘れないだろう。だが、今すべてを失ったらしいあの女のことを考えても特に恨み言が出て来ないのだ。
良平さんの話に納得したわけではない。社会がどうであろうと育つ育たないは自分次第。あの女の性格が死んでいたのはあいつの所為で、社会が悪いとかいう訳じゃない。あの女が100%悪い。
…だが、俺の問題はここじゃないような気がする。あの女の始末がついたときに微妙な虚しさしか感じなかったし、今のこの状況の説明にも納得できるようにはいかない。
(復讐したかったというわけでもないみたいだ…)
自分で自分の事が分からなくなっていく。あの女の事は一度おいておこう。俺が次に許せなかったのは何だ?…財部か…
「あれは…今考えてみれば何か結構どうでもいいな…」
あいつは天才だが勉強は真面目にしていたし努力もしていた。それに負けていたからと言ってうだうだしているのは俺の僻みに過ぎない。
ただ、始終付いて来られるのは鬱陶しいが。
「…ふぅ…冷静になると俺は馬鹿みたいだな…」
彼氏がいるのにその彼氏ではなく俺に攻撃を仕掛けてくるファンクラブの連中はまぁムカつくから今度処理しておこう。あの女にいびられるから波風立たせないようにしてきたがもういないし。
(…アレ?財部自体はそんなに悪くないな…数少ない俺の自由時間を奪ってたりしてよく知らない彼氏の好みを考えさせられたくらいしか実害なかったし…)
俺は考える。時間はかなりあるのだ。別に焦る必要はない。
(というか…俺は何であっちで今考えていることを考えなかったんだろうな…)
それほどまでにあの女に追い詰められていたのか。…思ったより俺は臆病なんだな。と自嘲の笑みを浮かべていると不意に空腹感を感じた。
「朝食にするか…」
俺はやりかけの掃除をざっと終えると下に降りた。
「ん?」
下に降り、台所に向かうといつもと違う光景が待っていた。
「…珍しいな。良平さんが言ったことしてないって…」
今日の当番は良平さんだったはずだが、朝食の準備が全くされてないのだ。代わりに手紙が置いてあった。何か急用ができたらしい。
「…じゃ、俺が作るか。」
冷蔵庫の中の材料からして今日のメニューはおそらく昨日の残りとなっているホウレン草のおひたし。それと納豆と豆腐と玉葱と若布の味噌汁。後、シシャモ(本当は違う種類だが気にしない)を焼いたものだろう。
ご飯は炊けているし俺はすぐさま準備に移った。そこでふと卵焼きが食べたくなったのでそれも追加しておく。
「よっと。」
俺は卵焼きは出汁派で、この家も出汁派。これが何気に助かっている。あの家じゃ甘いのを作ってたからな。あんなのは飯のおかずじゃねぇ。いつも俺のだけ隠れて出汁にしてた。ここの卵焼きを食べた時には俺は俺が作ってるのと同じ味だ!遠慮しなくていいぞ!と密かに興奮したものだ。
「うん。出来た。」
多分この時間はまだ亜美ちゃんは寝ているだろう。この朝食は良平さんが作ったことにしてないとな。
何か独自のルールで「お爺ちゃんが休んだんなら私も勉強休む」とか言いそうだし。…というより言ったことあるし。
「まぁあんまり根詰めるのもどうかと思うけど結構サボりたがるしな。」
(偶の休みなら別にいいんだが理由を付けては俺と遊びたがるからなぁ…家庭教師としては困る…)
そんなことを思いつつ配膳していたら亜美ちゃんが降りてきた。
「おふぁようごじゃいましゅ…」
「うん。おは…」
振り向いてそこまで言って俺は顔を逸らした。パジャマの上の前のボタンが外れて思いっきりはだけていて目のやり場に困ったのだ。
そんな俺の様子を見て亜美ちゃんは訝しみ、洗面所に向かった。…が、そこで悲鳴を上げる。自分の状態に気付いたのだろう。
「はぁ…こりゃ埋め合わせとかでまた1時間くらい潰れそうだな…」
だがまぁ嬉しくなかったかと言われればそうでもない。何気にあった。最近の中学生は発達してるな…
(いかん。煩悩退散!)
俺は亜美ちゃんの分まで配膳しておくことにした。
配膳が終わるころにはしっかりと身支度を整えた制服姿の亜美ちゃんが戻って来た。
「ね…寝苦しかったんですよ。最近ちょっとまた大きくなって来てたんで…」
顔を赤らめている亜美ちゃんに何が?と聞くことは憚られた。俺は黙って食事を促す。
「…いただきます。」
何となく口数が少ない中で食事が始まった。亜美ちゃんは好きなものから食べていく派で、最初に卵焼きを口にした。
「ん?アレ?」
「どうかした?」
一切れ食べると亜美ちゃんが不思議な顔をする。
「ん~これ、亘さんが作ったのだよね?」
「うぇ?」
何でわかった?味付けは同じはず…
「その顔は当たりだね~?亘さんが作ったのは半熟で、お爺ちゃんのはきちんと火を通すもん。」
「よ…よく分かったね…」
…正直、俺でも知らんぞそんなもん…食通か?
「うん!私正直言ってお爺ちゃんのより亘さんが作った卵焼きの方が好きだもん。」
満面の笑みで言われた言葉に俺は固まった。今まで思っていたことが混ざり合って頭がぐちゃぐちゃする。
そして、不意に分かったことが口から出た。
「…そうか。俺は認められたかったんだ…」
「?亘さん?」
亜美ちゃんがきょとんとした顔で俺を見ながら味噌汁を啜る。「玉葱も薄い方が好みだし」とか言ってた言葉に俺は痺れるような感覚を覚えていた。
(俺の頑張りを)
俺の頭の中に昔の習い事の思い出、学校での成績、黙って行っていた家事の事がよぎる。
(俺の存在を)
虐げられたこと、誰も気付かずに行っていたこと。それらがぐるぐると回る。
(俺は唯認めてほしかったんだ…)
苦笑いしか出ない。そんなことの為に俺は逃げたのか。誰も認めてくれないと勝手な考えを持って消えたのか。
(何て愚かなんだろう。醜い自己の塊なんだろう。…だが、目の前の子に感謝しよう。気付かせてくれたことに。)
「ご馳走様…亘さんだいじょぶ?」
「うん。…ありがとね?」
「ん?うーん…どういたしまして?」
亜美ちゃんは首を傾げながら俺を見たが、時計を見て登校の時間になったと急いで出て行った。
その後ろ姿を俺は幾分か晴れた心で見送った。




