表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

第二話 スロヴァケイ侵攻とエスターレイヒ動乱/アグネスとの出会い

この作品に登場するすべての国家、団体、人物は架空のものです

[が、元ネタはあります]

2031年 5月1日

 チェコスロヴァケイ(チェコスロバキア)はその日、『メーデー』のため祝日であった。多くの労働者が集い、労働状況改善を求めて声をあげる日である。先の大戦(great war)のあいだは反戦活動が主になっていたが、終戦し、エスターレイヒ(オーストリア)帝国から独立した今、本来の労働者の祭典として、平和を尊びつつ行われるはずであった。

 明朝、ウンガルン・レーテ(ハンガリー・ソビエト)の軍隊が、スロヴァケイ(スロバキア)地域の南部国境を越え、奇襲攻撃を敢行。戦勝国の目を逃れて保存されていた帝国時代の装備を利用し、瞬く間に占領地を広げていった。チェコスロヴァケイ政府は対応を試みたが、国の中心部であるチェック(チェコ)地域とスロヴァケイ地域を結ぶインフラが著しく不足していたこともあり、国土の防衛・奪還いずれも失敗に終わった。

 この軍事行動は、ウンガルン・レーテの革命政権の強硬姿勢を明確にし、周辺諸国及び戦勝国から厳しい目を向けられたが、一方でその軍拡の成果を誇示する出来事でもあった。

 ウンガルン政権の長であるティサ書記長はこれを「ウンガルンの人民に対する不当な抑圧からの解放」であるとし、「革命の波はますます勢いを増し、ルースラントから東オイロパ(ヨーロッパ)を飲み込んでいくであろう」と演説した。



2031年 11月11日

 午後4時ごろ、ノーラを乗せた一台の高級セダンがエスターレイヒの市街をはしっていた。その日はひどい雨であり、大粒の雨が窓ガラスを叩いていた。ノーラは不十分な視界の向こうに、兵士たちや軍用トラックがあちこちで警備や巡回をしているのを見た。兵士と揉めている集団がいるのを見た。手錠をかけられた人々が大きな車両に乗せられるのを見た。すれ違う装甲車を見た。そしてしばらくして、運転手の声が聞こえた。

 「間もなくです、イェリネックさん」


 セダンはヴィーン(ウィーン)の中心部にある国民議会の駐車場に停車した。ノーラが車両を降りようとすると、運転手は傘を差しだしてきた。

「傘くらい自分でさせます」

「いえ、これは私の仕事ですから。あなたの髪やお洋服を濡らさぬよう細心の注意を——」

 そんなことに細心の注意など払わなくていいと思ったが、ノーラはしぶしぶ受け入れた。ノーラの服は決して高いものではない。カール公爵が豪華な服をくれたこともあったが、どうも自分には合わない気がした。結局保護されたときに着ていたのとよく似た若草色のコートと白いシャツを身に着け、マルーンの半ズボンと茶色いスニーカーに黒いハイソックスを履いている。髪に関してはきれいな金髪だとよく言われるが、本人としてはたいして気にしていない。自分の体で気に入っているのは碧い瞳だった。

 ノーラは議事堂の中の小さな部屋に通され、何人かの職員らとともにしばらく待っていた。十分ほどたったころ、扉が開き、20代くらいの女性が入ってきた。ノーラは驚いた。政治家と合うことは知っていたが、それが若い女性であるとは思ってもみなかったからだ。長い茶髪と灰色の瞳をもつ彼女はグレーのスーツを身にまとい、非常に整った顔立ちをしていた。その美しさと優しげな雰囲気に引き込まれ、ノーラはしばし一切の注意力を失っていた。

 「初めまして。アグネス・ローゼマイヤーです」

その女性の声を聞き、ノーラの意識は半分だけ現実に引き戻された。ただし残りの半分はその透明感のある声にますます引き込まれてしまっていた。その状態のまま用意した挨拶をしようとする。

「は、はい。ノールベルタ・イェリネックと呼んでください!......あ、間違えた!えーっともう一回」

「そんなに形式ばった面談じゃないんですから、どうか緊張なさらないでくださいね」

アグネスの温情のこもった笑顔を向けられ、ノーラはますます申し訳なくなり赤面した。

「すみません......えっと、『私がノールベルタ・イェリネックです。ノーラと呼んでください』」

「ですから、そんな原稿を読むみたいな言い方にならなくていいんですよ、ノーラさん。この度はわざわざお越しいただきありがとうございます。リヒテンシュテインから共和国防衛軍に派遣された人材の一人として、主にウンガルンの脅威に対抗するための『特別な契約』に同意いただいたということでよろしかったでしょうか」

「はいです!」

いつものごとくやや不自然な敬語で応答するノーラ。同席していたリヒテンシュテイン側の職員が契約書を取り出すと、ノーラがそこにサインをし、アグネスたちエスターレイヒ側に渡した。

「では、これからあなたは形式的には共和国軍の一員です」

アグネスは立ち上がり、手を伸ばした。

「これからよろしくお願いします。ノーラさん」

「はい、こちらこそ!」

ノーラは慌てて立ち上がり、その手を握った。

「では、次は例のものをお見せしたいと思います」

二人は部屋を出て、別の車に乗りこんだ。他の職員たちはついてこず、アグネスとノーラだけでの移動だった。


二人が乗り込んだのは公用車だった。といっても重要人物をのせる高級なものではなく、企業の社用車としても使われていそうなシンプルなものだ。運転席に座るのは、アグネスだった。

「自分で運転するんですね」

「ええ。運転は好きですから」

「私もです。でもカールさんは運転させてくれないんですよね。免許もちゃんとあるのに」

「きっと心配なんですよ......あなたほどの腕前があるのなら、心配することもないような気はしますけど」

そのような会話をしつつ、アグネスは車を走らせ、政府の建物の間を縫って、人の少ない区間にある入り口から地下駐車場に入っていった。二人は車から降り、さらに奥へと歩いて行った。

長い地下通路の先の扉をアグネスのカードキーで開くと、巨大なエレベーターに大きなトラックが乗っていた。

「これが、この前言っていた運搬用トラックなんですね?」

「はい。有事の際には、このトラックで『あれ』を現場近くまで運ぶんです」

「じゃあ、今も『あれ』はあの中にあるんです?」

「いいえ。せっかくですから、運転してトラックの中に入れていただきたいんです。一応の動作確認と、我々の契約の開始を象徴する意味合いを込めて」

二人はさらに奥へと歩いていった。


 『それ』は見る者にとっては合成獣であり、操る者にとっては暴れ馬であった。しかしノーラにとっては忠実な猟犬であった。古めかしい角ばったボディは、遠目に見れば小さめのステーションワゴン——シューティングブレークにしか見えないが、その車体は強力な装甲で覆われ、いくつもの武器を隠し持っている。ノーラはそれを見慣れていたが、以前見た時とは明らかに変わっている点もあった。色が赤と白に塗られていることと、サイレンがついていることだった。

「あなたのかつての相棒、『カルリーノ』です」

アグネスは言った。ノーラは黙ってカルリーノのボンネットに手を置いた。穏やかな表情を浮かべ、ペットを撫でるようなしぐさをしながら、彼女はつぶやいた。

「久しぶりです」

「これからまたあなたと共にはたらく車両です。では、出動に備えてトラックに載せましょう」

ノーラはカルリーノのど真ん中にある運転席に乗り込むと、鍵を差し、エンジンをかけた。大パワーのV型エンジンが唸りをあげ、車内の膨大な数の機器が点灯する。本来フロントガラスがある位置もすべてモニターになっており、車両前方の小型カメラに映る映像といくつかの情報を表示していた。すべては順調に動作し、まるで冬眠から覚めたかのように生き生きとしている——ようにノーラには感じられた。

 いくつかの動作確認ののち、大型トラック——アグネスいわく、名前は『パトロ』らしい——への積み込みが完了した。

「よし。では、これで準備は整いました。事前に説明した通り、今後この車両が必要となるときには、このトラックで私が現地近くまで輸送します」

「はいっ!いつでも出撃の準備はできてます!」

「頼もしいですね。では、今日は上に戻りましょう」

二人は来た道を戻っていった。


地上へ向かう最中、アグネスはすこし暗い口調でノーラに話しかけた。

「ノーラさん、あなたに来ていただいて嬉しいです。実は、個人的に聞きたいことがあって......」

「私に?」

「はい。イタリエンとの戦争でのことを、詳しく。地上に戻ったらでいいですから」

そして地下駐車場に出たその時だった。

遠くから破裂音がいくつか響き、かすかに人々の叫び声も聞こえてきた。

「今のは——」

「銃声です!」

そういうとノーラは地上へと続く出口へ全速力で走りだした。

「あ、ちょっと!危険です!待って——ん?」

アグネスが携帯していた無線機に通信が入った。ノーラを追いかけつつ通信を受ける。

「はい、アグネスです......今は地下から......はい......はい、そうですか......分かりました!」

通信を切ったときも、ノーラは音のするほうへと走り続け、すでに地上へと出ていた。二人の近くは依然として静かだったが、遠くで炎が上がっていた。そしていくつもの銃声、軍隊の足音、エンジン音、悲鳴、怒号、号令......それらすべてがその方向からやってくるのを、ノーラの鋭い聴覚は捉えていた。そしてノーラはそちらにまっすぐ向かっていく。いつの間にか雨は上がり、雲もあらかた晴れ、オレンジとピンクが混ざったような妙に明るい夕焼けが都市を照らしていた。

「ノーラさん、止まってください!緊急事態です!ここから動くなという指示がありました!」

そういわれてノーラはようやく停止した。

「すみません。緊急事態って、なんですか?」

今度は柔らかい表情と声色で、アグネスは答えた。しかし緊張と不安を隠しきれてはいなかった。

「ご心配なく。今日起こるとは思いませんでしたが、すでに備えはしてきています。すぐに騒ぎは収まるでしょう。さあ、念のため地下へ戻りましょう」

「それで、何が起こってるんです?」

「......内乱です」

「内乱?」

その言葉を聞いて、ノーラは市街を警備していた多くの兵士たちの姿を思い出した。『備え』とはそのことなのだろうか。

「とにかく、下に居れば安全なのは明らかです。今は何もせず、静かに待ちましょう」

二人が地下へと降りようとしたとき、ノーラの耳にはひときわ大きな爆発音と数々の絶叫が聞こえていた――

国家の元ネタ(ほぼ全部オーストリアドイツ語風に読んでいるだけです)

エスターレイヒ=オーストリア

ウンガルン=ハンガリー

ブリタニエン=イギリス

フランクレイヒ=フランス

リヒテンシュテイン=リヒテンシュタイン

ドイツ、アメリカはそのまま


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ