復活の足音
――2033年7月7日
空調と、ヒーターを再起動した月基地。
基地内の温度はすでに10度を超えており、基地内で活動するクルーは、酸素マスクだけで作業ができるようになっていた。
次は、生命維持装置の稼働だったが、同時にバッテリーの廃棄も作業することになった。
クルーは半分に割られ、復旧チームと、廃棄チームが作られた。
生命維持装置の復旧もCO₂除去装置が直近の稼働を目指す。
これが動けば、酸素マスクも使わず作業が可能になるからだ。
復旧チームは、まず基地内の壁のパネルを全部外し、壁の中を通る配線やダクトの配管をあらわにしていく。
ミラーは復旧チームにいた。
脚立にまたがり、天井のパネルを外すと、ふわりと冷気が降りてきた。
まだ壁の外側は凍りついたままらしい。
金属の縁には、薄い霜が白く残っている。
ミラーはダクトの中を覗き込み、
手袋した手を突っ込んで、ファンの羽根をそっと押した。
ギ…ギギ・・・。
わずかに動くが、抵抗が重い。
羽根の根元に、まだ氷が張り付いているのが見える。
「動きが固いな・・・まだ凍っているのか?」
背後でトーマスが工具箱を抱えたまま覗き込む。
「無理に回すな。モーター焼くぞ。
まずはダクト内の温度を上げてやらないと、ファンが死ぬ。」
ミラーはうなずき、手を引っ込めた。
ダクトの奥からは、まだ冷え切った空気がじわりと流れてくる。
「・・・基地全体が、まだ冬眠から覚めきってないってことか。」
ミラーが手を引っ込めた直後、
トーマスがダクト脇の仮設パネルにケーブルを差し込み、低出力のテスト電源を流し込んだ。
「・・・いくぞ。まずは最低出力だ。」
ダクトの奥で、何かがわずかに震えた。
金属が冷え切ったまま、無理やり目を覚まそうとしているような、
かすかな振動。
ミラーは息を止めて耳を澄ませた。
キ・・・キキ・・・
ギ・・・ギギ・・・。
羽根が、氷をこすりながら少しだけ動いた。
「回ってる・・・?」
ミラーがつぶやく。
トーマスが計器を見ながらうなずく。
「まだ凍りついてるが・・・生きてる。
このファン、死んでなかったぞ。」
ダクトの奥から、ほんのわずかに暖かい空気が流れてきた。
風というより、温度の違いが押し寄せてくるだけの弱い流れ。
「これは・・・」
ヒーターで温められた空気が、温かい空気は上へ上へと昇るように、ダクトを伝い流れてきた。
ミラーは熱が伝ってきたダクトの方向を、首を曲げて目で追う
「隣の区画のヒーターの熱か!」
ミラーの後ろで声がする。
「お、温かい風来てないか?」
更に奥のクルーが言う
「こっちでも感じたぞ!」
ダクトの中を、暖かい空気がゆっくりと進んでいく。
ファンが回っているわけではない。
ただ、基地が温まり始めたことで、自然に空気が動き出しただけだ。
ミラーは手袋越しにダクトの縁を触った。
さっきまで金属のように冷たかった表面が、ほんの少しだけ柔らかさを取り戻している。
「・・・基地が、息してる。」
ミラーは脚立の上で、シャットダウンの日から、初めて力が抜けたような気がした。
―――――――――――
レオンとサムはバッテリールームで作業していた。
防護ゴーグルをつけ、耳には耳栓、耐熱手袋をはめている。
月面用カートに乗せた金属製の箱に、壊れたバッテリーを慎重に次々と入れていく。
金属製の箱には“危険物”と書かれている。
「なんで! うちら! 危険な作業ばっかり! させられるんでしょう! ねっ!」
サムが作業しながらぼやいた。
「ぼやくな。 手を動かせ。」
レオンは淡々と作業している。
そして立ち上がり、バッテリーを入れると、箱の蓋を閉める。
「これ、もう何個目ですっけ?」
台車の取っ手に肘をつくようにして、サムがレオンに聞いた。
「いいから、早く持っていけ。」
そういわれて、サムは手動用エアロックへと台車を押していった。
凍結したバッテリーは、とても危険な存在だった。
凍結により内部が破壊されている可能性が高く、セルの生存判定を行わない限り、二度とそのバッテリーは使用できない。
また気温が上がっている基地内は内部への水分の侵入などが発生すると、内部ショート現象が発生し、発熱、発火、ガス膨張、爆発とつながる。
その為、緊急に基地内からの危険物除去が必要となり、基地復旧と同時進行でに急遽行う事となったのだ。
廃棄は基地の外にある、廃棄コンテナへ台車に乗った箱ごと廃棄される。
エアロックから外へは、スーツを着た別のクルーが担当する事になる。
レオンは次の台車を作業場の近くへと引っ張り、台車のブレーキをかけ固定する。
そして、バッテリー廃棄作業を再開する。
バッテリーラックの前に片膝をついて、ラックの中を見る。
まだまだ大量のバッテリーが刺さっている。
「先は長いな・・・」
ラックのロックを外し、バッテリーを引っ張りぬくと、内部で“カラ・・・”と言う音がした。
レオンがピクッ!と手を止め、額に汗がにじんだ。
そして、今までよりゆっくりな動きでバッテリーを箱へと運び入れる。
「ふ~~~、ビビらせるなよ・・・」
レオンは箱にバッテリーを収めると、しばらくその場で動けなかった。
“カラ…”という音は、内部のセルが完全に剥離している証拠だ。
最悪、持ち上げた瞬間に内部ショートを起こす。
耐熱手袋越しでも、さっきのバッテリーはわずかに“温度のムラ”があった気がした。
気のせいであってほしいが、確かめる気にはなれなかった。
レオンはゆっくりと息を吐き、金属ケースの蓋をそっと閉めた。
「・・・頼むから、外まで持ってくれよ。」
通路をサムが空の台車を押しながら戻って来る。
バッテリーの入った箱を、外の廃棄コンテナへ運ぶチームに引き渡して戻ってきたようだ。
「うわっ! ここに来ると、ほんと金属臭いですね。」
そう言って鼻をつまみながら、ラックのロックを外して、バッテリーを抜く。
そして、そのバッテリーを箱へと入れようとする。
レオンがあわてて、サムに言う。
「サム!
今その箱にはヤバい奴が入っているからな・・・
開ける時は慎重にだ。」
レオンは“開ける時は慎重にだ”を裏返った小声で言う。
サムは背筋に汗が流れた気がした。 その一言でヤバい奴とわかった。
サムは手を止めたまま、ゆっくりと箱の蓋に手をかけた。
さっきまで軽口を叩いていた顔が、一瞬で引き締まる。
「・・・了解。慎重に、ですね。」
サムは声を潜めて言った。
その声は、さっきの軽さとはまるで違う。
レオンはうなずき、サムの手元をじっと見守る。
箱のロックを外す“カチ…”という音が、やけに大きく響いた。
サムは蓋をほんの数センチだけ開け、中のバッテリーの位置を確認する。
その動きは、まるで爆弾処理班のようにゆっくりだった。
サムは息を詰めたまま、自分の持っているバッテリーをそっと箱の中へ滑り込ませる。
蓋が閉まると、二人は同時に、ほぼ無意識に息を吐いた。
「こいつの中にあるやつって、どんな状態なんですか?」
サムがその質問を口にした瞬間、レオンの表情がほんのわずかに強張る。
レオンは周囲を一度見回し、誰も近くにいないことを確認してから、低い声で答える。
「・・・中のセルが、完全にバラけてる。」
サムは眉をひそめる。
「バラけてるって・・・どういう・・・」
「凍結で内部の仕切りが割れて、セル同士がぶつかってる状態だ。」
サムの喉が小さく鳴る。
「それって・・・」
「最悪、持ち上げた瞬間に内部ショートだ。
発熱して、膨張して、爆ぜる。」
レオンは淡々と話しているが、その声の奥には“本気で危ない”という気持ちを表している。
「だから言ったろ。 開ける時は慎重に、ってな。」
サムは無意識に箱から一歩下がり、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「・・・そんなヤバいの、よく運びましたね。」
レオンは肩をすくめる。
「運ばなきゃ、基地が死ぬ。 それだけだ。
あ、その台車運ぶときは、慎重にな。」
「オレですか!? うそでしょ~~!?」
「ん?」
レオンが天井を見る。
「どうかしました?」
「急に暖かくなってきた。 ダクトが復旧したのか?
やばいな!」
「え? 復旧は良い事じゃ?」
「生命維持装置としてはな。 だが、ここのバッテリーにはヤバい。
手の空いてそうな廃棄班の連中を連れてこい。 急ぎたい。」
サムは台車の取っ手を握ったまま固まる。
「え、ええと・・・暖かくなると、何がヤバいんです?」
レオンは短く息を吐き、ラックの前にしゃがみ込み作業しながら答える。
次々とバッテリーを外して、一旦床に置く。
「凍ってたセルが一気に解凍される。
内部の圧力差が暴れて、ショートしやすくなるんだよ。」
サムの顔から血の気が引く。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ・・・
じゃあ、この部屋・・・」
「今から地獄みたいに危険になる。」
レオンは立ち上がり、作業場の奥を見渡す。
壁のダクトから、さっきまで感じなかった“生ぬるい空気”が流れ込んでくる。
「この温度上昇、まずい。
凍結バッテリーが一斉に目を覚ますぞ。」
サムは慌てて台車を押し戻しながら叫ぶ。
「廃棄班! 廃棄班どこですか! 誰か手伝ってくださいってば!」
レオンは低い声で言う。
「叫ぶな。揺らすな。 その台車のヤツ揺らすと爆発する爆弾だと思え。」
サムは口をつぐみ、背筋を伸ばしたまま固まる。
レオンは続ける。
「いいかサム。 今のうちに人手を集めて、一気に運び出す。
温度がもっと上がったら・・・もう触れなくなる。」
サムはごくりと喉を鳴らし、通路の奥へ台車を押していった。
レオンは残されたラックを見つめ、小さくつぶやく。
「・・・頼むから、間に合ってくれ。」
―――――――
「手伝いに来たぞ!」
状況を知った連中が次々とバッテリールームにやって来る。
総勢で20名
誰もが緊張の面持ちで部屋に入ってくる。
危険とわかっていても、手袋だけで作業を開始する。
外は月面。 ここで一つでも爆発してしまえば、この部屋にいる全員が助からない。
その覚悟を背負った20名の姿を見て、レオンは一瞬、動きが固まった。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「すまない!」
レオンは叫ぶように言って、作業を再開した。
―――――――
バッテリールームのバッテリーは、もう最後のひと箱になっていた。
基地の中は通常であれば、それほど暖かくない。 なのに全員が汗だくだった。
緊張による汗、急いで作業する汗が入り混じっている。
だが、それもあと少し。
皆がこれで終わりだと、希望の光が見えた時だった。
――ミシ・・・ッ。
気のせいかと思うような小さな音
だが、全員が同時に手を止めた。
レオンがラックに目線を走らせる。
「・・・来たか。」
次の瞬間、再びラックから
――パキ・・・ッ
――ピシ・・・ッ
氷が割れるような、金属がゆっくり歪むような、嫌な音が連続して響く。
サムが青ざめた顔でつぶやく。
「な、なんの音ですか・・・?」
レオンは低い声で答える。
「内部圧が上がってる。 セルが膨張し始めた音だ。」
部屋の温度が上がるほど、凍結していたバッテリー内部のガスが膨張し、
仕切り板が押し広げられていく。
――ミシ・・・ミシ・・・ッ。
「くそ。 これが最後なのに・・・」
レオンは、残り2つのバッテリーをロックを外し、2つ同時に抜き取り箱へと詰め込む。
箱のふたを閉め、ロックをかけると、自分自身で台車を押して、エアロックへ急いだ。
台車を押し出した瞬間、箱の中でピシ・・・ッ・・・と音が聞こえる。
レオンは一度台車に目線を落としたが、気にするのをやめた。
揺らすな。
絶対に揺らすな。
レオンは自分に言い聞かせながら、台車の取っ手を握る手に力を込めた。
エアロックの扉が見えた瞬間、待ち構えている外作業チームも見えた。
急げ!と手招きしている。
外作業チームは内扉を開けた状態で、待ち受けている。
レオンはまた目線を箱に落として確認した。 ミシミシ・・・ッって音がした。
(もう、もたん・・・)
レオンはエアロック内に台車を滑り込ませると、外作業チームのスーツから腰の所にある安全フック引き出し、エアロック内の取っ手に接続する。
外作業のクルーのメットに、額を打ち付けて指示する。
「内扉が閉まったら、減圧しないまま外扉を開けて、台車と箱を外へ吹っ飛ばせ!」
そして、エアロックから出ると内扉を閉め、レバーをロックした。
(間に合え! 間に合え!)
エアロック内のクルーは、指示通り減圧せずに外扉を開けると、
空気が一気に抜け、台車も一緒に外へと勢いよく飛び出した。
クルーの身体も外へ引っ張られ、ふわりと宙に浮く。
だが、腰の安全フックが張りつめ、その勢いをぎりぎりで止めてくれた。
引き戻されるように体がエアロック内へ留まり、
月面の弱い重力が、ゆっくりと足を床へ落とす。
そして、箱がはじけた。
ガキンッ!!
最初1発鳴った後、他のバッテリーが連続して爆発した。
金属音のような音が一瞬だけ聞こえたが、すぐに静寂が戻る。
小さな破片がエアロック内に飛びこんできたが、そこにはまったく音はなかった。
レオンは、衝撃が無かったことで、間に合った事を理解し、そのまま床へとへたり込んだ。
「レオーン!!」
レオンはその声をちらりと横目で見て笑った。
サムとバッテリールームで一緒に戦ったクルー達が、歓喜を声を上げて走ってくる。
そして、エアロックの内扉が開き、外作業のクルーがスーツのデカい手をレオンに差し出す。
レオンがその手を取ると、グイっと引き起こされる。
スーツのスピーカーから声が出てきた。
「レオン! てめえ、無茶な事させやがって! あとでビールおごれよ!」
「ああ、凍結したビールなら、いくらでもおごってやるぞ!」
茶化しあい、認め合い、お互いを褒め称えた。




