第3部 第1話 侵略の序曲――北方の黒い雲
内乱の炎が消えた王都ヴァロア。そこには、豪華な公爵邸で安逸に浸るラインハルトの姿はなかった。
彼は「ハクザン公爵」の身でありながら、実質的に国の政務を預かり、連日連夜、瓦礫の撤去から物流の再建、戸籍の整備にいたるまで、国全体の復興を陣頭指揮していた。
「……物流の滞りは血の詰まりと同じだ。ハクザンから整備した伝馬制度を全土に広げろ。民を飢えさせるな」
王都の中央広場に設営された仮設の執務所に、ラインハルトの鋭い声が響く。隣には、公爵夫人となったエレオノーラが、炊き出しや救護所の運営を毅然と指揮し、夫を支えていた。
その若き二人の献身的な姿に、王都の民は「この御方たちがいれば、国は必ず蘇る」と希望を抱き始めていた。
しかし、その希望を打ち砕く報せが、北方国境から届く。
「緊急報告! 北方、魔族領との国境線が突破されました! 指揮官は魔将ザルガス。その数、およそ三万!」
報告を受けたシオンの手が、わずかに震えていた。
魔族軍は、人間同士の内戦で国軍が疲弊し、さらに主力であるラインハルトが王都での「政」に忙殺されている今こそ、一気に国を飲み込む絶好の好機と判断したのだ。
「公爵ラインハルトか。フン、内政に現を抜かしている二十歳のガキではないか。泥遊びに夢中の間に、その首を刈り取ってくれるわ!」
魔将ザルガスの哄笑が、北の荒野に響き渡る。
「……三万か。国軍の再編はまだ半ば。今、動かせる精鋭はハクザンの旧臣を含めても八千に満たぬな」
ラインハルトは広げた地図を見つめ、冷静に呟いた。
周囲の文官たちは、復興途中の国が再び戦火に包まれる絶望に顔を伏せる。だが、ラインハルトの瞳には、かつて数倍の敵を前にしても揺るがなかった「石田三成の友」としての冷徹な輝きが宿っていた。
「殿、どうされますか!? 各都市に籠城を命じますか?」
「……いや、打って出る。王都まで土足で踏み荒らされては、これまでの復興が無駄になる」
ラインハルトはペンを置き、壁に掛けられた黒金の鎧を手に取った。
「魔族どもは、私が政務で腕を鈍らせた若造だと侮っている。……ならば、その『慢心』こそが奴らの墓標だ。シオン、即座に伝馬を飛ばせ。国境付近の拠点を囮にし、奴らを『あの場所』へ誘い込む」
ラインハルトは、復興のために自ら整備した「道」を、そのまま「敵を殺すための罠」へと転換する軍略を、瞬時に描き出した。
「エレオノーラ。王都の民の守りは、お前に託す。……私は三日で片付けて戻ってくる」
「……はい。ご武運を、私の英雄。貴方を信じて待っております」
公爵ラインハルト、真の「軍神」としての初陣。
20代の若き主公と、三万の魔族。
世界は、この痣のある青年が、ただの「幸運な若者」ではないことを思い知ることになる。




