いざよう月
「お前な、運んで来ておいて、治療は篝と俺に丸投げとは、どういうことだ。少しは手伝え」
とりあえず、一言抗議はしておく。しかし、端から銀に、そんなことは毛ほども期待していない。
この男が、いくら篝に頼まれたとはいえ、武人の男を担いで来たのだ。それだけで十分、皆の話の種になっている。この上治療までされたら、雪が降る。
「俺に治療は向いていない」
そうだろう。
「それに・・・刀傷は、あまり見たくない」
柳葉は何か言おうとして、結局何も言えず口を閉じた。
腕を組んで腰を下ろし、無表情で手を動かす男を、しばし眺める。
先程から、しゅっ、しゅっと小気味よい音が流れている。砥石は、村に残されていた、古い物だ。
「刀が刀を研いでいるってのは、なんだか変な話だな。・・・その刀、気に入ったのか」
運ばれて来た時、血と脂で汚れていた刀身は、今は優美に光っている。血糊を拭って鞘に収める前、やけに長いこと眺めているなと思っていたが、砥いでやる気になったらしい。
銀は手を止めて、ゆっくりと柄を握り、その太刀を顔の前にかざした。
「なかなかの業物だ。誰かは知らんが、名のある刀匠の物だろうな。それに、あいつは、若いのに相当腕も立つ」
「分かるのか」
「・・・丁寧に扱われている。柄は随分使い込まれているのに、刃は曇りない。―――この刀は、人を殺したことがないな」
滅多にない饒舌にも驚いたが、刀身を見つめる銀の声に、一瞬、羨ましげな響きを感じ取り、柳葉は小さく息を呑んだ。
鋭利な顔を、まじまじと見つめる。
「・・・お前、よく人間拾ってくるな」
「よく・・・って、二度だけだろう」
「馬鹿言え。俺たちなんか一度もない」
憮然とする銀を見ながら、柳葉は立ち上がった。
「八雲、というそうだぞ」
僅かに首を傾けた銀に、にっと笑って見せる。
「あいつの名だ。目が覚めたらしい。また寝込んでいるが。・・・お前もそのうち、構いに来い」
*****
三人分の足音が、遠ざかって行く。
篝たちが去り、椚の木陰には、静かな風が吹いている。太陽の光を浴びた葉が、降るように揺れ、さわさわと涼やかな音を奏でた。
「なぜ出てこなかった?」
太い幹の裏側からかけられた、からかうような声に、銀は無表情の下でうんざりした。言われるとは思った。
「必要なかっただろう」
幹に沿って反対側へ回ると、予想どおり、にやにや笑う顔があった。狩衣を纏った青年が、祠の正面ではなく横向きに、足を投げ出して腰かけていた。
「隠れる必要もなかっただろう」
銀は僅かに顔をしかめる。稲荷はお構いなしで、何やら上機嫌だ。
「あの答えを聞いたか? 分からない、だと。お前が気に入ったのも頷ける」
「・・・気に入ったのは、お前だろうが」
「はて」
金色の目が、獣のように煌いて、銀を見据える。
「なあ銀、迷っている人間を見るのも面白いが、迷っている付喪神を見るのも面白いなぁ」
もう何とでも言え、と銀は半ば自暴自棄になった。
八雲を助けてから、どうにも調子が狂う。否、自分は別に、助けたつもりはない。結果的に見ると、そうなっていたというだけの話だ。
稲荷の声が、いつもより少し低くなる。
「俺のところへ来ても、答えはないぞ。迷っている者に、答えを与えるのが神ではない」
銀は、ふと真面目な表情をした白い面を、まじまじと見てしまった。
珍しく、まともなことを――――
「そんな面倒くさいこと、やってられるか」
無言で睨みつける銀を見て、村の守り神は、けらけらと声を立てて笑った。
*****
木々の間から漏れる西日を、閃く刀身が、きらり、きらりと弾いている。
流れるような足の運びと、織り交ぜられる静と動。
型をなぞっているだけなのだろうが、舞いを舞っているようで、美しい。―――そう思った自分に驚く。思えば、剣舞というものを見たことがない。
彼が在るのは、常に戦場だった。
目を細めた時、八雲が、こちらに向かって刀を振り抜いた。
びくっと肩が跳ね、流れるようだった動きが止まる。
「銀・・・」
曇りない刀身が、するりと鞘に収められる。
戸惑った目が、自分を見返す。
「俺に、何か?」
ああ、惜しいことをした。
「・・・いや。別に、何もない」
もう少し、見ていたかったのに。
都合上、本編には入れられなかった会話です。
時間を記しておきますと、
最初の区切りは本編一章の『深草の目』と『隠れ村』の間、
二番目は『稲荷』の直後、
最後は『夕月夜』の冒頭部分に当たります。