三日目の朝
アーク7のスタッフを迎え入れたフィリップは、レオンと共に管制室へ戻ってきた。
戻るなり、通信を担当していたケンが近寄ってきて報告する。
「コマンダー、つい先ほど“アリ天文台”より連絡がありました。」
「内容は?」
ケンは手にしたタブレットを確認しながら答えた。
「例の動画の件ですね・・・。
――えーっと、ツォモリリで撮影した動画の運搬を行うとのことです。」
「なに? 見せてみろ。」
フィリップはタブレットをのぞき込むように身を傾ける。
ケンはタブレットを回し、フィリップの正面へ向けた。
フィリップは、最初はそのまま読もうとしたが、タブレットを手に取り、目を走らせた。
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10月11日 報告書
件名:ツォモリリ発・動画物理輸送について
1.発信元
アリ天文台よりシャックルトン基地へ。
2.概要
10月8日、ツォモリリよりアリ天文台へ連絡あり。
内容は、例の動画データをアリ天文台へ 馬による物理輸送 で搬送するというもの。
3.出発情報
出発日:10月10日
担当者:ペマ・ビスト
※前回の実証テストを担当した人物と同一。
4.到着予定
到着見込み:10日~12日後
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報告書を読んだフィリップがケンに尋ねた。
「このペマ・ビストというのは誰なんだ?」
「アリ天文台は分からないみたいです。」
「前回の報告書はどんな内容だったか?」
レオンが自分のタブレットを操作し、前回の報告書を表示してみせる。
「これですね。」
フィリップが目を通す。
「詳しくは書いてないか・・・」
フィリップは顎からもみあげにかけて、無精ひげを何度もなでる。
「どうかしましたか?」
レオンが尋ねると、フィリップは手の動きを止め、もみあげのあたりに指を触れたまま答える。
「いや、ドローンと接近遭遇して、死の恐怖も味わったはずなのに・・・
それを乗り越え、自分自身で長距離を運搬するとは・・・
すごい精神力を持った人物だなと思ってな。」
「なるほど・・・確かに・・・」
レオンとケンが頷く。
「何事もなく“無事に到着すること”を祈ることしかできないとは・・・」
フィリップはモニターに小さく映る青い星を見つめた。
―――
冷たい風が流れる高原地帯。
ごつごつとした岩が雑然と並び、十月中旬に差し掛かった高原には、
まばらに背の低い草原が広がっていた。
その中を、車が通れるように整地された一本の道が走っている。
その道を、ペマが率いる馬二頭と犬が、ゆっくりと進んでいた。
ペマが旅立って二日が過ぎていた。
車が走れるように舗装された道は、歩くにも問題のない緩やかな傾斜が続いている。
道路は山の起伏を避けるように伸び、右手には川が流れていた。
川岸は凍りつき、中央では砕けた氷がゆっくりと流れていく。
その道を、ソナムの足並みに合わせて全員が進んでいく。
山を回り込んだところで、建物が見えた。
ソナムの背に地図を広げて確認する。
ちょうど右手に、チュムルというヘリポートがある地点だった。
ヘリポートの整備員が住むための建物があったが、人影はなかった。
地図に記されたルートでは、ここから道が北へ向きを変える。
氷の張った川に架かる橋を渡り、進路を北へと変えた。
道は対面の山のふもとへ向かって伸びている。
その先は、高原の荒涼とした痩せた土地をまっすぐに貫いていた。
ペマの旅としては効率が悪い。いったん南東へ下った道が、ここで北上する。
川を渡って直進すれば距離は短いはずだが、アミットの地図には道路だけのルートが記されていた。
冬が来るこの季節、湿地帯は危険と判断したのだろう。
その判断は、確かにソナムやプンツォの足に優しさと安定を与えていた。
道の舗装はなくなり、未舗装の道へと変わっていた。
だが、車によって踏み固められた道は、足を取られることもなく、安定して歩けた。
高原の緩やかな谷間を通り、道は徐々に標高を上げていく。
時折吹く冷たい風が、ペマと三匹に吹きつけた。
一人と三頭の息は真っ白になって風になびく。
「ここまでは、ずっと緩やかな登りだね。
アミットのおっちゃんの地図だと、この谷の途中が今日のキャンプ地だ。」
ペマは今の状況を口に出した。
話す相手はいない。
ジョーに話しても、続くような内容ではなかった。
時折、ジョーが立ち止まり、一点を凝視することがあった。
ペマはそれに気づき、ソナムを止めて確認する。
「ジョー、どうかした?」
ペマはジョーの視線の先を追った。
山の稜線近くに、黒い点が見えた。
「ドローン・・・監視してるのか?」
ペマの表情が硬くなる。
そのとき、ジョーが振り返り、軽く吠えた。
ペマがジョーを見ると、しっぽを振っている。
「わかった。大丈夫なんだね。」
ペマはソナムの歩を進ませた。
―――
太陽はゆっくりと傾き始めた。
時間を確認すると3時前だった。
「今日はこの辺までかな・・・」
ペマは辺りを見回す。
テントを張るのにいいくぼ地を見つけた。
「あそこがいいね。」
ペマはソナムを止めると、背を降りる。
そして、手綱をひきつつ、見つけたくぼ地へと近づくと、
ソナムの手綱を放しプンツォへと近づき、背の荷物を解いていく。
ペマは荷を下ろすと、テントの袋を開いた。
冷たい風が布を揺らし、ぱさりと地面に広がる。
四隅を押さえ、ペグを打ち込む。
凍った地面に金属が当たり、乾いた音が響いた。
ポールを通して立ち上げると、布が風を受けてふくらむ。
ペマは形を整え、入口のジッパーを軽く引いた。
「よし・・・」
テントは夕日の中で静かに立っていた。
ペマはストーブに火をつけ、金属カップに近くにあった雪を入れて火にかけた。
青い炎が揺れ、雪はじゅっと音を立てて溶けていく。
湯気が立ち始めると、ペマは腰を下ろし、義足の留め具に手を伸ばした。
休憩は挟んだとはいえ、長時間、鞍に体重を預けていたせいで、
断端の付け根がじんわりと熱を持っている。
留め具を外すと、義足がわずかに軋んで抜けた。
冷たい空気が断端に触れ、ぴりりとした感覚が走る。
温まった布を湯から取り出し、軽く絞る。
蒸気が指先を包んだ。
「ほぉぅ~~・・・」
ペマは断端をそっと押し当てるように拭いた。
鞍との接触で赤くなった部分を確かめながら、ゆっくりと息を吐く。
「・・・今日もよく耐えてくれたね。」
布を替え、もう一度温めて当てる。
高地の空気の中で、湯気だけが静かに立ちのぼっていた。
ペマは片足で立ち上がり、ぴょんぴょんと移動する。
くぼ地の壁に手をつきながら荷に近づき、ウマたちの食事を取り出した。
ソナムはじっと見ているだけだったが、
プンツォは口を広げて歯を見せ、軽く嘶いた。
首を上下に振り、早くくれとせかしている。
その様子を見たジョーが近づき、前足を軽く噛んだ。
プンツォは後ろ脚で蹴り返したが、ジョーはひょいと避ける。
当たらなかったことに腹を立てたのか、プンツォがジョーを睨んで歯を見せる。
ジョーは首を振ってよだれを飛ばし、ゆっくりと口を開けて舌を出した。
ペマは思わず笑った。
「あははは・・・ジョー、あんまりプンツォをいじめないでね。」
そう言いながら、二頭の餌を少し離して地面に置いた。
ソナムとプンツォは、静かに食事を始めた。
ペマは二頭のあいだに立ち、首の付け根をこすりながらやさしく声をかける。
「今日もおつかれ。ゆっくり休んで。」
それからテントへ戻り、ジョーと自分の食事を用意した。
テントの中に体を入れ、夕日を見ながら食事をとる。
左側に地図を広げ、GPS機器のスイッチを入れる。
自分の座標と、アミットが地図に記したバツ印を比較する。
「よし、アミットのおっちゃんの予定よりは先に来てるな。」
GPSのスイッチを切る。太陽光パネルはあるが、電池は大事だ。
横を向けていた体を戻し、熱々のスープをすする。
太陽が稜線へと落ちていく。
ペマの顔に映った真っ赤な光の筋がフッと消え、淡い光へと変わる。
「また明日。」
東の空から闇が迫ってくる。
ペマは食器を雪で洗い、荷物の中に片づける。
片足で立ち上がり、東の空を見つめた。
ジョーが右側にやってきて、同じ空を見つめる。
ペマはジョーの耳の後ろをもむように掻く。
ジョーは気持ちよさそうな顔になって、顔をペマに擦り付ける。
そこに冷たい風が流れてくる。
ペマは体をブルッとさせ、左手を地面につけ、テントへと尺取虫のように入っていった。
ジョーがその後をついてテントへ入った。
―――
満点の星空の下、その星がときおり瞬いた。
何かが星の光を遮っているのだろう。
テントの中で、ペマとジョーは身を寄せ合いながら眠っていた。
ペマは寝袋に入っているが、その横に寄り添うジョーの体温がとても暖かい。
ジョーが何かに気づき、頭を持ち上げる。
目だけを動かし、音のする方へ顔を向けたまま、じっと動かなくなった。
しばらくして緊張が抜ける。
ジョーは一度、寝袋から顔を出しているペマを確認し、
そのまま寝袋の腹のあたりに頭をのせ、大きく息を吐いて目を閉じた。
―――
夜の冷気が少しずつ薄れ、テントの布が淡い光を透かし始めた。
外で風が雪面をなでる音がする。
ジョーが先に目を覚まし、鼻先をペマの頬にくっつける。
鼻先の冷たさにペマは「ヒャッ!」と声を上げ、目を覚ます。
「ジョー、その起こし方やめろ。」
寝袋のジッパーを開け、上半身を腹筋だけで起こす。
「よっ。」
テントの入口を少し開けると、白い息がふわりと外へ流れていく。
外は薄い金色の光に包まれていた。
東の空が明るみ、西側に広がる山の稜線を照らしている。
雪をかぶった岩肌が、朝日を反射し輝いていた。
ジョーが外へ出て、軽く身震いする。
その動きに合わせて、白い息がふわっと散った。
ペマもテントから這い出し、片足で立ち上がる。
冷えた空気が肺に入り、胸の奥がきゅっと締まる。
「今日も・・・行けそうだな。」
ソナムとプンツォは、すでに目を覚ましていた。
二頭とも静かに立ち、ペマの方を見て鼻息を白くしている。
ペマは彼らの首を順に撫で、軽く声をかけた。
「おはよう。今日も頼むよ。」
高原の朝は静かだった。
風の音と、三匹の白い息だけが、ゆっくりと空へ溶けていった。
「ジョー、ソナムとプンツォに食事取らせてきて。」
そう言うと、ジョーはソナムの手綱をピケットから器用に外し、その手綱を咥えて近くの草が生えている場所へ連れて行く。
ペマはその間に朝食を作り始める。
高地での活動は基礎代謝が上がる。そのため、朝食はとにかく大事だ。
ラーモが用意してくれたツァンパ(焙煎大麦粉)を荷の中から取り出す。
バターを切り、火にかけ、茶葉と塩を放り込む。
ヤクのジャーキーをいくつか取り出す。
そこにジョーが戻ってくる。
「あれ? ソナムとプンツォは?」
目の前にジョーがいるので、体を左右に振って、ジョーの向こう側を見る。
向こうで草を食んでいるソナムとプンツォ。
プンツォがどこかへ行こうとするが、ソナムに繋がれた手綱がそれを阻止する。
あきらめ、近くの草を食み始めた。
その様子を見て、ペマは笑った。
「あはは、ソナムだったら大丈夫だね。」
そう言って、ジョーにジャーキーを渡す。
ジョーは美味そうに食べ始める。
ペマもジャーキーを口に入れ、嚙み切る。
そして、熱々のバター茶をすする。
ツァンパをちぎり、バター茶につけ、口へと運び、しっかりとかみしめていく。
「さあ、ジョー! 今日も頑張ろうか!」
そう言って義足を着けていく。
立ち上がって、テントや食器を片付けていく。
ワォン!
ジョーが一つ吠えた。
気づいたソナムがプンツォを引き連れて戻ってくる。
ペマは荷のバランスを整え、プンツォの背に乗せていく。
プンツォは嫌がるように首を振ろうとしたが、ジョーが手綱を咥えており、何もできなかった。
プンツォはジョーに鼻息を吹きかけるように大きく息を吐くが、山から吹き下ろす風に流されていく。
ジョーはそれを見て目を細める。
その目を見て、プンツォは頭を細かく上下左右に動かした。
「プンツォ、何やってんだよ。結べないだろ!」
そう言って、胸のあたりをポンポンと叩いた。
―――
ペマはソナムの鐙に左足をかけて鞍に乗る。
もう、前のような不安定さなんてない。
ジョーも安心したように右側から見上げている。
ペマはソナムの首に頭を近づける。
「ソナム。今日もよろしくね!」
そう言って、ソナムの首をなでた。
「さあ、行こう!! まだ三日目だ!!」
一人と三匹は二日目のキャンプ地をあとにした。
両サイドの緩やかな山の谷間に、道はまっすぐに伸びていた。




