第5部 第23話 母の聖域、あるいは絶たれた境界
シオンとの対峙を経て、自らの「過去の罪」に打ちのめされ、三人の「ぽっちゃりした献身」によってようやく立ち上がったルーニー。
だが、彼にはさらなる頭の痛い問題がのしかかっていた。
「……はぁ。アイリス、いつまでそうやって俺の袖を掴んでいる。掃除はどうした」
「……だって、ルーニー様がまたどこかへ消えてしまいそうで。……あ、お腹が鳴ってしまいましたわ」
アイリスがふっくらした腹部を押さえながら、不安そうにルーニーを見上げる。魔族領は人間領とは完全に断絶しており、商人の行き来など皆無だ。翡翠城にある備蓄と、ルーニーが自給自足で確保する魔獣の肉だけが頼りだが、三人の「幸せ太り」のせいで食糧消費が想定を上回っている。
そんな閉ざされた世界の中で、ルーニーは王国の母・エレオノーラのことを想っていた。
(あの母上なら、俺が生きていると確信した瞬間、軍を差し向けるような真似はしない。……むしろ、この世のすべてを焼き払ってでも、俺を「聖域(あの人の腕の中)」へ連れ戻しに来るはずだ)
エレオノーラの愛は、狂信的だ。
第1部でラインハルトを失った時、彼女の精神は一度壊れている。その息子が生きている――。もしその事実が彼女に伝われば、人間領と魔族領を隔てる「断絶」など、彼女にとっては紙切れ同然の障害でしかない。
「……シオン。お前の姉、ミツナを死なせた俺を、母上はどう思っている。……いや、聞くまでもないか。あの人は、ミツナの死すら『息子を守った名誉な盾』としか思っていないんだろうな」
捕虜であるシオンは、牢の端で力なく笑った。
「……エレオノーラ様にとって、あんた以外の人間はすべて石ころだ、ラインハルト。……あんたを奪い返すためなら、彼女は王国すら生贄にするだろうよ」
その時、城の入り口で騒ぎが起きた。
テイラーが、少しキツくなったメイド服を揺らしながら駆け込んでくる。
「ルーニー様! 大変です! 結界の境界線付近に、身元不明の『供物』が大量に置かれています! 最高級の絹、保存の効く贅沢な菓子、そして……貴方が幼い頃に好きだった玩具まで!」
交流などないはずの魔境の入り口。そこに届けられた、差出人不明の山のような物資。
だがルーニーには分かった。これは侵略ではない。
「……母上か。俺がここにいることを、言葉ではなく『餌』で確認しに来たのか」
狂信的な母は、息子を力で屈服させるのではなく、まず「慈愛」という名の鎖で包囲し始めたのだ。
「わあ……! 美味しそうなパイが山ほどありますわよ、ルーニー様! 食糧難もこれで解決ですわね!」
無邪気に喜ぶエヴァとアイリス。だがルーニーは、その山盛りの菓子を見て、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
その「愛」の重さは、ぽっちゃりした三人の肉体の重さなど比較にならないほど、重く、深く、暗いものだったからだ。




