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夢の跡 2

 

 坤家についての話は以前に両親から少しだけ聞いたことがあった。正直なところあまりよくは覚えていないが、とにかく一族の中でその頂点に君臨する血筋であると認識している。


「この知らせが届いたからには、私たちも行かなければならない」


父はそう言い切ると、静かに目を伏せた。その姿を目にした瞬間、俺は自分の勘が当たっていることを確信した。こんな父の姿は今まで一度として見たことがない。


そう思うと、先程まで何とも思っていなかった紙片が急に恐ろしくて仕方がなくなった。ありえないことだとは知りつつも、あの小さな紙片が突然化け物と化して今にも襲いかかって来るのではなどという妄想が頭から離れず、俺は紙片から目を逸らすことができなかった。




「……どこに?」


 暫くしてやっとの思いで紙片から目を逸らし、からからに乾いた喉から絞り出したような声で父に尋ねると、父もまたそこで漸く顔を上げた。


「我々の約束の地、魁澪かいりょうに行くんだよ」


その時の喜びとも悲しみとも受け取れるような父の複雑な眼差しは、俺の脳裏に痛いほど焼きついて今も離れない。




***




 ふと膝の上に置いた箱に目を落とした。中に入っている出来立ての焼き菓子のせいで、先程から太腿のあたりが熱くて仕方がない。熱気を逃がすために開けた僅かな隙からは、熱気とともに砂糖とバターの焼けた濃厚な甘い香りが漂ってくる。馬車の窓も少し開けているはずなのに、少しも外の空気を吸った気がしない。


辺りに充満し肌に纏わりつく香りに、まるでこの身を絞め付けられるかのような圧迫感を覚える。いっそ思いのままこの元凶たる箱を窓から放り出してしまえたら、どんなにか心がすっきりとするだろう。けれども実際は放り出すどころか後生大事に両手で抱えている。そして恐らくはこの先に至っても、きっと俺は同じように行動することだろう。




「おい、キーリング」


 俺が馬車から降りて屋敷の中に入るや否や、玄関で待ち構えていた男に呼び止められた。不機嫌さも露わな苛々とした口調に目を向ければ、男は手にしていた懐中時計の蓋をわざとらしく音を立てて閉めてそのまま目の前までやって来ると、その鳶色の目を細めて俺を見た。


「何をもたもたしている。先程からオルキ様がお待ちだ。さっさと行け」

「申し訳ございません」


これまでの行動を振り返ってみても自分自身もたついた覚えは一切ないが、俺は迷わずそう言って頭を下げた。俺がすべきことは常に反論ではなく、謝罪であるということを既に身をもって学んでいる。ここでは誰も俺の意見など求めていない。それはここに来た当時から変わることのない確固たる事実として存在している。


 足元に広がる白い大理石は見事に磨きあげられて、まるで鏡のように光っている。俺は俯いたままその様をぼんやりと眺めていたが、不意にそこに自分の顔を見つけ思わず唇を噛み締めた。こんな情けない顔をしているやつが俺なのか。そう思うと悔しくて悔しくて仕方がなかった。


俺は一体いつまで我慢し続ければいいのか。もう何度目になるかも分からないそんな問いかけを胸の内に燻らせながら、ただじっと目の前にいる男から許しが出るのを待っていた。






 螺旋状の階段を上って、長い廊下を歩いていく。途中で度々使用人とすれ違うが、言葉を交わすどころかまるで嫌なものに遭遇してしまったとばかりに揃って顔を逸らされる。しかしながら顔を合わせたところでこちらを見下すような視線しか向けられないことは明らかなので、気にするだけ無駄だと割り切っている。


 奥の方へ進むにつれて他者とすれ違うことが少なくなり、ついに人気を全く感じなくなった頃、漸く目的の部屋にたどり着いた。目の前には見るからに重そうな木造の両開きの扉があり、向かって左側の扉には無数の剣の山の上に鎮座した獣、右側には書物と水瓶を抱える鳥の彫刻が中央に大きくかつ立体的に彫られている。


この扉を初めて目にした時、たかが扉一つにどれだけ金をかけているのかと呆れると同時に、その存在感に圧倒されたものだった。しかしそんな扉も今となっては、ただこの上なく憂鬱な気分にさせられる存在でしかない。頭では過去にこの扉の先で起こった様々な出来事を思い出し再び思考が感情に飲まれそうになりながらも、体は無意識のうちに扉に付いた輪を握り入室の許可を請うためにノックをしていた。






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