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「いかがされましたか」
不意にかけられた言葉に、私ははっと我に返った。見れば目の前でクセバがじっと私の言葉を待っている。きっと彼は、私が何らかの言葉を発するまでこのままずっと、いつまででも待っていることだろう。
「……いや。何でもないよ」
昔からずっと変わることのない、私に対して彼が見せる忠誠心。そのことに違和感を覚える私は、あまりにも冷めた主人であるのだろうか。
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クセバと初めて出会ったのは、今から7年前。私が18歳の時であった。当時、私には親同士の決めた婚約者がいたのだが、結婚式の直前になって当の相手が他の女と駆け落ちをした。花嫁衣装など何から何まで全てを既に用意していた私や両親に対して、彼の両親はすぐさま真っ青な顔をして頭を下げに来た。
私は特に彼を愛しているわけでも何でもなかったため、そのことにショックを受けるということはなかったが、もう少し早くに言ってくれなかったものだろうかという気持ちはあった。だが、確かに彼にとってそれはなかなか難しいことであっただろう。彼と私とでは、確実に私の方がその家柄が上であったのだから。
元々結婚をすること自体に気乗りしていなかった私は、両親が何も言わないのを良いことに、それ以降に来た縁談を全て蹴った。そうしているうちに妹が結婚することになり、その夫となる男が我が家の家督となるに相応しいかどうかを確認した後、私は一人家を出た。
実家のある都から少し離れた西のとある村にて、私は小さな一軒家を買い、そこで自由気ままな生活を送っていた。単身で乗り込んできた私に対して、最初は遠巻きに様子を窺っていた村の人たちであったが、何かの拍子に私が、婚約者に逃げられてしまった、というようなことをポロリと零して以来、一気にその距離を縮めてきた。裁縫の腕に少し覚えがあったことも幸いし、私は案外すんなりと村に溶け込むことが出来た。
ある日、実家にいる妹から手紙が来た。それは『たまにはこっちに帰って来て欲しい』といったような旨の手紙であった。私にはまだ実家を出てから数カ月しか経っていないのにと思われたが、手紙のことを話した村の人にはすぐに帰ってあげるようにと強く勧められ、私はそれに流されるようにして実家に帰ることとなった。
実家に帰ると、妹夫婦が揃って出迎えてくれた。両親はちょうど知人の家に出かけていたため留守であったが、夕方には帰ってくるとのことだった。久しぶりに会った妹は至って元気そうで、夫婦仲も悪くなさそうな様子を見て、私は安心した。妹の方も私の姿を見て安心したような表情を見せたが、やはり一人身の私を心配してか、とある話を持ち掛けた。
何でも最近、都では異国の奴隷を持つことが流行しているらしい。奴隷という言葉に私は思わず眉をひそめたが、話を聞くと昔とは違い、奴隷とは言っても普通の使用人と何ら変わりないということだった。
その異国の奴隷にはちょっとした魔術を使える者が多く、その上容貌も整った者が多いということで、最近、都ではその異国の奴隷を持つことが一種のステータスとなっているそうだ。やはり所詮は金持ちの道楽ではないか、と私が不機嫌も露わに呟くと、妹はそんな私を宥めながら「それも否定できませんけど、本当に使用人としては何をやらせても優秀なんですって」と言って、私にその異国の奴隷が取引されている場所について説明し始めた。
翌日の昼過ぎになって、私がすっかり帰り支度を整え終わっているのを見ると、妹は驚いた顔をしてもう帰るのかと酷く責めてきた。そうは言っても、長居をして新婚夫婦の邪魔をするわけにもいかない。昨夜に両親との挨拶も済ませたし、今回の目的は既に果たした。そう説明しても妹が尚も食いついてくるので私はつい、帰り際に異国の奴隷が取引されている市場とやらを覗いてこようと思う、などと口走ってしまった。
すぐさま前言撤回をしようとしたが、それよりも先に「本当ですか! ……それなら仕方ありませんわね」と言って、若干不満そうな表情を残しながらも妹が折れてしまった。私は今更蒸し返すような真似も出来ず、「奴隷をお買いになった際には必ず私にも紹介して下さいね」と何度も確認するかのように言う妹の言葉に頷かざるを得なかった。