第六話 スクランブル!
2031年 11月13日
暖かく、静かで快適な朝であった。ノーラはベッドから起き上がり、寝間着からいつもの私服に着替えていた。これから朝ごはんを食べ、しばらくしたらまたアグネスのもとに行く予定だった。傭兵としてはたらくにあたって、政府の近くに仮の住居が用意されることになっていたので、その確認が行われるのだ。ノーラとしてはこういうことは全部一日で済ませてほしかったが、アグネスいわくノーラの契約の件はあまり優先順位が高くないらしく、彼女以外のエスターレイヒ側の人間はあまり長い時間を割きたがらないようだ。そのため、どうしても「仕事の合間を縫って」という形になってしまうのだ。
階段を降り、食堂へ向かおうとしたその時、カールが急ぎ足でこちらに向かってきた。
「カールさん、どうしたんですか?」
カールは表情をこわばらせ、肩で息をしていた。
「実は......エスターレイヒの人間から緊急の連絡があった」
「エスターレイヒから?」
「ああ。至急君を送り届けてほしいとのことだ。出撃を要請する可能性があるらしい」
「つまり、任務ですね!?」
ノーラの声色には緊張と高揚の両方が現れていた。
「あまり喜ぶようなことではないと思うよ?君が呼ばれるということは、この前の内乱とはまた違う状況だということだ」
カールは珍しく腹立たしげにたしなめた。その口調や表情には緊張や不安で気が立っているのがよく表れていた。
「すみません......とにかく、急いでいきましょう!」
「ああ。すぐ車を出させる。......必ず生きて帰ってきてくれ」
「大袈裟ですよ。これが初めてじゃないんですから。では、行ってきます」
ノーラは自信にあふれた笑顔を向けた後、屋敷の外へ歩いて行った。
カールは去っていくセダンをいつまでも見送っていた。
ヴィーンの中心部に着くと、アグネスがもう一人の男性とともに待っていた。男は50代くらいに見え、大柄な体格と禿げ上がった頭、口ひげがよく目立っていた。
「ノーラさん!お待ちしていました」
「おはようございます!」
「突然お呼びして申し訳ございません」
「君がノーラという娘か」
男がゆっくりと、しかし威厳のある口調で話しかけてきた。
「私は陸相のヨーセフ・ファットハウアーだ。君の働きにもそれなりに期待している」
「あ、はい。初めまして」
また初対面の人間が登場し、少しぎこちなく挨拶を返す。
「では。二人とも、健闘を祈っている」
「どうかお気をつけて」
「また会いましょう!」
ファットハウアーは黙って大股で歩き去っていった。
「で、誰だったんですか?あの人」
「それはまた説明します。それより、今はあの地下駐車場へ」
初めて会った時と同じように、アグネスの車に乗せられてノーラはカルリーノの待つ地下へと送られていった。
「それで、どうして私が必要になったんですか?なにが起こってるんですか?」
「詳しくは着いたら説明しますが——ウンガルンからの明確な侵略行為がありました」
「侵略!?」
ノーラは身を乗り出した。
「はい。それだけならまだよかったのですが、あちら側は『巨大で奇妙な兵器』を使用しているそうです。故に、あなたとカルリーノの力が必要になると判断されたのです」
ノーラは心臓が脈打つのを感じた。恐怖ではない。久しぶりの出撃と、未知の巨大兵器と相対することに気分が高揚していたのだ。もちろん、不謹慎であることは分かったから表には出さないように努めた。
「なるほど。ちょっと驚きましたけれど、わたしに任せていただけるなんてとっても嬉しいです。地図とか読んで、戦場の地理を復習しておきましたしね」
「それは......良かったです」
これからの作戦に対する緊張のためだろうか、アグネスはぎこちない無感情な声で答えた。
地下のエレベーターに到着すると、アグネスはトラックに、ノーラはその荷台の中のカルリーノに乗り込んだ。エレベーターは大きな機械音を響かせ、地上へと到達する。荷台の中のノーラには見えなかったが、振動でトラックが進んでいるのは理解できた。30分ほどたった後、運転席のアグネスから通信が入った。
「こちらアグネス、目標地点付近に到着しました。敵装甲車部隊と、巨大兵器との遭遇が予想されますので、出撃に備えてください」
「分かりました」
ノーラはまず、電子機器の最終確認をした。すべて正常である。戦いを妨げるものは何もない。そう考えると鼓動が高ぶってきた。興奮を抑えようと目を閉じて深呼吸をし、それでも依然として火照る両手でハンドルをしっかりと握り、最後の合図を待った。
そして、車体後方のハッチが開き、光が差し込んだ。完全に開くと同時に、アグネスの合図が入った。
「準備、整いました」
ノーラは一呼吸おき、はっきりとした口調で応えた。
「カルリーノ、出撃!」
言い終わると同時にアクセルを踏みしめ、バック走行で地面へと降り立った。太陽の光と戦場に響く銃声や轟音がカルリーノを包む。ノーラはギアを一速に入れ、フルスロットルで発進した。低い温度の路面をゴムタイヤが懸命につかむ感覚が手足を通じて伝わり、V型エンジンの奏でる大音響に刺激され、闘争心が極限まで高まっていくのが感じられた。
アグネスはというと、無線から聞こえた声に驚いていた。普段の明るい口調と比べ、格段に低く引き締まった声が聞こえてきたからである。少なくともノーラが集中力を高く保っていることは確かであるようだったので、少し安堵した。トラックに搭載されるモニターに、カルリーノから通信されてくる映像や各種情報が映し出される。ノーラは味方の戦列から飛び出し、敵装甲車部隊へと突撃していくところであった。
「何だあれは!?」
「乗用車か?」
「にしちゃあ分厚いっていうか——」
「来るぞー!」
ウンガルンの兵士は猛スピードで迫る奇怪なステーションワゴンにひどく困惑するばかりであった。カルリーノは右へ左へと車体を振り回しつつ銃を乱射し、歩兵を殲滅しつつ装甲車らの注意を引いていた。ノーラはそれらの車輪を執拗に銃撃し、装甲車部隊の自由を奪っていく。当然カルリーノも車輪は弱点ではあるが、車高の低さと特殊なゴム素材、さらに万が一パンクしても自動で修理する機構のおかげで、あまり気にすることなく攻撃に徹することが可能なのである。
カルリーノはウンガルンが展開する部隊の後方を、タイヤから白煙を出し、銃から弾丸をまき散らしながら縦横無尽に走り回り、大いに敵軍をかく乱した。ウンガルン側に限らず、エスターレイヒ側の兵士たちも少なからず混乱していたが、いずれにせよ戦局はエスターレイヒ側に有利に展開していた。
その時だった。
「ノーラさん、例の巨大兵器は、今あなたが向かっている大通りに居ます」
「分かりました、向かいます!」
まっすぐと交差点に向けて進むノーラの前で、轟音とともにエスターレイヒの軍用車両が軽々と吹き飛ばされていくのが見えた。
大通りに到着したノーラは、その巨大兵器の姿を目にした。
それは無限軌道を装備した十数メートルはあろうかという装甲車両であった。車体前方にはどんな戦車よりも大型の主砲を備え、後方には工事用車両のようなアームが昆虫の足のように生えているという奇怪な形状をしていた。しかし主砲の威力は本物のようで、カルリーノを挟んで後方には無残に破壊されたエスターレイヒの軍用車両が多数横たわっていた。
ノーラはその車両と、その周りにいる二両の戦車を一瞥するや否や、迷わず全速力で前進を始めた。
モニターしていたアグネスから通信が入る。
「あの、アグネスさん、慎重に行動してください。あの主砲にカルリーノが耐えられるかどうかはまだ未知数です」
しかしノーラは一言。
「了解です」
といったのみで、カルリーノは自らをにらみつける3つの主砲に向かって突っ込んでいった。
まず最初に撃ったのは巨大車両であった。巨大な砲弾が襲い掛かり、ノーラは巧みなハンドルさばきとアクセルワークでこれを交わす。しかし回避したところを狙って2両の戦車が砲撃を食らわせた。しかし、避けることはできなくても車体を砲撃に対して斜めに向けることで衝撃を最小限に抑え、実質的に無傷のまま戦車へと接近した。
ドリフト走行によりフロントを戦車のほうに向けたままカルリーノは1両の戦車の側面に回り込んだ。そしてヘッドライトの部分が開き、そこからミサイルが発射された。側面から履帯を狙った攻撃により無限軌道の破壊に成功した。すると巨大兵器のアームが伸び、カルリーノを押しつぶそうとしてきた。予想以上の伸縮性があるようだったが、それにもノーラは対応し、難なくすり抜けた。さらにもう一両の戦車が車体をこちらに向けていたが、カルリーノは瞬時に至近距離に接近したうえで銃を発射し、何とのぞき窓を貫通して内部の乗員を無力化することに成功した。
残るは巨大兵器だったが、アームが前方まで伸びるせいで容易には近づけず、主砲から逃げ回りつつミサイルを発射しても、正面の防御は固いため大したダメージは与えられていない。
この状況を打開するためにはレーザー兵器が最も有効だが、エンジンの停止を行う暇などない。負けはしないが勝つこともできない、千日手に陥ったかに思われた。
その時だった。カルリーノは突如として急加速し、巨大兵器の側面を通り抜けていった。ナイトロオキサイドを噴射したのだ。アームで押しつぶそうとするが、あまりの加速力にどれも不発に終わった。
後ろに回り込んだカルリーノを追いかけ、巨大兵器はアームを振り回しつつバックを始めた。カルリーノはつかず離れずの間合いを保って進んでいくが、大きなT字路に近づくと、再加速して道路ではないほうに走り出した。その先にあったのは、立体駐車場である。内部のスロープを高速で登り、戦場で崩れた外壁から巨大兵器の頭上高くに飛び出した。それも、ブレーキを軽く踏みつつ、荷重を前に倒しつつ、フロントが下を向くような格好である。普通自動車があえてジャンプするのなら水平にしようとするのだが、今回は狙いがあった。
カルリーノは空中でレーザー兵器を発動させ、眼下の巨大兵器を上からの光線で溶断したのである。空中に浮いている間は車輪に駆動力を伝える必要がなくなることを利用した策であった。
巨大兵器はなすすべもなく真っ二つに切断され、炎上した。もちろん無理な姿勢てとんだカルリーノはうまい着地はできず、ひっくり返ったまま停止してしまった。それでもノーラは動じることなく、アグネスに通信を行った。
「すみません。目標は撃破しましたが、横転してしまいました。回収をお願いします」
「......はい。今すぐに」
アグネスは半ば呆然としていた。ノーラがみているものは彼女にも見えており、そのあまりにもアクロバティックな攻撃にすっかり舌を巻いていたのだった。