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……あの男も無駄死にせずに済んだ?


一体誰のことを言っているのだろうかと考えていると、男はそんな私を馬鹿にするかのような笑みを浮かべて言った。


「もっとも、勝手に駆け落ちして消えた元婚約者のことなんてさっぱり忘れちまったか?」




 その男の言葉を耳にした途端、私の頭の中にいきなり張り手を食らわされたような、全く予想だにせぬ衝撃が走った。


……嘘だ。そんなはずはない。

嘘だ。嘘だ。嘘だ!


衝撃による興奮覚めやらぬままの状態でまず最初に湧き上がってきたのは、既に積み上げられた仮説に突如として新たに加えられた一つの破片を砕かんとする強い拒絶の感情であった。


けれども私の頭は一方でそんな悲痛な叫び声を上げながら、もう一方ではひどく冷静にその叫び声を抑えつけていた。今だけはこの身が魔術によって拘束されていて良かったと思う。そうでなければ既に情けなくもこの場にへたり込んでしまっていたに違いない。それでもきっと、この動揺する心はもうほとんど隠し切れていないのだろう。顔の強張りがいつまでも消えない。


「アンタの元婚約者は本当は駆け落ちなんてしてない。アンタについての情報を餌にしておびき寄せ、頃合いを見計らって俺たちが殺したのさ」


嘘じゃないというのなら、目撃者たちによるあの数々の証言は何だったというのか。まるで人目を避けるかのようにして、彼は何度も見知らぬ女と逢瀬を重ねていたと。仲睦まじげに会話をし、彼らは度々口づけを交わしていたと。それとも彼は魔術にでも掛けられていたというのか。いや、そんなはずはない。逢瀬を重ねているその合間に私は彼に会っているが、そのようなおかしな点は全く感じられなかった。


「アンタならくどくど言わなくったって分かるだろう? ……今、俺が言ったことの中に嘘は一つもない。そうだろ?」


得意げに歪められたその口が憎くて仕方がない。けれども確かに男の言う通り、その言葉の中に嘘はない。


……嘘は、ない。




 嘘ではない。ならばそれが真実かといえば、必ずしもそうとは限らない。真実とはなかなか厄介なものなのだ、といつか祖父が言っていた。一体真実の何が厄介なのかと私が聞くと、祖父はこう答えた。


「真実というのは一つであって一つではないんだ。実際は人間の数だけ存在するものなんだよ。喜怒哀楽といった感情一つで、たとえ同じものを見ていたとしても人によってまるで全く違ったもののように見えてしまう。それが嫉妬や恨み辛みとかいう負の感情であるなら尚更のことだ」


それ故に真実が知りたいのならば多くの者と言葉を交わし、その心に触れてみなければならないと、そう言っていた。


 真実は一つであって一つではない。それが私にはずっと理解できなかった。誰が何を考えていようとその目に映るものは変わらないだろうと、そう思っていた。けれども本当に、感情一つで同じものが全く違ったものに見えることがあるというのか。それならば彼の姿を目撃したと言う彼らが実際に目にした光景は、その実態とは本当は一体どのようなものであったのだろうか。




***




 彼とは縁談をきっかけに出会った。私が15の歳を迎え、社交界へ出るようになってすぐに舞い込んできた複数の縁談。その中の一つが私より4つ年上である彼との縁談であった。結婚など全く気乗りせず面倒で仕方がなかったが、ほぼ全ての縁談の相手と機会を設けて直接話をした。表面は取り繕いつつも明らかにこちらの家柄に目を付け、私を使って何とか取り入ろうとする者が多いなか、会話を通じて彼に対して抱いた第一印象はとにかく普通ということであった。


 その家柄は上流とも中流とも甲乙つけがたい微妙な位置にあるものの、現当主は出世欲を見せる素振りは全く感じられず、その二男である彼自身もまた優秀な文官であるとして宰相殿に重用されているという割に高官特有の歪みといったものが一切見受けられない、普通の感覚を持つ人物であるように感じられた。


しかしながら、ただ一つ気になったことは、この縁談についてどのように考えているのか、という私からのかなり穿った質問に対する彼の返答についてであった。


「それはもちろん、貴女と結婚したいと思っていますよ」


何の躊躇いもなくさらりと答えたその言葉には、打算などといったものがあるようにも思えず、だからと言ってその目は甘さを含んだものであるわけでもなく、あくまで飄々とした様子でこちらを見る彼が一体何を思っているのか私には全く分からなかった。






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