ネグロ・ナバーロ先生と僕。
ネグロ・ナバーロさんは僕のルチャ・リブレの先生でもあります。
というか闘龍門に入門するともれなくマット運動からルチャ・リブレの基本動作をネグロ・ナバーロ先生から叩きこんで頂くことが出来ます。
残念ながら僕は長続きしませんでしたが…。
メキシカンプロレス、いわゆるルチャ・リブレの歴史の中で3対3で戦う6人タッグマッチを変えてしまった、とも言われるネグロ・ナバーロ先生率いるロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ。
80年代には新日本プロレスにも参戦し初代タイガーマスクとも激闘を繰り広げた名人の中の名人であるネグロ・ナバーロさんは1957年生まれ、メキシコUWAマットで活躍しそこでエル・テハノさん、エル・シグノさんと前述のトリオを結成。このトリオはメキシコマットにおける最優秀トリオ賞を何度も獲得している。3人とも名人だったわけだ。
日焼けした肌に濃い眼力、迫力の合う顔つきと太い猪首が似合うずんぐりむっくり型の体型。ゴツゴツした岩のような体をしていたが動きはすこぶる俊敏でパワーもあるし、勿論テクニックは抜群。
日本マットに来襲した当時の映像を見ても、佐山サトルさん(初代タイガーマスク)を散々苦しめている様子が残っている。メキシコマットでは先ず基本中の基本としてマット運動を嫌ってほどやる(基礎体力運動をやったあとは必ずマット運動で、ネグロ・ナバーロ先生も率先して指導してくれていた)ので身のこなしが実にスムーズで動きに継ぎ目がない。器械体操とアマチュアレスリングで鍛えた佐山さんとはメキシコ時代にも戦っているはずで相性も悪くなかったのではないかと思われる。
問題は初代タイガーマスクが得意とする打撃だが、なにしろ血の気の多いメキシカン。私が教えを受けた時点でも小さめの岩か巨大なサザエの殻みたいだったあの拳を見れば、腕っぷしの程も伺える。
そんなネグロ・ナバーロ先生。
僕が入門志願の履歴書を送り、届いた資料には
コーチはメキシコ人レスラー(初代タイガーマスクと対戦経験あり)
と書かれていて、若きルチャ・リブレ愛好家は誰なのか散々考え込んだ。
まさかフィッシュマン…? それともカネック!?
ただメキシコ時代の佐山さんは素顔で試合を行っていたので、その頃にどこかの田舎町でいっぺん戦ったことがあるだけのローカル選手で僕が知らないだけなのかもしれない。
そんなふうにタカをくくっていた。
それがフタを開けたら目の前に立っていたのは、何度もビデオで見たあの「ネグロ・ナバーロ」だった。びっくりを通り越して足が震えそうだった。平静を装っていたが心のなかでは
うわーーーーーーネグロ・ナバーロだーーーーー!
と狂喜乱舞するやらビビっちゃうやら。
年齢を重ねてはいるものの迫力は健在で、丸っこくて分厚い肉体にグローブのような手をしていた。
先輩方からはネグロさん、と呼ばれていたので私たち練習生もそれにならってネグロさんと呼んでいた。いつも時間になると寮の前に茶色くてデカい車に乗ってやってきて、たまにミネラルウォーターを持ってきてくれた。これは差し入れではなく、ちゃんと買うのだ。
今では日本でもよく見るウォーターサーバーに取り付けるタイプの25リットルぐらいあるデカいペットボトルで、近所のお店まで買いに行くのがトレーニング並みに大変(よく考えたら巨大なダンベルを両手に二つずつ持って歩いてるようなもんだから)だったから、これは有難かった。
ネグロさんはマット運動とリング上での体さばきなど基本的な動作を教えてくれていた。もっと進歩すれば直々にルチャ・リブレを教えて頂くことも出来ただろう。
練習中に暑いわ息が上がるわでぼーっとして来ると、またしても自分の眼前にネグロ・ナバーロがいるということが物凄く不思議でおかしなことに思えたりもした。
たまに「今日はこれで最後!」という時に道場に飾ってある巨大なウルティモ・ドラゴン校長の写真を指さしたりもしていた。メキシカンジョークである。
午前中の練習が終わると、ネグロさんも寮で一緒にお昼ご飯を食べていた。それは我々練習生が作るちゃんこ鍋だったり、色々なおかずだったりするのだが、ある日みんなでタコスを作ったときは
「今日はタコスですよ」
と言われて
「タコ~~~ス!?」
とおどけていた。考えてみたら我々にとっては珍しくても、メキシコで生まれ育ったネグロさんにはむしろ当たり前すぎて面白かったのだろう。そんなふうに根は明るくて気の優しい人だった。
いつだったか、ネグロさんが一人でウェイトトレーニングをしているところにお水を持っていったことがあった。ちゃんこ番だったからなのか、僕が
サノ
という、当時寮にいた日本人の中で最も覚えやすい名前の持ち主だったので何かと
サノー!
と呼んでくれていたからかは忘れてしまったけれど、黙々とトレーニングをするネグロさんの傍らにコップに入ったミネラルウォーター(スペイン語ではアグアという)を置いて、お邪魔にならないようにスッと立ち去った。その時、ネグロさんが傍らに置いていた年季の入ったラジカセ(たぶん私物)からはLed ZeppelinのRock And Rollが流れていた。レコードかと思ったら曲が終わり、ボデガ・ヒガンテという近所のスーパーマーケットチェーンのコマーシャルが流れてきた。
ラジオを聴きながら筋トレをしていたらしい。
ジムの高いところにある窓から差し込む白くギラつく陽射しと、Led Zeppelinと、ウェイト器具のガッチャンガッチャンという音。そんなひと時を今でも覚えている。