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じんわりと体全体に広がっていく紅茶のまろやかな甘みに、自然と肩の力が抜けていくのが分かった。クセバが入れる紅茶の味は、また格別であった。
一昨日から始めた作業であるが、あともう少しで完成させることが出来そうである。今まで一心に作業を進めてきた手元のそれに目をやりながら、完成品を渡した時に相手が返すであろう反応が脳裏に浮かび、思わず笑みが零れた。
7年前と比べると現在は、私の予想通り異国の奴隷の数は急増し、今や上流階級にとどまらず中流階級のなかにも異国の奴隷を持つ者がいるほどになった。彼らの存在により、この国は特に商業や農業といった方面で大きな発展を遂げ、国全体が活気に満ち溢れている。
異国の奴隷に関して、今のところ特に大きな問題が起こったという話もなく、私が恐れていたような事態が起こる予兆も見られないが、この先どうなるかは分からない。10年後、20年後という長い目で見れば、もしかすると大分安定してきた今こそ、実は一番気をつけばければならない時期であるのかもしれない。
妹夫婦は男女二人の子宝に恵まれ、下の子は昨年生まれたばかりで、現在は一人歩きをするようになり一時も目が離せないのだと、先日実家に帰った際に妹が言っていた。上の子はそんな風に母親が弟に付きっきりであることにやはり寂しさを感じているようで、近頃私が比較的頻繁に実家に顔を出すことに対して、大変嬉しそうにしていた。
そんな姪の誕生日が一週間後に控えており、もうすぐ6歳になる彼女のために、私はワンピースを作っていた。可愛らしい花柄の茶色の生地を、裾の部分が広がるようにゆったりとした形のワンピースに仕立て終え、あとは少し開いた首周りと裾にレースを付け加えれば完成となる。
私も幼い頃は、格式ばった夜会に着ていくようなドレスの類ではなく、こういった町に住む平民の娘たちが母親に作ってもらうような服に憧れたものであった。裁縫の腕を磨き、自分自身で服を作るまでになったのは、きっとそういった憧れを抱きつつも、結局そのような服を着る機会が得られなかったせいもあるのだろう。
夕食を終え、また作業室に籠って作業に取り組んでいると、トントンと微かに誰かが戸を叩く音が聞こえたような気がした。こんな夜に一体誰が来たのであろうか、と疑問に思いつつも、何かあればクセバが呼びに来るであろうと、私はその場を動かなかった。
ところが暫く経ってもクセバがこの場に姿を現さないので、きっと先程の音は私の聞き間違いか何かであったのだろうと思っていたところ、再びトントンという音が聞こえた。先程よりも少し大きなその音が気になり、私は作業を止めて部屋を出た。
「どうかなさいましたか」
玄関の戸を開いてすぐの場所にある居間に行くと、夕食の片づけの途中であったのか、クセバはテーブルの上を布で拭いていた。
「さっき、誰かが戸を叩くような音が聞こえた気がしたんだが、何か聞こえなかったか?」
私に気づき、すぐにその手を止めて姿勢を正したクセバは、私の問いに「いいえ。何も聞こえませんでした」と答えた。その口調も表情も至って普段通りであり、何一つおかしな点はない。しかしながら、私はすぐにそれが嘘であると分かってしまった。
「そうか。だが念のため、戸を開けて外に誰もいないか確認してくれないか? 聞き間違いだろうが、二度も物音が聞こえたものだから、どうにも気になるんだ」
「分かりました。すぐに確認して参ります」
私の言葉に対して不思議な顔をすることもなく、クセバはそう答えるとすぐさま玄関の戸の前に行き、いつものようにゆっくりとその戸を開けた。
「……クセバ? どうした。外に何かあったのか?」
戸を僅かに開けたまま動かなくなってしまったクセバの様子を不審に思い、徐に彼の方へと近づいて行くと、不意に目の前にいたクセバの姿が一瞬にして消えた。そしてその直後、背後から素早くぴたりと自分の首筋に何かが当てられたのが分かった。
そのあまりに突然の出来事に、言葉を発せられずにいると、僅かに開いた戸の外からくつくつと抑えきれぬかのようにして笑う声が聞こえた。じっと見つめていると、やがて戸に浅黒い肌をした手が掛けられ、そのまま戸が更に開けられたかと思うと、続いて一人の男がその手を戸に掛けたまま、家の中へと足を踏み入れてきた。
「さすがのアンタも驚いたってか。そうだよなぁ、まさか自分に従順な奴隷に刃を向けられるとは思わないよなぁ?」
男は未だに笑いが治まらないのか、額のあたりに手を当て俯きがちのままそう言った後、徐にその顔を上げ、うっすらとした笑みを浮かべた。
「……やっと会えたな。サミカ・シューバック」
私を射抜かんばかりに、まっすぐに向けてくるその鋭利な瞳は、淡い紫色であった。