2部 第4話 約束のハクザン――王女の旅立ち
視察の最終日、ハクザンの城門には、王都へ帰還するエレオノーラの豪華な馬車が停まっていた。
数日間の滞在で、彼女の目に映る景色は一変していた。かつて「不気味な要塞」に見えたハクザンは、今や「理想の秩序」が息づく、この世で最も尊い場所に感じられていた。
見送りに立ったラインハルトは、相変わらず飾り気のない軍装に身を包み、深く一礼した。
「殿下。ハクザンの地をその目で確かめていただけたこと、心より感謝いたします」
その慇懃ながらも、どこか一線を引いた態度に、エレオノーラは胸の奥が疼くのを感じた。彼女は馬車に乗り込む直前、ふと立ち止まり、振り返って彼を見つめた。
「……ラインハルト卿。貴方は、これほどまでに素晴らしい都を築き、これほどまでに気高い魂を持っている。……それなのに、これからもこの辺境に閉じこもるつもり?」
「私には、この地を守る『義』がございますので」
「……王都の社交界には、一度も出席されないの?」
エレオノーラの声が、わずかに震えた。
「貴方が来れば、誰もがその真の姿に驚き、平伏すはずよ。……それに、もし貴方が来れば……私も、また貴方に会えるのに」
最後の一節は、風に消えそうなほど小さな呟きだった。
王女としてのプライドを捨てた、一人の少女としての願い。
ラインハルトは一瞬、目を見開いた。その赤い痣のある顔に、かつての大谷吉継が三成との友情に触れた時のような、温かな光が宿る。
「……殿下。私は、日の当たる社交界で踊る器ではございません。ですが、もし王道が曇り、貴女が真に助けを必要とする時が来れば……」
ラインハルトは、腰に差した愛刀の柄を軽く叩いた。
「このラインハルト、ハクザンの全軍を率い、地の果てまでも貴女を支えに参りましょう。それが、私の立てる『義』でございます」
「……期待せずに待っているわ、強情な騎士様」
エレオノーラは、寂しげながらもどこか満足そうな微笑みを浮かべ、馬車に乗り込んだ。
遠ざかっていく馬車の轍を見つめながら、ラインハルトは静かに誓った。
(エレオノーラ殿下……貴女の歩む道が、どうかミツナの願った『理想』に近いものでありますように。そのためなら、私はいつでも貴女の盾になろう)
この時、二人はまだ知らなかった。
数年後の再会が、血塗られた戦場であることを。




