空の監視者
アストロノミカル天文台が、山の斜面に隠れていく。
ツェリンは一度振り返り、天文台を見つめて思った。
(どうか、天文台が襲われませんように・・・)
村が襲われた以上、
天文台も襲われる可能性がある。
その考えに、ツェリンは背筋に冷たいものを感じていた。
それに気づいたペマが、視線を送りながら口を開く。
「あたいたちが離れれば、天文台は大丈夫だよ。」
ツェリンは、その言葉の意味が分からなかった。
「それってどういう・・・?」
「明るくなる頃には分かると思う。」
そう言って、ペマは前を睨みつけ、先を急いだ。
―――
早朝の闇の中、ペマは歩みを速める。
ソナムに速歩を要求し、地域を抜けようとしていた。
その様子に、ツェリンが尋ねる。
「ペマ、なんでそんなに急ぐんだい?
ソナムたちが疲れるよ。」
その問いに答えるように、周囲にはまだ住居が立ち並んでいた。
ペマは、暗いうちに街を抜けたかった。
人々が起き出す前に。
「ごめんね、ソナム。
・・・これ以上、被害は出したくないんだ・・・」
ソナムは耳をくるりと動かす。
分かっていると言いたいのか、ブルルと鼻を鳴らした。
「ありがとう・・・」
ペマはソナムの背に額をつけた。
―――
街はずれに着くと家並みは消え、緑の草原が広がった。
そこで、ようやくペマはソナムの歩みを止めた。
一行は息を荒げていた。
街灯のないこの場所は真っ暗で何も見えない。
ペマは地図を広げ、現在位置を探った。
地図では、この先にハンレ川がある。
東の空は次第に青に移り変わっている。
「明けてきたね。」
「今のうちに、できるだけ進みたい。」
「急ぐ意味が?」
「じきに分かるよ。」
ペマはソナムに速歩の指示を出した。
―――
川にかかる橋を渡るとハンレの町に入る。
右に折れ、山へと向かう道に入る。
川から離れ始めると、集落はあっという間に見えなくなり、
先を見ると、道は蛇のようにくねり、斜面を登っていた。
そこでようやくペマは歩みを緩めた。
ソナムやプンツォの足元を確認し、
一旦休憩を取ることにする。
道から離れ、山から谷間を流れる小さな小川のそばに草地を見つけ、
そこで歩みを止めて背から降りた。
プンツォの荷を下ろし、
休めそうな岩を見つけてそこに座る。
「ジョー、頼むね。」
ペマがそう言うと、
ジョーはソナムの手綱を引き、小川の方へ向かった。
「ジョーはホント賢いね。」
ツェリンがそう言って、
手綱を引きながらペマのそばへ近寄ってくる。
手綱を鞍に結び、荷をほどいて地面に置くと、馬の首をポンポンと叩いた。
「お前も、あの子たちの所で休憩しておいで。」
そう言うと、ジョーたちが休んでいる場所へ
ゆっくり向かっていく。
ペマはその様子を見つめた。
「ノルブだっけ? あの子も賢いじゃん。」
「ん? まあ、人の言葉はよく理解する子だね。」
「良い馬だ。」
そう言って、ペマはツェリンに笑顔を向けた。
ツェリンも口角を上げる。
「ありがとう・・・
で、なんで急いでたんだい?」
ペマは荷物からカップを取り出し、
バター茶を作る準備をする。
火を起こし、荷にぶら下がった小さな鍋を外して火にかけ、
水を注いだ。
高地なので、水はすぐ小さな泡を立てた。
ペマは火を見つめながら言った。
「ドローンだよ。」
「え? い、いるの?」
ツェリンは驚いて周りを見回す。
だが、まだ世界は闇の中だった。
ドローンは闇に隠れるのがうまい。
見つかるはずがなかった。
見えるのは、かすかに明るくなってきた空に照らされる、
茶色い山の斜面と岩ばかりだった。
「たぶん、いる。
いつも監視してるから・・・」
そう言いながら火を止める。
バター茶を完成させて二つのカップに注ぎ、
一つをツェリンに渡した。
「・・・ありがと・・・
監視って・・・本当なの?」
受け取ったバター茶を両手で包んで、尋ねた。
「本当だよ。 いつもどっかにいる。」
そう言って、バター茶をすすった。
ツェリンもバター茶をすする。
バター茶の塩に、一旦“うわっ”という顔をするが、その次は普通にくいっと飲めた。
ツェリンは口元をバターの脂でテカテカさせながら、質問する。
「見てるだけ? 襲ってこないの?」
ペマは少し空を見る。
東の空の青が、次第に真上まで広がってきていた。
そして、西へ向かって青から黒へのグラデーションで染まっている。
目線をツェリンに戻す。
「理由は分からないけど、見てるだけ・・・
村でも私は襲われなかった・・・
動画の、あの距離でも攻撃されなかった。
あの距離なら、ジョーは殺さないで私だけ殺せたはず・・・」
バター茶を飲み干すツェリン。
「・・・それは確かにおかしいね・・・」
ツェリンはペマのカップを受け取ると、近くの雪まで移動してきれいにする。
そこにジョーが馬たちを連れて帰ってくる。
ペマは手綱を受け取り、尋ねる。
「ドローンの気配はある?」
ジョーは尻尾を振ってこたえる。
「そう・・・よかった・・・被害出さなくて・・・」
ペマは地図を広げる。
GPSで位置を確認した。
「天文台から直線距離で7.5キロぐらい進めたね・・・
結構蛇行してたから約10キロかな?」
「感覚的には、そんなもんだね。 天文台を出て1時間ぐらいだよ。」
ペマは自分の腕に巻かれた時計を確認する。
時間は7時30分を過ぎていた。
日の出まであと約1時間。
西の空にも、夜明けの青が広がり始めていた。
「今日はどうする?
道程は30キロってなってるけど・・・」
「天文台で2日過ごしたから、本当は距離伸ばしたいところだけど・・・
アミットのおっちゃんとの約束だからな~」
そう言いながら、頭を掻いた。
「予定通り、アミットのおっちゃんが指定した辺りで・・・
キャンプかな~」
「オッケー、あと約20キロを10時間程度の道程になる。
今日は、あとはかなり楽だよ。」
そんな時、すぐそばで地面に伏せていたジョーが、首を持ち上げる。
耳をぴくぴくと動かし、後頭部の方へ耳が移動する。
その動きにペマが気づき、一度ジョーを見る。
視線を確認し、その方向を目を細めて見つめた。
「・・・いた。」
その言葉にツェリンが反応する。
「え? なにが?」
無言で、左手で空をゆっくりと指す。
雲一つない真っ青な空に、1点のシミがあった。
ツェリンが指の指す方向を見つめる。
青い空に浮かぶ黒い点は、すぐに見つかった。
空に静止し、何をしているのかはわからない。
だが、ツェリンは視線を感じた。
まだ空気は寒いはずなのに、体中から汗が噴き出た。
「あ、あれが・・・あのドローン・・・」




