穏やかな日常
――時間は少し戻る。
ユウは食堂で知らない研究員達に囲まれている。
理由は、トレーのご飯が無くならないからだった。
最初に比べればトレーのご飯はずいぶん減った。
だが、悪魔のような山が目の前にあった。
ユウはテーブルへ前かがみになろうとすると、腹いっぱいでうぷっ!となる。
澪も仕事に行ってしまった。
周りは知らない人ばかり、知っているのはガンバヤルだけだが、食堂はこの時間はまだ忙しいので、話し相手にはなってくれないだろう。
そこへ、ひとりの男が横の席に来て話しかけてきた。
「少年、君はだれだ? ん? IDカード持ってるな。」
男はユウの胸元にぶら下がったIDカードをつまみ上げ、まじまじと眺めた。
ピンと張る紐に合わせて、ユウは思わず背筋を伸ばす。
「・・・“ユウ”。
所属は――ああ、ナジ班か。なるほどな。」
男は納得したように頷き、カードをぱっと離した。
「ナジさんが拾ってきたって噂の子か。
へぇ、ホントにいたんだな。」
周囲の研究員たちも、チラチラとこちらを見ている。
ユウはスプーンを持ったまま固まり、どう返事していいかわからず口をパクパクさせた。
「え、あ、はい・・・」
男はユウの山盛りのトレーを見て、ふっと笑った。
「なるほど、これじゃ食い終わらんわけだ。
ガンバヤルの仕業だろ?」
「・・・はい・・・
オレ、15なんですけど、ガンさんが“細くて小さすぎだから、食え!”って大盛にしてくれて・・・」
「そっかぁ~、そういう理由があるなら手伝えないな・・・」
男は自分の席からコーヒーを持ってきて、ユウの隣に腰を下ろした。
「で、ユウ。
ここは初めてか?」
「はい・・・昨日、来たばかりで・・・」
「だろうな。
顔に“右も左もわかりません”って書いてある。」
男は冗談めかして言うが、声は柔らかい。
ユウは少しだけ肩の力が抜けた。
「安心しろ。
ここは変なやつばっかりだが、悪い人間はいない。
・・・まあ、変なやつは多いけどな。」
周りの研究員たちが「聞こえてるぞー!」と笑いながら返す。
男は肩をすくめて続けた。
「ナジさんが何を考えてユウを自分の班に入れたかは知らんが、
アイツ等と一緒に仕事したいなら、食うしかないな。
食って体力つけろ。」
「はい・・・
一昨日、一緒に歩いたけど、ついていくのが精一杯でした・・・」
「よし。
じゃあ――」
男はユウのトレーから、山のように積まれた肉の皿をひとつ取り上げた。
「これは俺が手伝ってやる。」
「えっ!? いいんですか?」
「新人の胃袋を守るのも先輩の仕事だ。」
そう言って、男は肉を一切れつまみ、豪快に口へ放り込んだ。
「ありがとうございます・・・えっと・・・」
「ジェイク・ハドソンだ。」
「ジェイク先輩!」
「先輩いいね!
おーい、みんなも手伝ってやれ!」
ジェイクがそう言うと、みんな立ち上がり、
ユウのトレーから、スプーンやフォークで、一つまみずつ取りつつ名前を教えていく。
「俺はルーカスだ。よろしくなユウ。」
「俺はジャンだ。」
「スコットだ。」
「エリックだぞー。肉は任せろ!」
「おいエリック、任せるな、奪うな!」
ワイワイと賑やかに、次々と手が伸びてくる。
そこへ、ひょいと細い指がユウのトレーからサラダをつまんだ。
「はい、私も。
新人いじめは良くないからね。」
声の主は、栗色の髪を後ろでまとめた女性研究員だった。
白衣の袖をまくり、眼鏡の奥の瞳が柔らかく笑っている。
「私はエミリー。よろしくね、ユウくん。」
「えっ・・・あ、よろしくお願いします!」
「ユウくん、私はアナスタシア。
アナでいいわ。
あなた、昨日来た子よね? 噂になってるわよ。」
「えっ、噂・・・?」
「悪い噂じゃないわよ。
“ナジさんが保護してきた子”ってね。」
アナはにっこり笑い、ユウのトレーからパンをちぎって口に運んだ。
ユウはいつの間にか研究員に囲まれてしまっていた。
ワイワイと大きな声に気づき、ガンバヤルが厨房からのぞき込む。
ユウをみんなが取り囲み、和気あいあいな様子をみて、
ガンバヤルはニッコリとして厨房に戻った。
トレーのご飯はすっかりなくなってしまった。
ジェイクがのぞき込みながら言う。
「最後の一口はユウが食べな。
行けるだろ?」
ユウは真剣な顔をしてトレーを持ち上げると、
スプーンで残ったポテトサラダを口一杯かきこんだあと、
何度か噛みながら飲み込んだ。
「おーーーーっ!!」
みんなから歓声があがった。
ジェイクは親指を立てて、グッド!と評価してくれた。
ユウは顔がホクホクとし、なんか照れ臭くなった。
「ユウ、今日はこのあとどうするんだ?」
「あ、特に何もやることなくて・・・」
「そうか、じゃあ決まったな。
食ったら休憩した後、運動だ!」
「え?」
「今日非番のやついるかぁー?」
数名が手を挙げた。
「予定が決まってない奴で良いから、ユウに付き合ってやれ。
そうだな、2時間ほどレクレーションルームでゲームでもして、
その後はフィットで運動だな。」
「じゃあ、オレが付き合うぜ。
サムだ!」
背の高い黒人の男が手を挙げた。
白衣の袖がパンパンに張るほどの腕。
笑うと白い歯がまぶしく、食堂の空気が一気に明るくなる。
「待って待って、私達とゲームして遊びましょ。」
エミリーとアナスタシアだった。
「ユウ、ゲームなんかより筋トレだ。
非番の日は、“絶対筋トレ”のオレがそう言うんだ。
間違いない。」
「いやいやサム、あんたゲーム弱いだけでしょ。」
エミリーがすかさず突っ込む。
「違ぇよ!
オレは“ゲームより筋肉を選んだ男”なんだよ!」
サムが胸を張ると、周りがどっと笑った。
アナスタシアが勝ち誇ったように言う。
「ジェイクの指示通り!
食後の2時間はゲーム。
そのあと、フィットで運動。
サムは2時間一人で筋トレ!
頑張って!」
「いや、オレもレクレーションルームで2時間ゲームだ。」
サムの予想できないほどの方向転換は、再び笑いを起こした。
わいわいと騒ぎながら、3人は一斉に立ち上がった。
ユウはエミリーとアナスタシアに両腕を抱えられ、
レクレーションルームへと強制的に運ばれる。
(・・・なんか、すごいことになってきたな)
でも、全然嫌な気分ではなかった。
――――――――――――――――
医務室は静かだった。
外の喧騒が嘘のように、白い壁と薬品の匂いだけが澪を包んでいる。
澪はデスクに広げたカルテを一枚ずつめくり、
必要な項目にチェックを入れていく。
ペン先が紙を走る音だけが、部屋の空気をかすかに震わせた。
現状、大きな作戦もない。
そのおかげで医務室には腹痛とか微熱とか、
そう言った軽い症状の研究員を診察するだけだった。
澪はクルクルと暇そうにペンを回す。
(ユウくん、食べれたかしら・・・?
ガンさんも無茶しすぎ。
あの量は大人だって食べれないわ・・・
あの唖然とした顔・・・思い出しても笑っちゃう・・・)
食堂の事を思い出し、一人でクスクスと笑う澪。
「ドクター白崎。
ご機嫌ですね。」
声をかけられ澪は視線を上げる。
ドクターチェン(チェン・リーファー)だった。
医療スタッフは15人。
ドクターは4人で、今の時間帯は澪とチェンだけだった。
「え? そうですか?
ちょっと思い出し笑いしてたかも?」
「もしかして・・・食堂の事ですか?」
当てられて、驚く澪。
「えっ!? なんでわかるんですか?」
「中国4000年の歴史に分からない事はないですよ。」
「さ、さすがは中国ですね・・・」
チェンがふっと笑い、首を横に振った。
「冗談ですよ。
実はさっきナースの子が食堂から戻ってきましてね。
ユウくんを中心にして盛り上がっていたって話をしてたんですよ。
僕は聞いただけ。」
「そうなんですか?
どんな風に盛り上がってたんでしょう?」
「ジェイクが仕切って、仲良くみんなで騒いでたそうですよ。」
「ジェイクさんか・・・
彼なら皆巻き込みそう・・・」
澪は、その光景を想像してほほ笑む。
澪の頬がゆるむのを見て、チェンはカルテを軽く揺らしながら続けた。
「昨日、彼が倒れて、あなたは相当パニック状態になってましたからね。
今日の状況を考えたら、僕でもうれしくなりますよ。」
「ありがとうございます。」
「さて、午後は検査の予約が二件。
その前に少し休んでおくといいですよ。」
「そうですね・・・」
澪は答えながら時計を見る。
デジタルの時計は10:21を表示している。
「今のうちに、もう少し片づけておかないと・・・」
澪は再びカルテに向き合った。
医務室の静けさはいつもと変わらない。
澪はカルテをめくりながら、深く息を吸った。
さっきまで胸の奥にあった温かさを、そっと静けさの中へ沈めるように。
(・・・仕事、仕事)
気持ちを切り替えるように、ペンを握り直す。
紙の上を走る細い線が、医務室の静寂にまた戻っていく。
チェンは向かいのデスクで別の書類を整理しながら、
ときどき澪の方へ視線を向けていたが、何も言わなかった。
この静けさが、彼らにとっては日常なのだ。
時計の秒針が、淡々と時間を刻む。
食堂の賑やかさも、研究所の喧騒も、ここには届かない。
ただ、白い壁と薬品の匂いと、紙をめくる音だけが、医務室を満たしていた。




