3. 接近する毒
「……んっ、ごちそうさま。おいしかった」
白川ゆりねが、満足そうに息を吐いた。
二つ目のトマトも彼女の胃袋に収まったところだ。口の周りが少し赤くなっているが、本人は気にしていない様子で、へらりと笑う。
俺もつられて、少しだけ肩の力を抜いた――その時だ。
ザッ、ザッ、と規則正しい足音が近づいてくるのが聞こえた。
「――ッ! 隠れろ」
「えっ?」
「誰か来る。早く奥へ」
俺は彼女の肩を掴み、道具小屋の隙間へと押し込んだ。
彼女が身を潜め、俺がその前に立ちはだかってスコップを構えるのと、その男が現れるのはほぼ同時だった。
「やあ、堅。ここにいたのか」
爽やかな声と共に現れたのは、眼鏡をかけた男子生徒だった。
淡路 透。
俺たちのクラスの「学級委員長」であり、俺にとっては幼稚園からの腐れ縁――数少ない「会話が成立する相手」だ。
「……何の用だ、淡路」
「冷たいなあ。次の移動教室の連絡事項を伝えに来ただけだよ。お前、クラスのグループLINE見てないだろ?」
「興味ない」
俺は不愛想に答える。
淡路は「相変わらずだなあ」と苦笑しつつ、フェンスにもたれかかった。
そして、眼鏡の位置を直しながら、スッと目を細めた。
「……ところで、堅。見てないかい? 白川さん」
「あ?」
「白川ゆりねさんだよ。昼休みになってから姿が見えないんだ。彼女、次の授業の準備係なんだけどね」
嘘だ。次の授業に準備なんて必要ない。
こいつは息をするように、もっともらしい理由を捏造する。
背後の隙間で、ゆりねが息を止めた気配がした。
バレるか? いや、まだだ。
「知らん。俺が他人の顔を覚えてると思うか?」
「ははっ、それもそうだ。お前は植物と土にしか興味がない『栗』だもんな」
淡路は笑った。だが、その目は笑っていない。
彼は裏庭の隅々を、まるで監視カメラのような視線で舐め回している。
「心配なんだよ、学級委員長としてね。最近、彼女へのストーカー被害が増えているだろう? 変な虫がついていないか、僕が『管理』してあげないと」
「……管理、ねえ」
「そうさ。彼女はクラスの、いや学園の至宝だ。適切な湿度と温度で保存……じゃなくて、保護されるべきなんだよ」
言い直したな、今。
こいつは昔からそうだ。見た目は綺麗な「玉ねぎ」だが、一枚剥けば目が痛くなるような独占欲と狂気が詰まっている。
クラスの連中はこいつを「頼れるリーダー」だと思っているが、俺だけは知っている。こいつが裏で「白川親衛隊」を操っている黒幕だということを。
「ここにはいない。用が済んだら消えろ。肥料の邪魔だ」
俺は足元の鶏糞の袋を蹴った。
さすがの委員長様も、この臭いには顔をしかめる。
「分かったよ。……でも、もし見かけたら教えてくれ。すぐに僕が駆けつけて、生徒指導室で『事情聴取』という名の保護をするから」
淡路はひらひらと手を振り、校舎の方へ戻っていった。
あいつの背中が見えなくなるまで、俺は動かなかった。
「……行ったぞ」
俺が声をかけると、背後の隙間から、ガタガタと震える音が聞こえた。
「き、聞いた……? 今の……」
「ああ」
「淡路くん……よね? クラスで一番優しいと思ってたのに……保存って言った……?」
「あいつが親玉だ。諦めろ」
俺はため息をついた。
どうやら俺たちは、とんでもなく厄介な「玉ねぎ」に目をつけられてしまったらしい。




