第8章 ビューチィーワイフよろしくお願いします
私はゆっくりと目の前の琥珀色の液体を喉の奥へと流し込んだ.最初に私の眼前に置かれたときよりも明らかに温度が低下しているとはいえ,未だ立ち上る湯気はその液体の持つ芳醇な気高さを鼻腔に送り届けてくれる.
私はそれらをひとしきり楽しんだ後,ぐるりと周囲を見渡した.密度を感じるような重苦しい空気だ.全員が思い思いの所作を展開しながらも,意識だけは全て私へと注がれているのが分かる.例えば円李家は彼の傍らに置かれた雑誌の表紙に目を落としながらも,私が口元に付着したコーヒーをちろっと舌で舐める仕草をするだけでビクンビクン反応してくる.私へ向けた視覚的注意が空間解像度の上昇を引き起こしたために (Ling & Carrasco, 2006; Yeshurun & Carrasco, 1998) 口元の様子が見えてしまい,私が発言すると思って身構えたのだろうか.まあ,それ以外にもあまり考えたくない別の理由も挙げることはできるが...それはやめておこう.
他にも,情事は風俗情報誌を読んでいたが,耳をこちらに向けたまま,しかもなかなかページをめくらない.出湯法度に関しては特に顕著で,長い間私の顔を凝視している.まあこのビッチは以前からしばしば私にちょっかいを出してきていたし,その気持ちは分からなくも無い.そんなにがっつかなくてもいずれ私がその気になれば望みを叶えてやるというのに.そう,あの晩,私が差異にしてあげたようにだ.陶淵明氏は何かをしきりにメモ帳に書き連ねている.この男はマイペースすぎて思考が読めないところがある.確かに,彼の意見に時折驚くほど正鵠を得たものがあるのも事実だ.
さて,そろそろ披露するとしよう.そう,フェースオフである.
「コレカラの事デスガ・・・」
私が発声すると,非常に短いラグとともに円李家がビククンッと大反応した.
「そ,その言葉を待ってましたよ」
やっと私の尊顔を拝すことを許された円李家は,ものすごい表情でこっちをみている.先ほど頭を一瞬よぎった「あの仮説」を想起させられる・・・
「君ならまずは何をシマスカ?」
円李家は慌てた.
「E,,, esta,, hace...Aqui,,,」
ひどいものだ.これはダメだな.
「むう..ジャア,酸陀ー損,キミハ?」
「俺でっか?そやなあ,まあ実ゆうとな,俺は五派四の妻が怪しい思てんねや.ほやから妻しょっぴくんが最初や思ぉとる」
「ナゼデース?」
「え?だってどう見ても怪しいやんか.あの家に自由に出入りできるし,五派四に一番近い人物やし,謎だらけやし」
「それだけデスカ?じゃあさらにオタズネシマース.なぜワザワザ自分が怪しまれる自宅で,自分が明らかに不利になる場所で殺害したのデショウ?最も親しい人物ならば五派四をどこに呼び出すことも可能デース」
「そ,それはやな,そらカッとなってやってもうたんやったら家かて現場になるやろが!」
「百歩譲ってそうだとしても死体を放置するのはおかしいデース.しかも犯人には死体を片付ける時間も十分アリマーシタ」
「せやからこそ逆に...ってこともあらへんか?なあ?そやろ?」
やたらと食い下がってくる酸陀ー損に少々驚いた.しかしこの短いやり取りの間に彼が4度も差異の方に目をやったのを私は見逃さなかった.
「分かりマーシタ...五派四の妻を捕まえたいという君の熱意は理解しまシタ.しかし私の考えはそれとは少し違いマース」
「き,聞かせてみいや」
フッフフ,ちょっと立場を配慮した言い方をしてあげるとすぐに折れる.やはり体面を,この場だからこそ体面を気にしていたのだな.私と二人だけのときならばすぐに下を向くくせにな.
私はコーヒーを一口含み,口元をナプキンで丁寧にふき取った.
「酸陀ー損,君の出発点は犯罪そのものデース.つまり,犯罪に関して得られた証拠と容疑者リストを付き合わせ,"なぜ"犯罪が生じたか,また犯罪を立証するのに十分な情報は"何か"を精査することでシタ.これらの作業において君の最大の関心事が犯行の動機を推測することであったのは明白であり,これが正しく行われれば犯人に行き着く可能性が高まることを君は信じていマーシタ」
「お,おう..なんやいきなり..」
「一方..」
私は酸陀ー損の方言にあわせて,「一」の方に強いアクセントを置いて続けた.
「一方,私のパラダイムは"何が"に関する資料を閲覧し,犯人は"誰か"を推測することデース.すなわち,確率判断により様々な犯罪者のタイプについての領域固有の知識を駆動し,当該犯罪と過去の犯罪とを照合し,それと一致する犯人のタイプおよびそれに顕著な行動様式の推定を行いマース」
「ご,御託はええっちゅうねん!!!!」
酸陀ー損がなぜか金八キャラのように起立して叫んだ.
「結局お前はどないしたいんや!それをワシらは知りたいんじゃ!!!」
「分かりまシタ...結論から言いマース.私は,五派四の妻は可能性が低いと看做していマース.本件には不可解な事実が多すぎマース.例えば,先ほど言いましたように殺害現場,遺棄現場の問題は未だ理解できていまセーン.それに君とハウスで検討したように,死体の状況にも不明な点が多くありマース.これらは五派四の妻が犯人であると仮定した場合に,それから予測される行動とは一致しまセーン」
「なんやと?せ,せやったらどないするゆうねん?同じこと何回も言わすなや!!!!」
「君は少し五月蝿いな.黙っていてくれないか」
終始静かであった陶淵明氏が動いた.しかしその目の奥には熱いものが感じられる.
「ぐ,ぐむぅ...」
「しかし,私も酸陀ー損君と同じく,君がどうしたいのかがまだ分からない.それを聞かせていただきたい」
「そうデスね...以上のような理由から,五派四の妻を捜索することにメリットが見出せまセーン.それに妻などとっくに警察が押さえているはずデース.したがって,私はまずは五派四ハウスのさらなる捜索を提案しマース.ハポネス警察にかなり荒らされはしましたが,未だ何らかの証拠が残っているかもしれまセーン.これには私と酸陀ー損で向かいたいと思いマース.その間は,ミナサン独自の捜査をお願いしマース.情事氏は得意の風俗方面から,円李家氏はネットを,そして差異と出湯法度にはハポネス警察の捜査員への体を張ったお色気調査を,玲名跡氏と陶淵明氏は適当にお願いしマース」
「わ,分かった.その通りにしよう...」
陶淵明氏は全てをメモっている.各人もとりあえずうなづく動作を見せた.首をひねるものもいるが...そう,酸陀ー損である.
「と,いうわけで,散!!!!!!!!!」
我々は次に集合する期日を決め,解散した.相互に連絡を取り合う手段として全員が携帯電話を持った.私と酸陀ー損は再び五派四ハウスへ向けて10キロの道を歩き出した.やれやれ,また2時間はかかるか...
終始首をひねっていた酸陀ー損が口を開いた.
「なあ...やっぱおかしいで.五派四の妻は絶対押さえとくべきやと思うで.もちろん既に官憲の手が及んでいるとは思うが,当たってみるに越したことはないで...」
「私も同様に考えていマース」
「な,なんやと?????」
「しかしながら,私はそれ以上に我々のうちの誰かが怪しいと考えていマース.そしてその人間は五派四妻と何らかの関わりがある可能性がありマース.もし我々が表立って五派四妻を捜せば...逆に,永久に接触することができなくなるでショウ」
「さ,さっきのは芝居やったんか...じゃ,じゃあ,いまから俺らで妻を捜すんやな????」
「いや,,,とりあえず家を見てみまショウ.きっとそこに五派四妻への手がかりもあるはずデース.現場百遍...Evidenceベースの我々にはとてもいい言葉デース」