未来への第一歩
――10月5日 月・近直線ハロー軌道(NRHO)
アーク7は、灰色の月面を眼下に見ながら静かに軌道へ乗っていた。
姿勢制御スラスターが短く噴くたびに、船体がわずかに震える。
「相対速度、マイナス0.9。距離、1100メートル。」
航法士のエカテリーナが端末を見つめながら報告する。
アレクセイは窓の外に目を向けた。
月の北極が窓の外に広がっていた。
その影の中から、ゆっくりと銀色の船体が姿を現す。
無人着陸船。
ルナ・ホークは、月面基地のためにNRHOを単独で周回しながら、
クルーを迎え入れる時を静かに待っていた。
太陽光を受け、船体の縁が細く光った。
「・・・見えたな。」
アンドレイが小さくつぶやく。
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※補足:無人着陸船について
《ルナ・ホーク》は、月面基地と地球軌道を往復するために設計された
無人自律型の着陸船である。
月面基地の運用では、
地球から直接着陸船を送り込むのは燃料効率が悪く、
また打ち上げのたびに着陸船を使い捨てることは現実的ではない。
そのため、月周回軌道上に
「常駐する着陸船」 を置き、
地球から来た補給船がそこへドッキングし、
クルーが乗り換えて月面へ降下する方式が採用されている。
ルナ・ホークが無人である理由は三つある。
1.安全性の確保
月面基地の状況や着陸地点の環境は常に変化するため、
着陸船は地上からの遠隔制御と自律航法で運用される。
乗員を乗せたまま軌道上で待機させるのは危険が大きい。
2.運用効率
着陸船は月面と軌道を往復するたびに整備が必要になる。
無人化することで、軌道上での待機時間を長くでき、
クルーの負担を減らすことができる。
3.燃料と質量の最適化
人間を乗せるための生命維持装置や居住区を省くことで、
着陸船の質量を大幅に削減できる。
その分、安全マージンを増やせる。
ルナ・ホークは、
「地球から来た船を迎え、月面へ送り届けるための“シャトル”」
として機能している。
そのため、アーク7のクルーは
月周回軌道でルナ・ホークへ乗り換え、
そこから月面基地へと降下する。
―――――――――――――――――――
「よし、物資区画の分離。 先行して着陸させろ。」
「了解。 物資区画を分離します。」
エカテリーナが答え、スイッチを押す。
ゴゴンッ!
船内に音が響いた。
モニターに映る船尾のカメラが離れていく物資区画を映している。
「分離成功。 無事に自動航行に入りました。」
「よし、一番の仕事はこれで終わったな。」
アレクセイは、エカテリーナの肩をポンと叩く。
「よし、次は我々のドッキングシーケンスだ。」
再び小さな窓に顔を近づけ、ルナ・ホークを見つめる。
ルナ・ホークは先ほどより大きく見えた。
ルナ・ホークは無人のはずだが、
その静止した姿には、どこか“待っていた”ような気配があった。
「ルナ・ホークより誘導信号を受信。自動ドッキングポート、開放済みです。」
エカテリーナの声が静かに響く。
アレクセイは短く頷いた。
「こちらもドッキングモードへ移行する。
誘導信号をロック。」
「ロック完了。ルナ・ホークが接近姿勢に入ります。」
アーク7は姿勢を変えない。
スラスターの噴射音はなく、船体は静かに月面を見下ろしたままだ。
ルナ・ホークの側で微かな噴射光が瞬き、
ゆっくりとドッキングリングへ向けて位置を合わせていく。
「距離、300・・・200・・・」
船内の空気が張りつめる。
「相対速度、マイナス0.2。安定しています。」
アレクセイは手すりを握りしめた。
「・・・よし、そのまま来い。」
二つの船体が、月の静寂の中でゆっくりと近づいていく。
「50メートル・・・30・・・」
スラスターが短く噴き、ルナ・ホークの船体が微調整される。
「10メートル・・・5・・・」
金属同士が触れ合う、かすかな音。
「・・・接触。」
一瞬の静寂。
続いて、船体を包むように低い振動が走った。
「ドッキングリング、ロック作動・・・」
エカテリーナが息を止める。
「・・・ロック確認。気密シール、正常。」
アレクセイがゆっくりと目を閉じた。
「・・・ドッキング成功だ。」
船内に、抑えきれない安堵の息が広がる。
「無人船とはいえ・・・よくここまで待っていてくれたな。」
アンドレイが窓の外を見つめながらつぶやく。
「着陸シーケンスに入れる時間は?」
「――150時間後です。」
「よし、ルナ・ホークへ乗り換え作業するぞ。
時間はたっぷりある。
ルナ・ホークへの積載してある精密機器の移動をアンドレイ・ドミトリー・ナタリア
ルナ・ホーク側の機器の確認をエカテリーナ・イリーナでやってくれ。」
「了解。」
アーク7は静かに姿勢を保ち、月面へ降りる準備を始めた。
―――
その頃、月面基地では分離された貨物船の受け入れ準備が進んでいた。
「無事に物資が届いたな・・・」
フィリップが管制室で、モニターに映るアーク7の貨物船を見つめながら言った。
「これが無かったら、我々はあと数日で終わりでしたからね。
感慨深い・・・」
レオンが答える。
「しかし、よくNOBUNAGAが攻撃しませんでしたよね。」
通信機器の前にいたケンが振り返って口を開いた。
「そこはわからん・・・だが、我々にとっては朗報だ。
今後も物資を受け続けられるんだからな。
レオン、水耕栽培の状況は、今どうなっている?」
「ミラーの話だと、ギリギリだったみたいです。
早く収穫できる野菜を回転させるには、
スペースが限られているので大変だったみたいです。」
「ふむ・・・これで落ち着いて栽培が出来るようになるな。」
「はい。」
アーク7の貨物船が、シャックルトン基地へと静かに降りてくる。
スラスターで姿勢を制御しつつ、月の重力に引かれながら自由落下していた。
地表が近づくと、逆噴射が始まる。
白い噴煙が月面に広がり、落下速度がゆっくりと削られていく。
管制室のクルーが声を上げる。
「着陸船、アーム展開します。 着陸シーケンス開始。」
着陸船の下部から、月面に立つためのアームが4本せり出す。
「貨物船の速度低下中、50・・・40・・・30・・・25・・・20・・・」
基地内に緊張が走る。
モニターには逆噴射によってレゴリスが巻き上げられ、画面が真っ白になった。
「3・・・2・・・1・・・タッチダウン!
貨物船、着陸成功!」
貨物船の逆噴射が止まり、次第にモニターに貨物船の姿が見えるようになってくる。
管制室のクルーが拍手する。
フィリップは数回頷き、レオンを見る。
レオンも目線を合わせて頷いた。
月基地に続いていた長い緊張が、ようやくほどけた瞬間だった。
「よし! 作業班に物資の搬入を開始させろ。」
フィリップが管制室に指示を出す。
「了解!」
クルー全員が未来を信じ、力強く返答した。




