地球と月が繋がる時
――10月11日 NRHO・月北極上空
アレクセイは、小さな窓から近づいてくる月をのぞき込んでいた。
アーク7はルナ・ホークにドッキングしたあと、NRHOを一周して戻ってきている。
「そろそろアーク7とお別れだな・・・」
「センチモードですか? 船長。」
エカテリーナが尋ねた。
「感慨深いよ。 10日ほど付き合ったからな。」
そう言ってアレクセイは、円錐形の操縦室に手を触れた。
「よし、機体維持モードへ移行させろ。」
エカテリーナはいくつかのスイッチをオフにしていく。
船内の灯りが消え、パネルの色のついたスイッチやモニターだけが淡く光った。
「機体維持モードへ移行終了。」
「ルナ・ホークへ移ろう。
アーク7は帰還船として、NRHOを周回するだけだ。」
「はい。」
二人は船同士をつなぐトンネルを抜け、ルナ・ホーク側からハッチを閉めた。
―――
アレクセイがルナ・ホークに移ると、イリーナに指示を出す。
「シャックルトンとは、問題なくつながっているか?」
「はい。 普通に電波通信ができてます。」
「よし、これからルナ・ホークで着陸シーケンスに入ると伝えろ。」
「了解。」
「こちらルナ・ホーク。 シャックルトン応答願います。」
(こちらシャックルトン基地。 ルナ・ホーク、そろそろか?)
「はい。 これから着陸シーケンスへ入ります。」
(了解。 こちらも受け入れ準備に入る。)
―――
アレクセイは操縦席に座り、固定ベルトを締める。
エカテリーナは航法席、イリーナは通信席に着く。
後方ではアンドレイ、ドミトリー、ナタリアが静かに席についた。
「エカテリーナ、ドッキングロックの状態を。」
「ロック、全点正常。切り離し可能です。」
アレクセイは切り離しレバーに手をかけた。
「切り離し、実行。」
わずかな衝撃が船体を揺らし、ルナ・ホークはアーク7から静かに離れていった。
「分離確認。」とエカテリーナ。
アレクセイは前方の計器に目を向けた。
「エカテリーナ、降下軌道に入る準備。」
「了解。 姿勢制御、ピッチマイナス二度推奨。
降下角、予定値内。」
「ピッチ、マイナス二度。」
アレクセイが姿勢制御スティックを操作する。
船体がわずかに傾き、内部の空気が震えた。
「姿勢、安定。」とエカテリーナ。
「降下エンジン、点火する。」
スイッチが押され、床下から低い振動が伝わる。
背中がシートに沈み、船体が後ろから押し上げられたように感じられた。
「推力、安定。」とエカテリーナ。
「・・・降下開始だ。」
ルナ・ホークはNRHOの軌道を離れ、月面へ向けて静かに落ちていった。
―――シャックルトン基地・管制室
管制室のクルーがモニターを見ながら報告する。
「ルナ・ホーク、アーク7との分離確認。」
「わかった。 このまま監視を維持。」
フィリップはモニターに映るルナ・ホークを見ながら答えた。
隣に立っているレオンが話す。
「いよいよご対面ですね・・・」
「そうだな。
ルナ・ホークはこれまで何度も運用しているが、やはり緊張するな。」
「コマンダーでもそうなんですか?
管制室でじっくり着陸見るのは初めてなので、自分だけかと思いました。」
「命を預かる身としてはそういうもんだよ。」
「なるほど。」
レオンはそう言って目を伏せた。
フィリップは視線をモニターに戻す。
降下中のルナ・ホークの軌道データが、淡々と更新されていく。
「降下速度、予定値内。」
管制席の一人が読み上げる。
「姿勢制御、安定。」
別のクルーが続けた。
レオンが小さく息をつく。
「・・・順調ですね。」
「順調なときほど気を抜くな。」
フィリップは短く言った。
「月面着陸は最後の数十メートルが一番危ない。」
「はい。」
モニターには、ルナ・ホークの下方カメラ映像が映し出されていた。
シャックルトンの縁が、ゆっくりと画面の端を流れていく。
「着陸予定地点の照度は?」
フィリップが尋ねる。
「現在、太陽角度は安定。視認性に問題ありません。」
クルーが即答した。
「受け入れ班の状況は?」
フィリップはさらに確認する。
「外部エアロック前で待機中。気圧調整完了。
いつでも出られます。」
フィリップは小さくうなずいた。
「・・・あとは、ルナ・ホークが無事に降りてくるだけだ。」
レオンはその言葉に、わずかに表情を引き締めた。
「コマンダー、ルナ・ホークからテレメトリ更新。
降下エンジン、推力安定を維持しています。」
「了解。」
フィリップは腕を組み、画面を見つめ続けた。
管制室には、機器の電子音だけが静かに響いていた。
誰も余計なことは言わない。
全員が、ただ一点――
月面へ向かう白い機体の行方に集中していた。
―――
ルナ・ホーク内。
エンジンのうなりが船内を揺らす。
「高度300」
エカテリーナの声が少し低くなる。
アレクセイは操縦桿を握り直し、モニターに映る月面を凝視した。
地表がまだ下から上へと流れている。
「速度、安定。」
「姿勢制御、正常。」
後方席のアンドレイが息を呑む。
「・・・ここからが勝負だ。」
アレクセイは短くうなずいた。
「高度200」
エカテリーナが読み上げる。
モニターに映る月面の移動が徐々に遅くなる。
「地表との対地速度ゼロになりました。
着地予定地点、誤差フタ!」
「よし、このままでいい!
垂直降下に入る。 着陸アーム展開。」
「了解。 アーム展開します。」
エカテリーナがスイッチを押す。
ゴンゴゴン!
船内にアームが動き出す音が響いた。
「着陸アーム、ロック確認。」
「よし。」
アレクセイは呼吸を整え、
降下エンジンの振動を指先で感じ取りながらスロットルを調整した。
「高度、100・・・70・・・50。」
下方カメラが白く霞む。
月面ダストが巻き上がり、視界を奪っていく。
「・・・視界、ダストでゼロです。」
イリーナが報告する。
「大丈夫だ、問題ない。 計器が地表を感知してる。」
ダストで白くなった映像の上に表示される数値を、アレクセイは睨んだ。
「高度、20・・・15・・・10。」
船体がわずかに揺れ、
エンジンの音が低く重く響く。
「5・・・3・・・2・・・」
アレクセイはスロットルを静かに引き、
降下エンジンの出力を最小に抑えた。
「1」
わずかな衝撃が、船体全体を包む。
「着地確認。」
エカテリーナの声が静かに落ちた。
アレクセイは息を吐き、エンジンを停止させる。
船内に響いていた音がゆっくりと消えていく。
「ルナ・ホーク、月面着陸完了。」
船内に静寂が戻ると、誰もがしばらく動けなかった。
アレクセイがヘルメット越しに深く息を吐く。
イリーナが計器を確認しながらうなずく。
「機体、安定。――すべて問題なし。」
アレクセイはゆっくりと手を操縦桿から離した。
「到着だ。」
そう言って、ベルトを外した。
モニターには、シャックルトン基地の宇宙服を着た作業員が大きく映し出される。
ルナ・ホーク内に、その作業員の回線が開いた。
(ヒューゥッ! シャックルトンへようこそ。オレは作業班のサムだぜ!)
そう言って、サムは大きく手を振っている。
「船長のアレクセイだ。無事に会えてうれしいよ。」
「わはは、さすがNASAだ。陽気なやつがいるな。」
ドミトリーが笑う。
「NOBUNAGAの恐怖がどっか行っちゃいそうね。」とイリーナ。
「まったくだ。」とアンドレイが続けた。
「ふふふ・・・」
エカテリーナとナタリアは嬉しそうに笑い、ハイタッチを交わす。
「さあ、降りるぞ。」
―――
月面に巨大な円柱の船体が立っている。
高さは約20メートル、直径は10メートル。
旧型の着陸船は貨物区画と一体構造だったため、今よりもはるかに巨大だった。
現行のルナ・ホークでは貨物区画が別の貨物船として分離され、小型化されたが、
それでも着陸船としては十分に大きい。
エアロックのランプが赤からグリーンに変わる。
扉が開き、6人のクルーが外へと姿を現した。
外部エレベーターにはサムが乗っている。
6人とこぶしを合わせたあと、サムが操作パネルを押す。
エレベーターは船体に沿って、ゆっくりと下へ降りていく。
イリーナが下方に気づき、他の5人に合図した。
全員がエレベーターから顔を出し、下をのぞき込む。
着陸船の周囲にはシャックルトンの作業クルーが10名ほど集まり、全員が手を振っている。
エレベーターが最下部に到達し、停止した。
イリーナが最初にジャンプして飛び出す。
ふわりと浮かび、月面に着地すると、アーク7のクルーは「おお~」と声を上げた。
続いて全員が次々とジャンプする。
緩やかな弧を描きながら地面に着地していく。
サムは彼らの行動を見て、“自分もやったな”と思い出して笑った。
「ようこそ! 月面へ!」
作業員たちが拍手している。
「こっちだ!」
サムが手で招き、エアロックへと先導する。
6人はサムの後ろについていき、そのままエアロックに入った。
サムがパネルを操作すると、エアロックに空気が注入されていく。
次第にエア注入音が響き始めた。
部屋の照明が赤から白へと変わり、
圧が基地内と一致したことを示すサインが点灯する。
内扉がゴン、ゴゴン!と音を立てて開いた。
エアロックの内側は、宇宙服の脱着スペースになっている。
全員が宇宙服を脱ぎ、青いツナギ姿になった。
基地の内扉がシュッとスライドする。
そこには多くのシャックルトンのクルーと、フィリップたちが並んでいた。
フィリップは一歩前に出て言った。
「シャックルトンのコマンダー、アンダーソンだ。
たくさんの物資を届けてくれて感謝する。月基地は君たちを歓迎する!」
アレクセイは敬礼し、口を開く。
「船長のアレクセイです。
コマンダー・アンダーソン、出迎えありがとうございます。」
フィリップが手を差し出すと、アレクセイは敬礼を解き、握手した。
この時、地球と月が物理的に繋がった。




