再起動への道のり
月基地はクレーターの縁に建設されていた。
月の地平線のすぐ近くには、青く光る宝石のような地球が浮かび、
ゆっくりとした軌道の動きの中で静かに輝いている。
今、基地はずっと昼の期間で、太陽は沈まず、白い光が基地周辺を照らし続けている。
クレーターの影が長く伸び、光と闇の境界が基地の足元をかすめるように横切っていた。
基地のエアロックの前には、宇宙服が折り重なるように倒れており、
まるでそこに集まって何かを訴えようとしたまま力尽きたかのように見えた。
あのトラブルから、すでに5日が経っていた。
基地内部はあの日からゆっくりと冷えていき、
電源を失った区画は太陽の光とは無関係に温度を落としていく。
放熱制御が完全に停止した区画では、内部にこもっていた熱が宇宙空間へ逃げ続け、
急速な低温化が進んでいた。
通路の空気は動かず、ただ冷たさだけが沈んでいき、
壁に触れれば金属の冷たさが皮膚に張りつくほどだった。
壁面には、空気に残っていたわずかな水分が薄く霜になって張りつき、
白い膜のように広がっていた。
そこに、4本の強い光が差し込んできた。
光は上下左右に不規則に動いて、次第に通路の角から姿を現す。
宇宙服のヘルメットの横から放たれた光だった。
人数は4人。 動きづらそうに、通路を移動していた。
宇宙服の一人が手袋越しに壁をなでると、壁に張り付いていた霜がパラパラと床へと落ちた。
その様子に少し驚き、自分の手を一度メットのライトに当てて手袋の表面を確かめた。
そして、通路の様子を確認するように、ライトをぐるりと照らした。
「すげえ・・・」
宇宙服の中では、ヘルメットの首元に様々な情報が表示されている。
動きづらい服だ。
荒い呼吸がヘルメットの内側に響く。
「どうです、聞こえてますか? セーフエリア!」
(こちら、セーフエリア。 音声は良好です。)
「セーフエリアの外は、気温マイナス32度。 壁は全面、霜が張り付いてます。」
セーフルームの通信室では、通信担当“ケン”の後ろにトーマスがおり、その後ろにフィリップが様子を見ていた。
トーマスが一度フィリップを見る。 すると、フィリップが頷く。
それを確認したトーマスは、軽く頷く。
そして、ヘッドセットを自分の頭にセットし、口を開いた。
「トーマスだ。 レオン、ミラー、サム、リード。 全員問題ないか?」
(問題ない。 全員、良好に聞こえてます。)
「よし。 そっちは視界どうだ?」
(最悪だな。 霜で壁が真っ白だ。 霜でライトが乱反射して、奥はライトが届かない。)
「空気の状態はどうだ?」
(数値的には問題ない。 寒くなきゃ、メット外したいぐらいだ。
変な空気の流れもない。 エア漏れはないようだ。)
「よし、これから先はツーマンセルで動け。
レオンとサムは外壁の安全確認。 その後は太陽光パネルの電源を確認。
ミラーとリードは、基地内の電源ラインを追ってくれ。」
(了解。)
「まず、レオンとサムのチームは、“緊急用手動エアロック”へ向かってくれ。
ミラーとリードのチームは、“バッテリー”の確認へ向かってくれ。」
(了解。)
―――――――――――――――
レオンチームは、手動エアロックの前にいた。
レオンは内側の手動レバーを握り、
体重をかけて押し下げようとしていた。
「・・・ぬおおおおおおーーっ!」
金属がわずかに軋んだが、レバーはまったく動かなかった。
レオンは息を荒げ、手を離す。
「・・・ダメだ。完全に固着してる。
この温度じゃ、金属が縮んでロックみたいになってる。」
サムがライトを近づける。
「基地の中なのに・・・ここまで冷えるのかよ・・・」
レオンはヘルメットの中で、短く頷いた。
「電源が落ちて5日だ。
外と同じ温度になっててもおかしくない。」
「じゃあ、どうすんだよ?」
レオンは少し考え、無線でミラーに連絡をする。
「ミラー、こっち来てくれ。 エアロックの手動レバーが固着してる。」
(了解。 工具を持って向かう。)
しばらくすると、暗い通路の奥から光が1本伸びてくる。
レオンとサムは振り返り、まぶしそうな顔をした。
「待たせたな。
まずは、霜を落とそう。 この温度だと金属同士が“貼り付く”んだ。」
ミラーは持ってきた工具ポーチからスクレーパーを取り出し、
レバー周辺をゴリゴリと削った。
白い霜がパラパラと床に落ちていく。
ミラーは次に小型ハンマーを取り出した。
「レオン、レバー押さえてろ。 軸を叩いて固着を剥がす。」
カンッ、カンッ、と金属音が通路に響く。
一度、レバーを動かしてみるが、それでも動かない。
「やはり、少し温めた方がよさそうだ。」
ミラーはヒートパックを取り出し、レバーの根元に巻きつけ、熱が伝わるのを待った。
「・・・これで少しは金属が戻ったはずだ。
よし、もう一回いくぞ。」
レオンが力を込める。
ギ・・・ギギ・・・ッ!
金属がこすれ動く音が通路に響く。
後ろで見ていたサムがその音を聞いて前のめりになった。
「動いた・・・!」
「もう大丈夫だな。 オレはリードのいる持ち場に戻る。」
ミラーはそういうと、その場から立ち去った。
ミラーの足音が遠ざかり、通路には再び、二人の呼吸音だけが残った。
二人はエアロックの中に入っていき、基地側の扉を再び閉めた。
レオンはゆっくりとレバーを最後まで下げ、エアロック内部の圧力計を確認する。
「・・・よし。 減圧は始まった。
サム、バルブの数値を監視してくれ。規定値まで落ちたら知らせろ。」
「了解・・・。
にしても、こんなに冷えてるのに、まだ圧力残ってるんだな。」
レオンはヘルメット越しに壁を見た。
霜に覆われた金属は、白い膜のように静かに光を返している。
「密閉構造だからな。
電源が落ちても空気は残る。」
「なあ、この手動エアロックのドアってのは、外側にレバーないんだろ?
オレ達、外に出たら、戻れないんじゃないのか?」
レオンは一瞬だけサムを見て、
淡々と、しかし迷いのない声で答える。
「戻れる。
内側のレバーは動く。 問題は“外側に手動がない”ってだけだ。
だから、出入りは全部、内側から操作する。」
サムが少し息をつく。
「・・・じゃあ、誰かが中に残らないと・・・」
「そのためにツーマンセルだ。
俺たちが外に出ても、ミラーとリードが内側にいる。
・・・心配するな。」
圧力計の針が、ゆっくりと規定値へと近づいていく。
サムはヘルメット越しに数値を見つめ、息を潜めていた。
「・・・減圧、完了。」
エアロックの中の音が完全に消える。
ただ静寂だけが二人の間に落ちた。
レオンは、エアロックの外扉のレバーに手をかける。
「・・・よし。開けるぞ。」
外は明るかった。
ドアが開くと、ものすごい光がエアロック内に入ってきた。
その瞬間、ヘルメットの偏光フィルターが外光に反応して濃くなり、
バイザー越しに見えていた互いの顔が見えなくなった。
「よし。 予定通り外壁を調査し、太陽光パネルをチェックしに行くぞ。」
「了解。」
―――――――――――――
ミラーとリードは、バッテリー区画のパネルを開き、凍りついた配線とセルの状態を順に確認している。
ミラーはバッテリーのひとつをラックから外す。
「やはり、ダメだな・・・全部死んでる。」
リードが軽くため息を出して話す。
「まあ、この低温だ。
固体電池だろうが何だろうが、−30℃まで落ちたら化学反応なんて止まる。
温度管理ヒーターが動いてない場所で5日も寝かされりゃ・・・
生きてる方が奇跡だ。」
ミラーは霜のついたセルを指先で軽く叩く。
「セルの中身、完全に固まってるな。
化学反応が止まってるどころか、構造そのものが割れてる。」
ミラーは、腕についている通信ボタンを押し、セーフエリアとコンタクトをとる。
「こちら、チーム・ミラー。 セーフエリア、聞こえますか?」
(こちら、セーフエリア。 聞こえてるぞ。)
「バッテリー区画を確認した。
配線、セルともに凍結。内部構造も破損している。
復旧は不可能だ。」
(了解した。
外の太陽光パネルに頼るしかないな。)
リードが工具を片づけながら、霜のついたパネルを静かに閉じる。
「レオンたち、もう外に出た頃か。」
「減圧は終わってるはずだ。
こっちは配線だけでも通しておく。」
セーフエリア側の通信が少しだけ途切れ、微かなノイズが混じる。
(・・・了解。
そっちの作業を続けてくれ。
レオンたちのテレメトリは入ってる。 心拍も圧も正常だ。
外に出たのは確認できてる。)
ミラーが短くうなずく。
「映像は?」
(お前たちの使用しているスーツは、標準装備のものとは違う。
ここに置いてあるのは、最低活動用のスーツだ。
リアルタイム映像を送る機能は最初から付いていない。)
「・・・了解。」
ミラーは短く返事をし、通信を切った。
基地内の静けさが戻る。
リードが低くつぶやく。
「・・・外が無事ならいいが。」
ミラーは答えず、
凍りついたケーブルを慎重に持ち上げた。
―――――――――――――
エアロックを出て、月基地の外壁を検査しながら、歩く二人。
施設の角を曲がると、
そこは、いつも使っていたエアロックがある場所だ。
二人がその角を曲がると、
目に飛び込んできた光景に、思わず足が止まった。
15体ものスーツが、視界いっぱいに広がっていた。
エアロックに群がったスーツ。
扉を開けようと、何度も何度もスイッチを押したのだろうか、
扉の前に折り重なるように倒れていた。
二人は言葉を失った。
覚悟していたとはいえ、仲間の死をこんな形で突きつけられるとは思ってもみなかった。
「・・・・・・・・・。」
動悸が収まらないサムは、
スーツを確認しようと、エアロックへ駆け出した。
「止まれ! サム!」
いつもと違うレオンの声が、メットの中に響いた。
その声に、サムは思わず足を止める。
「え・・・?」
「我々の任務は、外壁の検査と、太陽光パネルの調査だ。」
「なんでだよ!? 仲間の事を気遣えないのかよ!」
「それは、基地が復旧した後だ。
今、オレ達はセーフエリアの命・・・クルー全員の生存の為に動いている。」
「・・・さあ、行くぞ。」
サムの心の奥では納得できない。
胸の奥で何かがざわつき、喉の奥が熱くなる。
だが、レオンの言っていることは理解していた。
そうなのだ。
自分たちが生き延びなければ、倒れた仲間を弔うことすらできない。
それが、今この世界の現実だった。
サムはゆっくりと息を吐き、
ヘルメットの内側に白い曇りが一瞬だけ広がった。
「・・・了解。」
レオンは短くうなずき、外壁の影へと歩き出した。
サムは短く息を吐き、
レオンの背中を追った。
再起動までの道のりは、あまりにも遠かった。




