第5部 第29話 孤高の狂王――満腹までのカウントダウン
「……嘘だろ、おい」
ルーニー・ハクザンは、目の前の光景に絶句した。
砦を守るはずのハクザン軍の精鋭たちが、そしてあんなに特訓したアイリス、エヴァ、テイラーの三人が、まるで吸い寄せられるように城門を飛び出し、グラトニーが用意した「魔の食卓」にむしゃぶりついていたのだ。
「あはっ! 美味しい、止まりませんわ、ルーニー様ぁ!」
アイリスが顔中をソースだらけにして、巨大な肉の塊を飲み込んでいる。エヴァもテイラーも、もはや理性を失い、獣のように料理を胃袋に詰め込んでいた。
これは単なる食事ではない。グラトニーの魔力による「強制暴飲暴食」。
食べ終わるまでにグラトニーを仕留めなければ、彼らのお腹は物理的に破裂するか、過剰な魔力摂取によって自我を失い、魔族化(再怪獣化)してしまう。
「クハハハ! 味わえ、ハクザン! お前の愛しい駒たちが、内側から弾け飛ぶ様をなぁ!」
(……何が『味わえ』だ、この野郎。こいつら、あんなに『痩せたい』とか『お仕置きして』とか言っておいて、結局これかよ! 昔のしおらしい姿は、もう幻だったのか!?)
ルーニーの怒りは、グラトニーへの殺意と、家臣たちへの深い「イライラ」で沸点に達した。
「……お前ら、後で絶対にお尻ぺんぺんじゃ済まさないからな! 全員まとめて、一ヶ月間は水と塩だけで生活させてやる!!」
ルーニーが動いた。
アイリスが最後の一口――巨大な魔獣の心臓の丸焼き――を口に放り込もうとしたその瞬間、ルーニーの全身からラインハルトとしての神童の魔力と、ハクザンとしての武威が、一点に集束した。
「起死回生の一撃――『断絶の天秤』!!」
ルーニーの剣が、グラトニーの肥大化した胴体を一閃した。それは肉体を斬るのではなく、グラトニーと「食卓」を繋いでいた魔力の回路を直接切断する、超精密な一撃。
「ゴハァッ!? な、なぜだ、食欲に囚われた部下たちの声に、動揺しなかったというのか……!」
「……動揺? してたに決まってるだろ。あまりの情けなさに、視界が真っ暗になりそうだったよ!!」
グラトニーが霧散し、魔力の供給が止まった瞬間。
「……はっ!?」
「私、何を……」
三人と兵士たちは、パンパンに膨れ上がったお腹を抱え、口から肉の骨をこぼしながら、ようやく我に返った。
そこには、全身から怒りのオーラ(と、少しの悲しみ)を放ち、地面を這いつくばる家臣たちを見下ろすルーニーの姿があった。
「……もう、やだ……」
ルーニーは剣を鞘に収めると、天を仰いで力なく呟いた。
「……なんなんだよ、こいつら。俺が命懸けで戦ってる横で、デザートまでしっかり完食してやがって。……教育? しつけ? もう無理だ、帰りたい……」
納得がいかない。圧倒的に納得がいかない。
起死回生の勝利を収めたというのに、ルーニー・ハクザンの心は、空腹よりもひどい喪失感とイライラに支配されていた。




