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「初めまして。私、サミカ・シューバックと申します」
徐にやや腰を屈め、目線を少年に合わせるようにしながら私がそう言うと、目の前の少年はその琥珀色の目を見開き、びくりと体を震わせた。
「驚かせてしまったみたいですね、すみません」
そんな少年の様子に私がそう言って立ち上がると、何故か周囲の人間もみな、少年と同じ様な表情をして私のことを見ているのが分かった。
「……どうされました? もしや私、何か粗相でも……」
「いえ。何も問題はありませんよ。お気になさらずに」
困惑を滲ませた私の言葉にすぐさま反応を返したのは、これまで私と彼女が会話する様子を黙って見守っていた店主であった。相変わらずその人好きのする顔には笑みが浮かんでいたが、その目は彼の心情を雄弁に物語っていた。奴隷に対して膝を折り、その上自ら挨拶をしようなどとは何と物好きなことか、と。
上流階級の人間の中には、“平民は自分たちのために働いて当然”といったような考えを持つ者もいるが、私に言わせればそれは全く以て勘違いも甚だしい。それを言うなら、上流階級の人間こそが平民のために働いているのだ。
上流階級の人間は、生まれながらにその身分を保障されると同時に、大きな責任を負うことになる。突然予期せぬ大事が起こったとして、仮にそれがいかなる危険を伴うものであったとしても、彼らはその責任の名の下に身を挺し、精一杯問題解決に向けて尽力しなければならない。
もしもその責任の重さに耐えきれぬと言うのであれば、即刻その身分を捨て、一人の平民として生きるべきだ、とは私が幼い頃に祖父から常々言い聞かせられたことだ。そんな祖父の後を継いだ父もまた同じような信念を持っており、それが当たり前だと思って育った私は、初めて公の場に出た際に周囲からその認識の違いを突き付けられ、大いに驚いたものだった。
身分はあくまでその果たすべき役目の違いを表すものに過ぎず、決して人間の優劣を決めるものではない。更に言えば今、目の前にいる少年は異国の人間である。
一体どういった理由で自らを売る奴隷となるに至ったのかは分からないが、その素性が明らかではない以上、単に奴隷というだけで軽んじるのは、非常に軽率かつ危険な行為であるように思う。
建国当初はほとんど存在しなかった移民も、現在ではかなり増加しつつある。それに加えて今、俄かに上流階級の人間の間で流行しているこの異国の奴隷によって、恐らくその数は更に急増することになるだろう。その事実に、私は密かに不安を抱いている。
近頃、移民の流入によって自民族独自の文化が歪められる、などといったことを主張する学者もいるようだが、私が言いたいのはそんなことではない。
周囲の大半の異民族にとって、私たちは憎き征服者たるバロイルと同族の人間だ。私たちにとってみれば、建国当初のことなど既に遠い過去の話に過ぎないが、征服された挙句、曾祖母のように自分以外の一族を滅ぼされた人間にとっては今もなお、少しも薄れることのない確固とした現実として存在し続けていることだろう。
私の取り越し苦労であればいい。そう思いながらこれまで過ごしてきたが、昨日初めて妹から異国の奴隷について話を聞いて以来、私の内なる不安は募るばかりである。
そもそも何故、奴隷などという存在がこの国に突如として現れるようなことになったのか。彼らはどういった事情から奴隷となったのか。この異国の奴隷の取引にかかわっているのは、一体どんな人物なのか。考え始めればきりがない。
「……私、そろそろ失礼させて頂きますわ。両親も、私の夫もこの奴隷が来るのを心待ちにしているでしょうし」
店主に続き彼女はそう言うと、口元を覆っていた扇を閉じ、私に向かってどこか意味ありげな笑みを浮かべて見せた。その笑みが意味するのは、婚約者に逃げられた私に対して自分は歴とした夫がいるという優越感、といったところだろうか。
一体何が彼女をそこまで私と張り合おうという気に駆り立てるのかは分からないが、私が「皆様にもよろしくお伝え下さいませ」と軽く別れの挨拶を口にすると、彼女はそのまま上機嫌でこの場を後にした。
そんな彼女の後姿を暫し眺めながら、私もこのままこの場を立ち去ってしまいたいと思ったが、そういうわけにもいかない。すぐ傍から注がれる店主の視線を感じつつ、私は再び背後にいる少年の方に向き直った。