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「挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。既に先程お聞きになったかもしれませんが、私、サミカ・シューバックと申します」


 別の奴隷にはしっかりと挨拶をしておきながら、彼に対しては挨拶をしないというわけにはいかず、そう言って私は先程と同様にやや腰を屈めて挨拶をした。対する目の前の少年は、私の挨拶にも相変わらず何の反応も示していないようだった。


そんな少年の様子を何となく感じ取りつつ、私は内心で一体どうやってこの場を切り抜けたら良いものかと考えを巡らしながら、徐に顔を上げた。そしてその瞬間目に入ったものに、思わず目を見開いた。 






 大勢の目がある公の場にいることを思い出し、すぐさまいつも通りの笑みを浮かべて平静を装って見せたものの、未だに動悸が治まらない。密かに息を整えつつ、今一度確認しようとする衝動を払いのけるようにして、私は店主に視線を向けた。


「申し訳ありませんが、私もそろそろお暇しなければなりません。ご期待に添えず心苦しいばかりですが……やはり私には些か早すぎるようです」


自然というには少々無理のある、相手に対して気が急いているような印象を与える別れの言葉となってしまったが、致し方ない。実際、私は一刻も早くこの場を離れたいのだ。元々、長居をする気は全くなかったが、先程とある事実を目にして以来、長居はしたくないなどと、そんな悠長なことを言ってもいられなくなった。


「……さようでございますか。しかし、これは少々困りましたな。……実を申しますと、この奴隷はもう随分と長い間、主人が見つからずにおりまして」


店主は困惑しきったような表情をしてそう言うと、まるで秘密を教えるかのように声を潜め、「このままでは、この奴隷を本国へ帰さなければなりません」と続けた。


全て店主による商業上の策の一つに過ぎないとは知りながら、それでもやはり微かに良心が痛む私は、周囲の人間が言うようにお人好し過ぎるのだろうか。「お前は本当に父によく似ている」と言う祖父の言葉を思い出しつつ、私はすぐさま口を開くと、先程と同様に「申し訳ありませんが」と言って、重ねて断りの言葉を口にした。




 一貫して頑なに拒否する私に、店主もあまり執拗に勧めるわけにはいかず、「誠に残念な限りです」と悔しさを見せつつも、やっと折れたようであった。「馬車をご用意しておきました」と言って、私を地上へ案内すべく徐に歩き始めた店主に続いて私も歩き出そうとした時、ふと背後でチャラリと鎖が擦れるような音がした。


思わず背後を振り返ってみると、それまでただじっと立った状態のまま何の反応も示さなかった少年が、いつの間にか床に両手、両膝をついており、そこから更に頭を垂れて、その額までも床に擦りつけようとしていた。


少年のその見慣れぬ行動に、しかしながら私は見覚えがあった。確か、どこかの国かそれとも民族かの中で“恭順”の意を相手に示す行動であったはずだ。そしてそれは同時に、非常に屈辱的な行動でもあり、一生に一度行うかもしれぬ行為であると、何かの書物で読んだ覚えがある。


「何をなさっているのですか! 早く顔をお上げ下さい!」


 私は慌てて少年の下に駆け寄り、必死になってそう声を掛けるものの、彼は顔を上げるどころかそのままその額を床に擦りつけた。これもまさか店主の指示によるものなのかと、私が感情そのままに背後を振り返ると、そこには本気で困惑した様子の店主が立っていた。その様子から店主は目の前で起こっている事態が把握できていないことが窺え、彼のこの行動が店主の指示によるものではないことは明白であった。


一体何を考えているんだと、私もまたひどく困惑しながら、少年にその行為をやめさせるべくあれこれと言葉を変えて頼み込むものの、彼は一向にやめようとはしなかった。






「……私が、貴方を雇いますから。あまり多くはお出しできませんけど、きちんとそれなりの賃金と待遇をお約束します。だから、どうか顔を上げて下さい」


 部屋の奥の方で何やら妙なことが起こっているらしいと気づいた人々が段々と増えていくにつれて大きくなっていくざわめきに、ついに耐えきれなくなった私がそう言うと、少年は漸くその顔を上げた。そして先程とは違い、今度は至近距離で、見間違えようもないそれが私の目に映った。



―――――紫紺の瞳。

それは最早、この世に存在するはずのないもの。








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