見上げる星は
「今日は、叔父上がお帰りになったら、稽古を見てくださるのです」
竜樹が満面の笑みで言った。
息子は今年で、八つになった。いささか痩せ気味のこの体のどこに、と思うほど、元気が有り余っているようで、手を焼いている。
この間、竜樹は素直で筋が良いと褒められ、随分喜んでいた。八雲が登城している間に、折を見て素振りをしている姿は、微笑ましい。
「ほんに、叔父上によう懐いていること」
父を知らぬこの子が、叔父にその姿を重ねていることは、皆分かっている。
「叔父上は、なんと言うか、格好良いのです。強くて、優しくて・・・私は、叔父上のようになりたいのです」
小春は、小さく息を呑んだ。
―――義姉上。私は、兄上のようになりたいのです。
声変わりしたばかりの少年の声が、耳の奥に響く。
数年後にかき消えてしまうとは、つゆと思わなかった夫の背を、ただ純粋に追っていた義弟。あの頃の彼と、きらきらと目を輝かせる息子が、はっとするほど重なった。
思いがけず瞳が潤みかけ、小春は慌てて微笑んだ。
「そう・・・そうですね。竜樹もいつか、叔父上のようになれると良いですね」
「はい!」
「叔父上もお忙しいのですから、あまりお手を煩わせてはいけませんよ」
「分かっています」
「心得ております、と言うのですよ」
「はい、母上。心得ております」
そうこうしていると、軽やかな足音が、廊下を渡ってくる。竜樹がぱっと首をめぐらせた。
「義姉上。失礼致します」
「叔父上、お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
「戻りました。・・・竜樹」
明らかに、うずうずとしている竜樹を見下ろして笑い、八雲は朗らかに言う。
「行こうか」
「はい! 支度をして参ります」
立ち上がり、元気良く駆けて行く。竜樹に続いて、部屋を出て行きかけた八雲は、ふと振り向いた。
「義姉上? どうかなさいましたか」
じっと見ている小春を、瞬いて見返す。
「・・・八雲殿」
「はい」
八雲は首だけでなく、体ごと向き直った。
自分よりよほど背の高い、すらりとした義弟を、小春はとっくりと眺めた。
「ご立派になられました」
「はい?」
小春は、ふふ、と笑った。
「・・・義姉上、本当に、いかがなされました」
「いいえ、こちらの話です」
―――小春と竜樹を頼むと、言われました。
今も鮮やかに、脳裏に蘇る。夫が亡くなる前後の記憶は、涙で滲んで、霞がかかったようにおぼろげだ。その霞の中で、そこだけが、くっきりと鮮やかに。
自分も痛々しい顔をしながら、それでも微笑んで見せる義弟と、赤く泣き腫らした目で自分を見上げてくる義妹を見て、小春は微笑み返した。・・・夫が息を引き取ってから、その時初めて、微笑むことが出来た。
―――至らぬ義弟ですが、義姉上の支えとなれるよう、精進致します。
―――義姉さま、八雲兄さまも、優月もおります。竜樹だって。義姉さまを、ひとりぼっちにはさせません。
微笑みながら、ほたほたと涙がこぼれた。
―――義姉上。
おろおろする八雲を見て、小春の涙は一層溢れた。
―――八雲殿も、あまり気負われますな。
「自慢の義弟が、よう成長してくれて、嬉しいのです」
「はあ・・・」
身重の妻を見る彼の瞳は、甘く優しい。かつて、自分に向けられた瞳が思い出されて、時折、胸が優しく疼く。懐かしく、温かい痛みが、じわりと胸の奥をくすぐる。
「八雲殿、竜樹を頼みますね」
「心得ております」
頭を下げる義弟を見て、小春は柔らかに微笑んだ。