希望への接続
ケーブル敷設作業が始まって3時間が経過しようとしていた。
当初、問題が発生し、作業時間が4倍必要だと発覚したが、
作業人員の追加投入や、人員配置を見直したことで、大きなトラブルもなく遅れを取り戻すことができていた。
ケーブルの敷設作業は滞りなく、ゆっくりだが進んでいた。
現在の作業状況は、600m地点までは完全に終わり、
900mまでの区間が約60%終了していた。
管制室にレオンからコールが入る。
(レオンです。 2班がもう限界です。 一度基地に戻らせます。 オーバー。)
「了解した。」
フィリップは短く返事をすると、すぐに周囲のスタッフへ視線を走らせた。
「2班、帰還ルートを確保しろ。
戻り次第、冷却と補給を最優先だ。」
トーマスが端末を確認しながら言う。
「・・・三時間ぶっ通しですからね。
作業の途中、定期的に休憩は入れてましたが、
600m区間を終わらせた時点で、もう限界だったはずです。」
外の様子を映している画面の中では、2班の4人がゆっくりと斜面を下っていた。
足取りは重く、姿勢も不安定だ。
宇宙服の冷却システムが追いつかず、
呼吸音が無線越しに荒く響いている。
(はあ・・・こちら2班・・・はぁ・・・600から650・・・
斜面の下りに入ります・・・オーバー・・・)
声が震えていた。 疲労だけではない。
低重力の斜面でふらつけば、そのまま滑落する危険がある。
フィリップは静かに息を吸い込んだ。
「2班、急ぐな。 ゆっくりでいい。」
無線の向こうで、
かすかに「了解・・・」という声が返ってきた。
フィリップは再びモニターに映る作業ラインをじっと見つめた。
「無理をさせるわけにはいかん。
戻した分は、合流した3班と他の作業班で埋める。 レオンの判断を優先しろ。」
――
ハワードは、3班の砂塵監視の任務を引き継ぎ、ケーブルを敷設している場所よりも高い位置で砂塵を監視していた。
上から作業を見て、改めて自分のミスに冷や汗が滲む。
人間は機械のようなコマではない。
そして、月の重力下での作業の困難さをなめていた。
人力作業をしたことがないハワードには、それがすっかり落ちていた。
「私は、なんてミスを犯してしまったんだ。
自分が作ったスケジュールで作業していたら、絶対事故になっていた・・・」
現場指示を出すレオンを見る。
「この作業が終わったら、彼に謝らなくては・・・そして、外での作業を学ばせてもらおう。」
そんな時、ハワードのスーツの視界の端で何かがうごめくのが見えた。
ハワードは視界の端で揺れた影を追い、ゆっくりと顔を向けた。
「・・・砂塵・・・?」
砂塵は、帯電と電場の変化で動く。
月の砂塵は太陽光や宇宙線を浴びる事で強く帯電する性質を持っている。
基地には、激しい砂塵や弱い砂塵を常に受けている。
その為、パネルの掃除は基本業務の一部になっている。
太陽光の角度が変わる時間帯。
帯電したレゴリスがふわりと浮き上がり、斜面をゆっくりと流れ始めていた。
月面では珍しくない現象だが、作業中には厄介だ。 ハワードはすぐに無線を開く。
「こちらへやってくる砂塵が発生。
斜面上部から砂塵が流れています。
視界が悪くなる可能性あり。
各自、対応を準備してください。」
言い終えるより早く、砂塵がハワードの周囲にも降りてきた。
細かな粒子がバイザーに貼りつき、光を乱反射させる。
足元のレゴリスが見えない。
自分がどの角度で立っているのかすら分からなくなる。
「・・・これは、すごいな・・・
経験しないと、この砂塵の厄介さは分からない・・・
作業班の仕事の大変さを全く理解していなかった・・・」
ハワードは自身のうかつさや早計さを噛みしめた。
その時、レオンの声が無線に響く
「作業停止。
砂塵が収まるまで各自その場で休憩を取れ。
視界が戻るまで動くな。」
作業員たちの短い返答が続き、 斜面の上も下も、静かに砂塵の流れに包まれていった。
――
フィリップとトーマスはモニターを見つめている。
砂塵は収まらず、作業が進まない時間が30分以上続いていた。
「おさまらんな・・・。」
トーマスがモニターを見て、つぶやいた。
他の仕事をして、時間を経過させても、モニターには砂塵で何も見えない状態が続いており、イライラが募っているのが分かった。
トーマスが口を開いた。
「マズいですね・・・砂塵が太陽光パネルに付着しているようで、発電量が下がっています。 このままだと、バッテリーに充電できる余力が減少してしまいます。」
「どうする?」
「作業班の一部を・・・パネル清掃に割り振るしか・・・」
砂塵は、帯電と電場の変化で動く。
月の砂塵は、太陽光や宇宙線を浴びる事で強く帯電する性質を持っている。
基地には、“激しい砂塵”から“弱い砂塵”まで、常に受けている。
その為、パネルの掃除は、毎日の基本業務の一部となっていた。
「・・・戻すのは仕方ないな。」
フィリップが、ため息を押し殺すように低く言った。
トーマスは苦い顔で頷く。
「早く収まってほしい物です・・・」
それから10分ほどして、ようやく白い幕が薄れ始めた。
レオンは足元のケーブルが見えるのを確認し、無線を開く。
「レオンだ。 砂塵が収まってきた。
視界が戻った者から、作業に戻ってくれ。」
「了解。」
短い返答がいくつも続く。
40分休憩できたおかげなのか、意外にも声には張りがあった。
その直後、管制室からレオンに呼びかけが入った。
(レオン、聞こえるか? トーマスだ。)
「聞こえている。」
(太陽光パネルが砂塵で覆われている。 発電量が落ちた。
1チーム、清掃に回してくれ。 メンバーは任せる。)
「・・・・・・了解。」
無線を切ったレオンは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「これで、また遅れる・・・40分の作業停止に、作業員の減少・・・
何も起きなければいいんだが・・・」
その予感は、残念ながら的中した。
作業は結局、10時間に及んだ。
ケーブルは無事に接続され、バッテリーへの電圧もわずかに上昇した。
だが――追加した太陽光パネルが生み出せるエネルギーは、
失われた時間を取り戻すには、あまりにも小さかった。
達成感は確かにあった。
しかし管制室には、それを上回る焦燥が静かに沈殿していた。
「・・・86%です。」
トーマスが、フィリップの前に立ち、弱弱しく言った。
「ん?」
「現在、バッテリーに回している余力量で、夜が来るまでに充電できる見込みですが・・・ 計算上・・・86%が限界です。」
「86か・・・足らんな・・・」
フィリップは椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。
肩がわずかに落ちる。
「節電では1~2%しか節約できないんだったな?」
「はい。 それを踏まえると89%以上は必要かと。」
フィリップは静かに目を閉じた。
「3%・・・なにか・・・なにか、方法はないものか・・・
マーカスは・・・何か言ってないのか?」
トーマスは首を振る。
「今の所は何も・・・」
じわじわと絶望が押し寄せてくる感覚を二人は感じていた。
「・・・よし。基地全員に通達しろ。
そして――皆で何かを考えるんだ。」
「はい。」
その返事は小さかったが、管制室の空気に、わずかながら“動き”が戻った。
――クルーラウンジ
クルーラウンジは、基地内の食堂のような場所だ。
食事だけでなく、休憩や情報共有、軽い打ち合わせにも使われる、
クルーたちの“生活の中心”となるスペースだった。
そのクルーラウンジは今、絶望的な数字を知らされたクルーたちが集まり、
沈黙の中で黙々と食事をとっていた。
誰も会話をしない。 会話をしても続かない。
スプーンが容器に触れる小さな音だけが、 静まり返った空間に淡々と響いていた。
サムとリードがクルーラウンジに入ってくる。
サムは空気の重さに思わず顔をしかめた。
「なんだ、この雰囲気・・・」
「先ほどのトーマスからの通達の件だろう。
あれだけ頑張ってケーブルをつないで、聞かされた内容がアレではな・・・」
「でもよ。
“何か案を出してほしい”って話だっただろ!
今は落ち込むことより、考える事が重要だろ!」
その言葉に、近くのクルーが勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、お前には何か案があるのかよ!?」
サムはその迫力に思わずたじろぐ。
「い、いや・・・なんも無いけど・・・」
「みんなそうなんだよ!
考えても、考えても、何も思いつかないんだ!」
「だけどよ・・・」
リードがサムの肩に手を置き、静かに首を振った。
サムはそれ以上言葉を続けられなかった。
二人は食事を受け取り、他のクルーから少し離れた席に腰を下ろす。
「お前の言うことはもっともだ。
だが、全員が全員、お前のように前向きではいられない。」
「・・・でも、それじゃ諦めるんですか?」
「時間が必要だ。
月に派遣させられるだけの実力を持つ、選ばれたクルーだ。
必ず立ち上がる。」
「時間が解決ですか・・・」
「ああ、絶対だ。 皆、再び立ち上がるさ。
オレは、“必ず地球に帰る!”
それがオレのモチベーションだ。
だから、諦めないよ。」
「リードらしい。
そういや、シドニー出身でしたっけ?」
「ああ、女房と子供が三人、キャンベルタウンに住んでる。
引退したら、家族と同じ時間をゆっくり過ごしたい。
週末には、キャンピングカーでバラゴラン湖にでも行って、釣りってのもいいな。」
「家族か~、オレも結婚してえ~」
「いいんじゃないか?
自分の帰宅を待ってくれてるって、いいもんだぞ。」
「くぅ~。 憧れるなあ~。」
二人は食事を取りながら、
ほんの少しだけ未来の話をして、お互いの気持ちを静かに引き締めていった。
「話を戻しますけど、本当に何もないんですかね?」
「オレは思いついていない。」
「3%なんですよね? そんな長い時間じゃないんですから、
またセーフエリアに逃げ込めば、助かるんじゃ?」
「いや、短時間だとしてもダメだ。
マーカスの説明だと、理由が二つある。
一つは、基地のシステムが再びダウンした場合、
“二度目の再起動はほぼ不可能”だということだ。
冷え切った状態からの立ち上げは、
バッテリーにも制御系にも大きな負荷がかかるらしい。
もう一つは、短時間だとしても、
夜の月の極寒は金属をあっという間に凍り付かせる。
一度は耐えた基地でも、金属疲労が蓄積している。
空調やヒーターが次も生き残れる保証はない、とのことだ。」
「そっか~、セーフエリアに退避しても、
生き残れるけど、次がないのか~」
「そういう事だ。」
「でも、なんでセーフエリアでは生き残れるんでしょうね?」
「そりゃ・・・!!」
リードがハッと目を見開いた。
「サム! お手柄だ!!」
「えっ?」
「セーフエリアには“独立したバッテリー”と“独立した燃料電池”があるんだよ。」
「え? それが?」
「わからないか? あそこは基地本体とは別系統の電源を持ってる。
だから、夜の冷え込みでも、セーフエリア内の暖房と空調が維持できた。
本体が凍りついても、セーフエリアだけは生き残れた理由はそれだ。」
サムの表情が変わる。
「ってことは・・・ その燃料電池を、基地のどこかに回せるって事ですか?」
リードはゆっくりと頷いた。
「可能性はある。
少なくとも、“完全に詰んでるわけじゃない”ってことだ。
管制室に行くぞ!」
リードは勢いよく立ち上がり、クルーラウンジを出ていった。
サムも追いかけようと一歩踏み出したが、
ふと戻ってきて、テーブルのパンを口にくわえると、
二人分の食器をまとめて持ち上げ、返却口へ戻した。
「ごっそさん!」
軽くそう言い残し、サムもクルーラウンジを飛び出していった。
――管制室
重い空気が張りつめた管制室。
そこへリードが勢いよく入ってきた。
遅れてサムも駆け込む。
「コマンダー! XO!」
フィリップだけでなく、管制室の全員がリードを振り向いた。
「どうした? なにかあったのか?」
「あと3%! 行けるかもしれません!!」
その言葉に、沈んでいた空気が一気に揺れた。
「何だと?」
「サムが言ったんですよ。 “セーフエリアがなぜ独立して動いているのか?”って」
「それは・・・そういう施設だからだが・・・」
「そうじゃありません。 セーフエリアの“発電能力”ですよ。」
その瞬間、全員の表情が変わった。
「そうか・・・セーフエリアの燃料電池か・・・
トーマス、マーカスを呼べ!」
「はい!!」
――マーカスが到着する。
リードは、セーフエリアの燃料電池から電力を基地に引き込めば、
不足している3%を補える可能性があると説明した。
マーカスはしばらく考え込むが、答えを出す。
「セーフエリアの燃料電池の出力量を確認しないと断言はできませんが・・・
技術的には可能です。 ただ・・・」
「ただ、なんだ?」
フィリップが身を乗り出す。
「配線絡みを組み替えるため、セーフエリアは二度と使えなくなります。」
フィリップは、一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに言った。
「なんだ、そんな事か。」
マーカスが慌てて声を上げる。
「そんな事って・・・!
別の有事に対応できなくなるって事ですよ!」
「3%がなければ、今夜で全員死ぬ。
次の有事を心配する余裕はない。」
トーマスが静かに頷いた。
「・・・本気ですか?」
「当たり前だ。
我々は夜を乗り切る為に、セーフエリアを壊す。
そして、生き残る。」
トーマスが声を張る。
「方針は決まった! すぐに作業に入るぞ!」
管制室の空気が、一気に動き出した。
セーフエリアの燃料電池を基地へ引き込むという案は、
結果として、基地全体を救う決断となった。
配線の組み替えにより、セーフエリアは二度と使えなくなったが、
その犠牲によって得られた電力は、
長い14日間の夜を乗り越えるための“最後の3%”を確かに埋めた。
こうして基地は、
絶望的と思われた月の夜を、無事に生き延びることができた。
そして夜明けの瞬間、
基地のクルー誰もが、その光をただ静かに見つめていた。
言葉はなかった。
だが全員が、同じ思いを抱いていた。
――生き延びた。




