アーク7
――9月30日 カザフスタン・バイコヌール宇宙基地
夜明け前の空は、まだ深い群青色に沈んでいた。
風は弱く、乾いた大地をかすかに撫でていく。
その静けさの中心に、一本の白い塔――補給ロケットがそびえ立っていた。
発射台の照明が機体を照らし、銀白の外殻が冷たく光る。
サービスタワーのアームはすでに半分以上が外され、
残る数本が最後の点検を受けている。
管制室では、セルゲイが両手を組んだままモニターを見つめていた。
その表情は固い。
今日の打ち上げは、ただの補給ではない。
――人類が、まだ諦めていないという証明だ。
「コマンダー、天候データ更新。風速、問題なし。」
「燃料ライン、正常。」
「機体姿勢制御、グリーン。」
次々と報告が飛び交う。
だが、誰も声を張り上げない。
全員が“何か”を恐れている。
NOBUNAGAの迎撃。
空中母艦の出現。
そして、6人のクルーの命。
セルゲイはゆっくりと息を吸い、背後を振り返った。
そこには、宇宙服を着た6人――
アレクセイ、イリーナ、アンドレイ、ドミトリー、ナタリア、エカテリーナが並んでいた。
誰も震えていない。
誰も迷っていない。
ただ、前だけを見ていた。
「・・・準備はいいか?」
アレクセイがヘルメットを脇に抱えたまま、静かに答えた。
「いつでも。」
セルゲイは小さく頷き、胸ポケットの家族写真に触れた。
(・・・どうか、守ってくれ。)
「全員、発射台へ向かえ。」
6人は歩き出した。
ロケットの白い機体が、夜明け前の空にゆっくりと浮かび上がっていく。
―――
「クルーの乗り込み完了しました!!」
「整備班を退去させます!」
管制室に緊張が走った。
発射台のカメラ映像には、
白いロケットの足元から整備員たちが次々と離れていく姿が映っている。
最後の一人が梯子を駆け下り、地上へ飛び降りた瞬間――
「整備班、全員退避確認!」
「了解。サービスタワー、後退開始!」
巨大なサービスタワーが油圧音を響かせながらゆっくりと後退し、
鉄骨が軋む低い音が管制室の床まで震わせた。
「燃料ライン、切り離し準備。」
「姿勢制御、最終チェック入ります。」
スタッフたちの声は落ち着いているが、
その指先はわずかに震えていた。
セルゲイはモニターを見つめながら、
胸ポケットの家族写真にそっと触れた。
(・・・頼む。どうか、行かせてやってくれ。)
セルゲイは深く息を吸い、
ロケットの映像を見つめたままスタッフに伝える。
「これより、カウントダウンに入る。」
管制室の空気が一段と張りつめた。
「全員、持ち場につけ!」
スタッフたちが一斉に椅子へ滑り込み、
モニターの光が彼らの顔を青白く照らした。
カウントゼロの瞬間。
ロケットの白い機体が、夜明け前の空にゆっくりと浮かび上がっていく。
全員が祈るような気持ちで見つめた。
ロケットは徐々に速度を上げ、白い水蒸気を残しながら雲間を抜けていく。
雲を抜けた瞬間、雲がオレンジ色に薄く輝き、すぐに元の色へ戻った。
その時――
「ド、ドローンです!! ロケットの約2000メートル後方を飛んでいます!」
管制室内に衝撃が走った。
「なんだと!?」
セルゲイはスタッフの所へ駆け寄る。
周囲のスタッフも背を伸ばし、モニターを凝視した。
「どこだ?」
「ここです。」
黒い点がロケットの水蒸気を巻くようにして追随していた。
「やはり・・・来るのか・・・」
十数秒の緊張が続く。
ロケットの1段目が分離する。
「1段目分離成功!」
だが、誰も歓声を上げなかった。
「ド、ドローンが・・・離れていきます。」
セルゲイは思わずスタッフの肩をつかんだ。
「ほ、本当か・・・?」
「はい。距離が・・・どんどん開いていきます!」
管制室の空気が揺らいだ。
安堵とも困惑ともつかないざわめきが広がる。
「なぜだ・・・?」
セルゲイはロケット後方の黒い点を凝視した。
確かに、ドローンは追跡をやめ、
高度を落としながら離脱していく。
「攻撃しない・・・?
なぜ・・・?」
管制室が静まり返る。
(・・・見逃した?
いや、そんなはずはない。
NOBUNAGAが“理由もなく”攻撃をやめるわけがない。)
「ロケットの状況はどうだ?」
「第二段、燃焼安定! 速度上昇中!」
「姿勢制御、正常!」
「予定軌道に対して誤差ゼロ!」
良好な報告が続くが、誰も喜ばない。
セルゲイは背筋を伸ばし、静かに命じた。
「・・・外部監視レーダー、全周スキャンを続けろ。
“何か”が来る可能性はまだある。」
「了解!」
ロケットは黒い空へ向かって加速を続ける。
その尾に残る白い光跡だけが、
人類の希望を細く、まっすぐに描いていた。
―――
ロケットは無事に予定通りの軌道に投入が完了した。
NOBUNAGAの攻撃はなかった。
だが、NOBUNAGAの行動がセルゲイには納得できていなかった。
椅子に座って背もたれに力なく倒れ込む。
スタッフがマグカップを持ってくる。
「ありがとう・・・」
そのコーヒーを飲みながら、スタッフに尋ねた。
「どうしてだと思う?」
「は? 何がでしょう?」
「NOBUNAGAが攻撃しなかった理由だ。」
「・・・私にはなんとも・・・ただ・・・」
「ただ?」
「私には渦を巻きながら登る様子は、何かを観測しているように見えました。」
「観測・・・」
セルゲイはスタッフに指示して、ドローンが出現した映像を再生するように命令する。
「おい、発射の記録映像を出してくれ。」
映像を確認すると、ロケットが発射され、ドローンは北西の方からすぐにやってきていた。
「こんなに早く来てたのか・・・」
セルゲイの手がジワリと汗ばんだ。
そして、ロケットが残す水蒸気の筋をグルグルと周りながら、ロケットと同じ速度で追従してきていた。
「このドローンの機動力・・・すごいな・・・」
見ていたスタッフがつぶやく。
1段目が分離され、ドローンは落ちてくる1段目を避けると、そこで追尾を止めた。
「確かに観察しているようにも見えるな・・・
何を観察してた? ロケットの軌道か?」
―――
宇宙空間へ投入された補給船のクルーはベルトを外し、
無重力の中でお互い抱き合っていた。
「攻撃ありませんでしたね。」
「ああ・・・奇跡だ!」
安堵の笑いが漏れ、誰かがゆっくりと回転しながら天井へ浮かんでいく。
アレクセイが壁の手すりをつかみ、体勢を整えた。
「よし、このまま地球軌道を回りながら各部点検を行う。」
クルーたちは表情を引き締め、各自の端末へと手を伸ばした。
「あ、イリーナ! シャックルトンとの交信を試してくれ。
他はこのまま各部チェックを頼む」
「「「了解。」」」
イリーナは端末を操作し、通信ユニットの設定を切り替えた。
「レーザー通信アンテナ、展開開始・・・姿勢制御リンク、正常。
光学ロック、確立を試みます。」
船体後部のレーザー通信モジュールが外へせり出し、
微かな振動が船内に伝わる。
アレクセイが息を整えながら言う。
「妨害電波の影響は?」
「電波帯はまだノイズが強いですが・・・レーザーなら問題ありません。
これならシャックルトンに届きます。」
イリーナは細い指でキーを叩いた。
「こちら補給船《アーク7》。シャックルトン基地、応答願います。
レーザー通信リンク、送信開始。」
船内が静まり返る。
光学ロックが確立されるかどうか――
その一瞬に、全員の視線がイリーナの端末へ集まった。
「・・・反射信号、微弱ですが確認。再試行します。」
イリーナの声がわずかに震える。
「シャックルトン基地、こちらアーク7。応答願います。」
今度は、ノイズの奥に
“明確な光パルス”が返ってきた。
アレクセイが目を見開く。
「・・・来たか?」
(こちらシャックルトン基地。レーザーリンク良好。
そちらの天気はどうだ? 雲は薄いか?)
船内がドッと沸いた。
「聞こえた! 本当に繋がったぞ!」
イリーナは思わず口元を押さえ、笑いをこらえきれなかった。
「こちらアーク7。 こちらは雲一つない快晴よ。」
アレクセイが肩を震わせながら言う。
「宇宙に天気なんてないけどな。」
イリーナが軽く笑いながら返す。
「でも、言いたくなる気持ちはわかるわ。」
通信回線の向こうで、シャックルトン側の誰かが小さく吹き出す気配がした。
(了解。アーク7、信号強度安定。
こちらも受信状態は良好だ。
・・・無事で何よりだ。)
その最後の一言だけは、
ジョークではなく、
心の底からの安堵が滲んでいた。
「ありがとう。 会える日が楽しみだわ。」
船内の笑いが静まり、
クルーたちは互いに目を合わせた。
(月軌道上に着陸船が周回している。
5日後が楽しみだ。)
アレクセイがクルーに確認する。
「船に問題はないか?」
「こっちは問題なし。」
「こっちも問題ない。」
「大丈夫よ。」
アレクセイがゆっくりと頷く。
「・・・よし。月へ向かうぞ。
ここからが本番だ。」
無重力の中で、6人の視線が同じ一点へ向かう。
月。
シャックルトン。 人類希望の灯台へ――




