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「こちらがシューバック様にお見せしたい代物でございます」
時折すれ違う見知った相手には、失礼にならぬ程度に軽く会釈をしつつ、漸く足を止めた店主の言葉に視線を彼の示す方に向けると、そこには一人の小さな少年がいた。この広い室内の片隅でぽつりと、周囲から取り残されたかのようにして立っている。
少年は薄汚れた麻の衣服を身に纏い、そこから伸びる褐色の手足は痩せ細っていた。人の手が全く加えられた気配のない黒色の髪は彼の顔立ちを覆い隠し、彼が今一体どのような表情をしているのか全く窺い知ることが出来ない。
そこに浮かんでいるのは悲しみか、それとも怒りか。
あるいは、もはや感情などといったものは何も感じていないのかもしれない。少年の細い首に付けられた、彼をその場に縛り付ける鎖の付いた鉄の首輪を見て、私はそんなことを考えながら人知れず顔を歪めた。
「まぁ! もしやそちらにいらっしゃるのは、サミカ様じゃありませんこと?」
何も言わず、私の反応を窺うようにしてじっとこちらの様子を観察する店主に対し、さて一体どうしたものだろうかと考えていると、突如として背後から声をかけられた。そのいかにもたった今、気がついたとばかりの声色に、私はやはり絡んできたか、と内心で溜息を吐きつつ、口元に笑みを浮かべて背後を振り返った。
「これはこれは、メニエ様ではありませんか。お久し振りでございます」
視線を向けた先にいたのは、やはり思った通りの人物であった。流行物に目が無い彼女が異国の奴隷に興味を持たないはずがない。既に買ってしまっている可能性もあるが、仮にそうであったとしてもこの場に彼女がいることは十分にあり得る。出来ることなら何とか彼女には会わずに済ませたいものだ、と思っていたが、残念ながらその願いは叶わなかったようだ。
シューバック家と同様に、昔から名の知れた家柄であるピクーシャ家の一人娘、メニエ・ピクーシャ。彼女は昔から何かと私に絡み、陰ではこれでもかと私の悪態を吐く。嫌いなら嫌いとそのような態度を取ってくれればいいものを、私の前ではまるで一番の友人とばかりにいかにも親しげに接してくる。
あれだけ所構わず悪態を吐いておきながら私には知られていないとでも思っているのか、それともやはり態とそのような行動を取っているのか。いずれにせよ、私にとってはただただ理解しがたく、面倒な相手である。
「随分と長い間お姿を見かけないものだから、一体どうなさったのかと心配していましたのよ? 聞けば、都を離れてお一人で暮らしているそうじゃありませんか。一体、突然どうしてそのようなことを?」
振り返った私に対し、彼女はそう言って徐にその口元を扇で覆った。
相も変わらずその言葉はまるで友人を心配するかのように装いながら、その言葉を発する目は隙あらば打ち落とそうと狙う、獲物を前にした狩人と何ら変わりない。先日の私の婚約者との一件を当然知っているだろうに、突然どうして、などとは白々しいにも程がある。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。……少し田舎の空気が懐かしくなりまして」
私がやや俯きがちにそう返すと、彼女は「まぁ……、そうだったのですか」と言い、同時に扇の向こうでその口元がつり上げられたような気配がした。
「それにしましても、この場でサミカ様とお会いすることになるとは思いも寄りませんでしたわ。……今宵はそちらの奴隷をお買いに?」
彼女は続けてそう言うと、ちらりとその視線を私の背後にいる少年に向けた。
「いえ。今日は元々、この場を一目見るためだけに参りましたので。今はちょうどご厚意により、こちらの店主の方に案内して頂いていたところだったのですよ。メニエ様は今宵、この場にお買いになりにいらっしゃったのですか?」
「えぇ。私も今し方、この奴隷を買ったばかりですの」
私の問いかけに彼女はそう答えると、背後に控えていた側仕えにその奴隷を私の前に引き出させた。
その奴隷は茶色の髪に琥珀色の瞳をした、一見して見目の良い少年であった。だが私が気になったのは彼のその見目の良さではなく、むしろその小綺麗さの方であった。思えば先程、店主に引き連れられて歩いている最中に人々の輪の中にちらりと見えた奴隷たちは、いずれもある程度小綺麗な格好をしていた。
この場では、彼らはあくまで商品である。商品である以上、買い手がつかなければ意味がない。それなのに今、私の背後にいる少年はどうしてあのような姿をしているのだろうか。
私はそこで初めて、明確な違和感を覚えた。