江口 千秋
「…お兄様は九州ですね?」
私はこの言葉を聞いて少なからず動揺した。面に出さなかったのはエレンホスの訓練が無かったら無理だっただろう。
「…何の事だ?」
私が毅然とした態度で訊き返すと財部彩愛が目から光の無い状態で言い返してきた。
「ワー君だよ…分かってるでしょう…?」
こいつらがどうやってそのことを知ったのかは知らないが…今のこいつらにあいつの情報を渡すわけにはいかない。
こいつらのアレに対する気持ちは唯の依存と自己満足だからだ。
「知らんな。…大体君たちは何故そんなにアレに拘る?」
「そんなのっ!…」
財部が強い口調になり、私に何故須藤亘のことをそんなに求めているのか説明を始めた。
…そんなことは知っている。お前は幼いころから何でもできた。その所為で周りと溝ができ仲間外れにされ、孤独感に苛まれた。
家族は基本忙しい。家の中でも相手はいない。そんな時に須藤は引っ越してきたんだ。瀬川という名で。
そいつは知らなかった。財部彩愛という存在を。努力しても勝てない相手がいると。
だから彼は何時も何処でも一人でいる彼女に手を貸し、孤独感を和らげ、周囲の敵から彼女を守った。その結果彼女は彼ならば自分を受け入れてくれる。何があっても一緒だと勘違いをした。
結果は歪んだ愛情と周囲から比較されることで自信を尽く打ち砕かれた悲しい少年だ。
個人的に私はあの女が気に入らない。亘の母親、加奈子だ。あれの所為で亘はストレスを外に出す暇もなかった。相談もできなかった。何をやっても叱られることで自身からは何もできなくなっていた。
それに気付かずに延々依存し、同意を求める財部を見て私は須藤を一度逃がすことにした。
当初は加奈子を排除すれば亘の精神にゆとりができ、すぐに帰れるとも思っていた。その為、そんなに遠方に逃がす必要もなかったのだ。
それが出来なくなったのはこっちの女。須藤泉の所為だ。
「江口先生聞いてますか?」
「…あぁ。泉さん。聞いてるよ。」
こいつは情報社会の中で歪んだ女。授業時間に学校のサーバーからハックして市の情報を覗いたりを軽くやっていた女だ。
こいつは教師がそれを見て注意したところ平気で「ハックしただけです。クラックしてないのですから…そんなに騒ぐことじゃないと思いませんか?」と言ったのだ。
こいつも親が離婚して、父親は医者で帰ってくることが少なく、ネットの世界に依存して道徳観も希薄になっていた。その為、こんなことを言ったのだろう。
彼女は父親が再婚し、瀬川親子と暮らしていく内に性格が改善される。その中で一番親身に当たったのが亘ということだ。
彼は加奈子の命令をこなしつつ自身の精神も危うい中で彼女を更生させた。理由は特になかったらしい。
そんな彼女が亘にべったりになったのが道徳感情が芽生え、ネットの世界から引退する時にそれを快く思わない者たちからスネークを受け、襲われたときに助けたことだ。
その後の処理は亘は知らないが財部家がうまくやったらしい。表沙汰にならずにすべては済んだ。
だがこの後が問題だった。彼女が社会復帰した後この高校に入ってファンクラブが出来、結果一番近い位置にいた異性である亘は攻撃の対象にあった。
反撃は出来なかった。近所で暴れるとその噂はすぐに広まる。そうすれば加奈子が何を言うか分かっていたのだ。
「…結局優しすぎるんだよあいつは…」
「何を言ってるんですか?」
「質問に答えてください!」
二人が詰め寄って来る。しかし私の思考は別の所に行ったままだ。
あいつは全てを憎み切れなかった。酷い目に遭わされた母親の体面を気にして自身が傷つくのを黙って受け入れ、自身が離れれば孤独に陥る幼馴染を見捨てることが出来ず、立ち直ったばかりの妹に余計な心配を掛けられず黙っていた。
あいつは私が後はうまくやると言わなければ計画を立てていても本当にはこの町から出ることができなかっただろう。
今挙げた三人が酷い目に遭う姿を見たくなくてここから逃げたのだろう。
(…根が優し過ぎる。休ませないと本当に死ぬな…と思ったのが最初の会話だったな。)
「…放課後、また来い。部屋を変えてこの話の続きをしよう。」
目の前の二人の喜ぶ顔を見ながら私は産休で休みに入った先生の代わりに亘のクラスに入り、そして放課後向かう予定の部屋で初めて話を聞いたことを思い出しながらそう言った。




