第4部 第13話 三つ目の椅子――忠誠の座
昨夜の「秘事」の痕跡を微塵も感じさせず、テイラーは公爵邸の執務室で、いつものように無機質な表情で書類を整理していた。
だが、その視線は時折、主君であるルーニーの手元を追い、無意識に喉を鳴らす。
そこへ、公爵邸のすべてを差配する執事、シオンが静かに入室した。
「主様。今後の『ハクザン家の盤石』を期すため、最後の一人……三人目の許嫁候補について、ご提案がございます」
ルーニーはペンを置き、シオンを見据えた。
「……アイリス殿下とヴァレンタイン嬢。これ以上の火種を増やすつもりか?」
「いえ。むしろ火を制御するための『石』が必要です」
シオンは流れるような所作で、一通の書類を差し出した。
そこに記されていた名は、ルーニーの傍らに立つ、その女性のものだった。
「――男爵家長女、テイラー。彼女を、三人目の候補……あるいは実務を担う側室として、正式に迎え入れるべきかと」
室内の空気が凍りついた。
テイラーの手から、一束の資料が床に滑り落ちる。
「……シオン。正気か? 彼女は私の右腕であり、情報局長だ。家柄も男爵家……王女や伯爵令嬢と並べるには、格が違いすぎる」
「家柄という『飾り』は、私が裏で操作し、子爵、あるいは伯爵家への養子縁組を済ませれば済む話です。……何より主様。彼女ほど、貴方様の『深淵』を理解し、その毒を飲み干せる女は、他にはおりません」
シオンの冷徹な正論。
シオンは知っていたのだ。テイラーがルーニーにどのような目を向け、どのような夜を過ごしているのかを。すべてを理解した上で、彼女を「逃げられない檻」へと押し込もうとしていた。
「……テイラー。お前はどう思う」
ルーニーの問いに、テイラーは震える膝を隠すように、その場に深く跪いた。
顔を上げられない。昨夜のあの光景が、ルーニーに暴かれたあの熱い記憶が、彼女の脳内を駆け巡る。
「私……私は、ただの道具です。主様の影として、生涯を捧げる覚悟……それだけで……っ」
「道具だからこそ、誰の手にも渡らぬよう繋いでおく必要がある。……そうだろう?」
ルーニーは立ち上がり、跪くテイラーの顎を強引に持ち上げた。
その瞳には、彼女を「一人の女性」として愛でる甘さは微塵もない。ただ、自分の所有物として完全にマーキングしようとする、独占欲という名の冷たい炎があった。
「王女と妄想狂、そして……私のすべてを知る情報局長。……面白い布陣だ。シオン、その話、進めておけ」
「御意に」
テイラーは絶望と、それを遥かに凌駕する狂おしいほどの歓喜に打ち震えた。
公式に「ルーニーの女」として認められる。それは彼女にとって、死よりも重い責任であり、天国よりも甘い呪いだった。




