第5部 第35話 氷壁の限界――狂王の「戦略的撤退」
「……くっ、この寒さ……ただ事ではないぞ……!」
霊峰アイスガルドの中腹。ルーニー・ハクザンの視界は、吹き荒れる魔力の吹雪によって真っ白に染まっていた。
特訓によって極限まで引き締まった三人の肉体は、たしかに強靭だった。しかし、筋肉は脂肪に比べて熱を蓄えにくい。細マッチョになった彼女たちにとって、この異常な冷気は物理的な天敵となっていた。
「(ガタガタ……)……ルーニー様。……わ、私は……まだ、戦えますわ……(ヒュゥッ)」
アイリスが青白い唇を震わせ、槍を杖にして立ち上がろうとするが、膝が笑って力が入らない。
「……バカか。お前、自分の肌を見ろ。霜が降り始めてるぞ」
エヴァもテイラーも、もはや魔力の循環が追いつかず、意識が朦朧としている。ドMな彼女たちですら、快楽を感じる余裕がないほどの物理的な「凍死」の危機。
そこへ、氷結のセラフィナが嘲笑うように声を響かせた。
「……あら、その素晴らしい筋肉も、凍ってしまえばただの石像ね。さあ、そのまま美しい氷細工になって、私の庭を飾りなさい」
「……ちっ。全軍、退却だ! 山麓のキャンプまで下がるぞ!!」
ルーニーの声が吹雪を切り裂いた。
「えっ……? る、ルーニー様、逃げるのですか……?」
アイリスが信じられないという顔でルーニーを見上げる。
「逃げるんじゃない、『生き残る』んだ! お前たちのその体は、俺がしつけ直した大切な家臣だ。こんなところで氷漬けにされてたまるか! ……立て! 担いでやる!!」
ルーニーは震える三人を強引に引き寄せ、自らの魔力で結界を張ると、一気に斜面を駆け下り始めた。
背後からセラフィナの冷気が追いすがってくるが、ルーニーは一切振り返らない。
(……クソッ! 鍛え上げればいいってもんじゃないんだ。環境に合わせた戦い方ってものがある。……俺のミスだ。こいつらの『熱』に当てられて、冷静な判断を欠いていた!)
イライラと、自分への怒り。そして、腕の中で力なく震えるアイリス、エヴァ、テイラーの体温が消えていく恐怖。
ルーニー・ハクザンは、プライドを捨てて、全力で山麓のキャンプへの撤退を敢行した。
ようやく設営地点のキャンプまで辿り着いた時、三人はすっかり意識を失い、ルーニーの腕の中で冷たくなっていた。
「……おい、寝るな! 起きろ! ……火を焚け! ありったけの毛皮を持ってこい!」
かつてないほどに狼狽し、必死に彼女たちの体を温めるルーニー。
この敗北は、ルーニーと三人の家臣たちに、「強さ」だけでは超えられない壁があることを、冷酷に突きつけたのであった。




